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ポストコロニアル文学の萌芽

『その国の奥で』J・M・クッツェー (著), くぼた のぞみ (翻訳)

20世紀初めの南アフリカ。人里離れた農場に暮らす孤独な娘と、若い黒人女を得た父の葛藤を激しく暴力的に描く傑作。植民地社会の矛盾とディスコミュニケーション。映画化。新訳決定版。

欲望、堕落、幻想を見極めようとする力作──オブザーバー紙
めくるめく緊迫感が最後までゆるまない筆致──デイリーテレグラフ紙

植民地支配の歴史を生きた者たちの、人種と性をめぐる抑圧と懊悩を、
ノーベル賞作家が鮮烈に描いた、濃密な、狂気の物語。
語りと思考のリズムを生かした新訳決定版!!!

「父さん、許して、そんなつもりじゃなかった、
愛してる、だからやったの」
20世紀初頭の南アフリカ。異人種間の結婚や性交が禁じられていた時代。白人と褐色の肌の人々が生きる隔絶された空間で事態は推移する。石と太陽で造られた屋敷の仄暗い廊下では、昼も夜も時計が時を刻む。孤独で不美人な未婚の娘マグダ、農場を支配する厳格な父、使用人ヘンドリックと美しく幼い花嫁、不在の兄。肩の上に一気に手斧が振りあげられ、ライフル銃の薬莢が足元で音を立てる。やがて屋敷の秩序は失われ、暴力と欲望が結びつく……。ノーベル賞作家が、検閲の網をかいくぐり、植民地社会の歴史と制度への批判をこめて織りあげた幻視的長篇。新訳決定版!!!

大江健三郎と同世代の南アフリカのノーベル賞作家の意欲的な二作目は「フォークナーの息子たち」を意識したのか、一人称のアフリカーナの女性の語り手の幻想と現実世界を描く。女性の手記ということで266の断片は日記ノートのようで読みやすいが内面の思考がアパルトヘイトの問題をえぐっていく。そこに男尊女卑という社会構造自体がアパルトヘイトの根っこにあり、彼女は奴隷の主人ではあるが男に従属して生きなければならないという複雑な感情が錯綜する。それは父殺しの神話であり、南アフリカの挽歌であり、ポストコロニアル文学の萌芽だった。

奴隷〈賃金労働者ではある)と主人の逆転劇は『ロビンソン・クルーソー』的であるが奴隷の妻をめぐってのお局様イビリのようなシーンもあり、変速的な三角関係の物語でもある。最初は父の愛人としての憎しみと同情(憐憫があったのか?)が複雑に絡んでいる。奴隷のヘンドリックとの関係は性暴力があるので、そこまで快楽に従順だとは思えない。PTSDのようなトラウマがあるのだと思うが。それが手記することだったのか?

ラストの幽霊物語展開もポーのミステリーのようでもある。SF(ディック)や神話的なファンタジー展開もあり、介護小説でもあるという、それぞれのクッツェーの今後の作品群を匂わすようなアイデアも感じる(くぼたのぞみの解説に詳しい)、クッツェーの二作目はクッツェー文学のなかでも重要な作品である。くぼたのぞみ『J・M・クッツェーと真実』ではこの時代にクッツェーが南アフリカ政府から検閲を受けていたこともあきらかにされていた。そのままの物語では出せなかったのだろうと思える。そしてアパルトヘイト崩壊後に書いたのが『恥辱』だった。


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