ことばは生もの
『ことばと国家』田中克彦 (岩波新書)
学校教育の国語は、母語を母国語を矯正するためのものだとか。母語は、子供が母親から自然と覚えることば。そして、それは方言の場合もあれば国語とは別の言語でもあるかもしれない。アイヌ語とか琉球語は国語とは言わない。外国語とも違う。ではなんなのか?方言の一種とされているのか?琉球語(沖縄語)はそうでした。アイヌはまた違うようなのだが。
沖縄では方言を使うと罰札があって、沖縄方言を使った子供はそれをずっと付けていなければならない。外せるのは、他の方言を使った生徒を密告するとか。相互監視システムだった。そのようなことは日本が最初ではなく、フランスで行われていた。
フランスは日本のように島国でないから、いろいろな言語が入り乱れている。ヨーロッパは、そのためにラテン語という書き言葉が知識層の万人の世界言語としてあった。
ラテン語は書き言葉ですでに死語になっているので変化はない。生きた話し言葉は時代と共に変化するのが当然なのであって、それが各地域の方言のように発展していく。それが母語だ。そしてキリスト教世界はラテン語が教会の中央集権的な言葉としてあった。ルターがそういう聖書の言葉を民衆の言葉にしたのがプロテスタントの始まり。そして教会より国の力が強くなると国語が民族をまとめる力となる。ラテン語の一つの方言にしか過ぎなかったフランス語はパリ中心に話されていた言語でそれを国語と制定したのだ。
フランス(国)はフランス語を共通言語として定めた。それで出来たのがアカデミー・フランセーズという教育機関だった。フランスの哲学(教育)は地方の言語をフランス語にするために、フランス語が論理的だったとされる歴史があった(かつてはラテン語だったのだが一地方語のフランス語に取って代わる)。そこからフランス哲学やあらゆる教育がなされていく。それまで一地方語にすぎなかったフランス語が国語となっていく。教育で母国語を習わせる。それは日本でも同じように(日本は漢文がラテン語のような位置)、例えば琉球語を日本語にするための教育が行われた。「方言追放令」は児童が琉球語を使うと罰札を掲げて、他の生徒を密告してようやく札が外されるという相互監視システムを取り入れたのだ。それはフランスから学んだという。
中国の全体主義もそうなのだが、言語と国家は密接に関係してくる。言語での排除の構造は、ナチスのユダヤ人狩りもそうだが、究極までいくとホロコースト(民族浄化)にも繋がって行く。民族間の争いが言語間の争いを引き起こすことは当然の帰結である。
短歌をやっていると文語が出てくる。それも本来死語となったものをわざわざ短歌で取り入れるのは、結社や天皇制の権威としてなのだろう。だから戦後は、「奴隷のことば」とか言われた。「奴隷」は大げさだと思うが、「支配者のことば」であったのは事実のようだ。それが天皇制と和歌の関係だった。
ユダヤ人が使っていたイディッシュ語は知的階層は聖書の言葉ヘブライ語を使っていたが、それは女子供が使う言語ではなかった。だからインディッシュ語は話し言葉でドイツ語の雑種の言葉とされてきた。ユダヤ人の語学の才能があるのは商人だったからで交易するために複数の言語を話せる人が多かった。しかし、それはエリートの男で、その他の女子供や語学が出来ない(教育をうけられない)者はジプシーのような旅商人になっていく。その差別がナチス政権で激しくなるのは周知のことだった。
エリートの国語というのはそのように区別から始まる。それが一般民衆の差別として広がっていく。ナチスに追放されたイディッシュ語はソ連では一つの言語として受け入れられて行ったとか。ソ連邦は様々な民族の集合体でそれが言語的に分かれていたのだ。
ロシア語とウクライナ語の関係は本来それほどかけ離れたものではなかったが、国家として形作られるとウクライナ語の特性を見出すようになる。
ピジン英語やクレオール言語は、本来白人の貿易商が原住民と言葉を交わすものだったのだが、三世代続けばそれが母語となる人が増えてくる。そして支配国から独立するときに、そうした言語を国語としていく。しかしエリートになると支配国の言語の教育を受けるので、それが支配体制に影響を与えることにもなる。そこで問題なのは取り残された者たちは、下層にならざる得ないのだが文化という力によって、一地方言語だったものが文化を獲得することによって新たな独自性を生み出すこともあるのだ。
なにより言葉は生ものなので、エリート層の支配ではままならぬことがあるのだ。それは流行語や文法の乱れで、それをけしからんというのは言葉が固定したものとする頭の固い人だった。
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