書かざればわが歌きえむ
『齋藤史論』雨宮 雅子 (雁叢書109)
斎藤史は父が軍人で尊敬しているのかと思い、バリバリ右翼的な人かと思ったら全然違っていた(特攻服を着たヤンキー姉ちゃんのイメージ)。そういう勘違いを正してくれた歌論で、逆に斎藤史が好きになった。
昭和を生き抜いた女性歌人として述志(内に秘める志)がある人で反権力の徒として、中央ではなく地方(信濃)で生きていく。
それも地方では都会人に対する敵愾心の中で疎開生活という飢餓生活(いまでいう難民か)の中で食うために短歌も保守的になるのだ。
そのあとに戦後の短歌革命を起こした塚本邦雄との論争が起きるのだが、相手の欠点ばかりをあげつらうのではなく自らの歌論を固めていくことになり、見事に復活を果たす。
白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り 斎藤史
この短歌が凄みがあるのは、戦争で殺された者の墓標というような短歌だからだ。斎藤史は写生ということも自身の内面を歌わずにいられなかった歌人なのである。
塚本邦雄との論争も近親憎悪というような、モダニズムのスター歌人だった斎藤史が田舎に引っ込んで保守的な歌詠んでいるのかよ、という塚本邦雄の叱咤激励だったのかもしれない。年下の塚本が弟のように姉に喧嘩を売るという感じだったのかもしれない。その後の短歌を見ると同志かと思うほど似ているのである。
斎藤史はその後に戦後歌人として昭和を詠い続けた。大抵のことは額の真ん中に銃弾(暗黒裁判で処刑される)を受けるよりはいいと生き続ける。
そして釋迢空賞を受賞した『ひたくれなゐ』を出す。七百十五首の短歌の後に七百十六首目の歌が過去が現在(此岸から彼岸)となる架け橋なのだ。
昭和の激動期を生き抜いた女性歌人がいたのである。