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呪術廻戦としての日本文学
『千夜千冊エディション 源氏と漱石 』松岡正剛(角川ソフィア文庫)
「源氏」と「漱石」を結んで浮かび上がる、日本の近代化と伝統
平安の『源氏物語』から明治の近代化を経て『夜明け前』に至るまで、日本文学はどのような伝統を引き継ぎ、いかに近代化してきたか。「源氏」という構想の妙を紐解き、古典と近代を繋ぐ、新しい日本文芸史。
「源氏」と「漱石」をつないでみたいと思ってきた。「もののあはれ」と「可哀想だた惚れたってことよ」である。途中には右京大夫、西行、後鳥羽院、連歌、芭蕉、西鶴、井月たちがいて、主人公をあからさまにしないスタイルを試みてきた。しかし「漱石」以降、近代文学は主人公を用意して、その「創(きず)」を描くことにした。何かの「夜明け前」だったのか。
松岡正剛「千夜千冊」は、よくわからに作家や本が出てきた時に参照するが、けっこう間違ったことを断言して書いているのだと思った。
例えば『源氏物語』にパワハラはないと断言したり(柏木に対して光源氏はパワハラしたよな)、西行が日本に桜を広めたとか(すでに在原業平が桜で大騒ぎする宮中での様子を和歌で詠んでいた)、それは日本文化の良さだけを見ようとするものなのか疑問に思うこともあるが、総じて日本文学の案内(ナビゲーター)役としては面白い。
『源氏物語』を漱石に繋げる読みは「追伸」として書かれたあとがきで示されるだけで、本文はそれぞれの文学案内としてナビゲーター的な内容である。その捉え方のポイントが断定的で面白い。
例えば『源氏物語』では「宿世」だという。それは『呪術廻戦』にも出てくる呪いということだが、六条御息所の「宿世」が「もののあはれ」として『源氏物語』の世界の二面性のヴァーチャルな物語としてある。それは中国からの漢字文化に対する仮名文化の様相というような。漢字は真名(論理)とするならば仮名はヴァーチャル(物語)の世界を描いているのだ。『源氏物語』についてはかなり詳しく3回にわけて、五十四帖すべてを解説してくれているので、これから読む人にも便利なナビゲーターとして役立つと思う。
この辺の論理の立て方は、本居宣長や保田与重郎の焼き直しのようだが、保守的な見方から森鴎外の乃木殉死以降の歴史小説とか興味深く紹介している。森鴎外の後に森茉莉の紹介を続けたりしていて興味深い。
夏目漱石は漢文と西欧の文明開化の中から俳諧的なものとして良寛を見出していくというのは興味深い。
堀口大學『月下の一群』は与謝野鉄幹・晶子らの『明星』の浪漫主義の系譜というのも読んでみたくなるような。
日本文学の彼岸性かな。此岸という現実世界と彼岸という幻影世界の二面性の中で『源氏物語』から育まれてきた。