シン・現代詩レッスン37
今日も阿部公彦『詩的思考のめざめ: 心と言葉にほんとうは起きていること』からいよいよ萩原朔太郎の登場である。萩原朔太郎が重要なのは、口語詩を確立したというよりも「内面」の言葉を詩にした詩人だからなのか。それは誰もがやる方法ではあったけど朔太郎ほど意識的に魅力的にやった詩人はいなかったのである。それが「青猫」の登場する象徴詩であり、その声の音楽性であった。
その境地に達するのが「月に吠える」で描かれた病的な内面だったのだろう。今日はそこから「地面の底の病気の顔」から。
まず、意味よりもその音韻的な調べが音楽的なのだった。「地面の底に顔があらはれ、/ さみしい病人の顔があらはれ。」ここで「あらわれ」たのは顔で、それも病人の顔なのだが、「あらわれ」が「現れ」でもあり「洗われ」でもあるという啓示の在り方が「顕れ」という詩的言語を誘うのである。
それは地面という闇の世界から発芽という詩の声であり「青竹」は朔太郎の詩的言語となっていた。「青竹」が象徴であり、いままでは動物体でやってきたがここで「青竹」という植物体でも詩になるということだった。
歯痛にだったので大した詩が出来なかった。昔ディックの本で歯痛の時にダンテ『神曲』を読んで救われた話を思い出して作ってみた。地獄ではないけど植物的な世界から彼岸へ。