ポストコロニアル文学の萌芽
『その国の奥で』J・M・クッツェー (著), くぼた のぞみ (翻訳)
大江健三郎と同世代の南アフリカのノーベル賞作家の意欲的な二作目は「フォークナーの息子たち」を意識したのか、一人称のアフリカーナの女性の語り手の幻想と現実世界を描く。女性の手記ということで266の断片は日記ノートのようで読みやすいが内面の思考がアパルトヘイトの問題をえぐっていく。そこに男尊女卑という社会構造自体がアパルトヘイトの根っこにあり、彼女は奴隷の主人ではあるが男に従属して生きなければならないという複雑な感情が錯綜する。それは父殺しの神話であり、南アフリカの挽歌であり、ポストコロニアル文学の萌芽だった。
奴隷〈賃金労働者ではある)と主人の逆転劇は『ロビンソン・クルーソー』的であるが奴隷の妻をめぐってのお局様イビリのようなシーンもあり、変速的な三角関係の物語でもある。最初は父の愛人としての憎しみと同情(憐憫があったのか?)が複雑に絡んでいる。奴隷のヘンドリックとの関係は性暴力があるので、そこまで快楽に従順だとは思えない。PTSDのようなトラウマがあるのだと思うが。それが手記することだったのか?
ラストの幽霊物語展開もポーのミステリーのようでもある。SF(ディック)や神話的なファンタジー展開もあり、介護小説でもあるという、それぞれのクッツェーの今後の作品群を匂わすようなアイデアも感じる(くぼたのぞみの解説に詳しい)、クッツェーの二作目はクッツェー文学のなかでも重要な作品である。くぼたのぞみ『J・M・クッツェーと真実』ではこの時代にクッツェーが南アフリカ政府から検閲を受けていたこともあきらかにされていた。そのままの物語では出せなかったのだろうと思える。そしてアパルトヘイト崩壊後に書いたのが『恥辱』だった。
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