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北村透谷のオタク性

『失われた近代を求めて 下』橋本治 (朝日選書)

「自然主義」と呼ばれたもの達は、「言えない」を主題とする小説として生まれ、いつしか赤裸裸な「自分のこと」を告白する私小説へと変貌する。
国木田独歩と島崎藤村を中心に、「自然主義」との関わりから日本近代文学の核心に迫る第二部。

そして、明治維新の前年に生まれた夏目漱石、尾崎紅葉、幸田露伴、正岡子規、一つ年下の北村透谷。
明治生まれの第一世代の群像を彼らの作品読解を通して活写する
橋本治の「近代」「文学」論の完結編。

西洋由来の「近代」受け入れた日本人が求め、 「近代」によって失われたものとはなんなのか?

出版社情報

上巻は面白く読み進めていけたのだが、北村透谷で躓いた。それまで北村透谷の文学を正面から論じる本を読んだのは初めてかもしれない。北村透谷の純粋性をヤンキーの、たとえば一歩間違うと長渕剛みたいになりそうだと言うが、北村透谷の純粋さはアニメオタクのような純粋さだろうと思うのだ。それが浪漫主義に通じる。

ただ女性の方は「やわ肌の」与謝野晶子なのである。そこに純粋性(処女性)を求めるから苦悩するしかなかった。そして、漱石の三四郎からの苦悩する青年像がそこにある。

しかし、尾崎紅葉、幸田露伴の前近代性の文学は江戸の戯作文学を継ぐものである。そこに性の解放(男だけだと思うが)があり、粋と任侠の文化は、西欧のキリスト教文化よりも劣っているものではないとするのが橋本治の文学観なのかもしれない。

島崎藤村

島崎藤村『破壊』は田山花袋『蒲団』のような自然主義文学とは肌合いが違う。明治の身分制度廃止に伴い穢多出身の主人公(瀬川丑松)が身分を隠すように父親から言われて、同じく被差別部落出身の解放運動家(猪子蓮太郎)に慕っていく。その過程でなかなか自分の出自を告白できないのだがちょっとホモセクシャル的な感情も芽生えていくような長編小説。私小説というのとは違うが、ゾラの自然主義小説には近いような気がする。日本と本家フランスでは「自然主義」という捉え方が違うのだ。藤村『破壊』は夏目漱石も絶賛して、新聞社に連載小説を書くようにお膳立てしたのが漱石だという。

その次の小説『春』から『新生』まではだらだらと内面告白する作家の私小説なのだが、驚くことに『新生』では姪っ子と関係を結んで妊娠させてしまうほとんど島崎藤村の事実と重なるという。そして、藤村はフランスへ逃げてしまうのだが、戻ってまた姪っ子と関係を持つようになる。芥川龍之介が『或阿呆の一生』で語り手に言わせた批評が的を得ている。

彼は「新生」の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった。

芥川龍之介『或阿呆の一生』

その10年前の島崎藤村に放った言葉も的を得ていた。

藤村氏が「新生」の第二巻を書いてますね。しかしいくら裸になろうとしても藤村氏は裸になれない人ですね。丸で玉葱みたいな人です。が、それでいて中味みたいな顔をしているのだから妙です。

『芥川龍之介氏縦横談』

『新生』で玉葱のような私小説を書いたあとに『夜明け前』で父親の小説を書くのだが、これは明治の文明開化を伝えた『破壊』と同じような歴史の変転を描いているのだが、最後に主人公(父)を狂死させたことで私小説になってしまったというのが橋本治の島崎藤村評だ。そこにフロイトの父殺しの物語をみる。

夏目漱石『坊っちゃん』

夏目漱石は明治の近代化に警鐘を鳴らした作家だ。『吾輩は猫である』の猫は自我を持つ近代化された化け猫で、変われない主人や前近代の生活を送っている者たちの間で、最後は死なねばならない運命にあったのだ。

そして『坊っちゃん』は前近代的な下女の清(キヨ)の思い出を引きずりながら、地方に赴任してきた江戸っ子気質の義理人情に熱い時代遅れの教師なのだ。坊っちゃんが成人しても大人になりきれない青年像としての姿は明治の日本そのものの姿と重なるのだろう。

しかし『坊っちゃん』では不完全だったのか、『三四郎』以下漱石は繰り返しこの問題を問い続ける。

伊藤左千夫『野菊の墓』

明治の文学は田山花袋『蒲団』の自然主義文学ともう一つの潮流が浪漫主義文学だとする。自然主義は自意識過剰などうにもならないオタク男を描いたとするならば浪漫主義は恋に敗れていく青年を描く。『野菊の墓』は、青春時代のラブ・ストーリーでそれまでの日本では書かれることがなかった青年の恋物語なのだ。子供と大人の間に青年というまだ責任を持てない男を描いていくのが明治の男の文学だった。『野菊の墓』はヒロイン民子に直接告白するのではなく「野菊」に喩えて大好きだという小説であった。しかし民子は責任が持てない半人前の青年との結婚は出来ずに親が決めた結婚をするしかなかったのである。その結果不幸にも死ぬことになるのだ。恋人の死が浪漫主義を形づくる。ロマンチック・ラブの典型的な作品なのである。

北村透谷

北村透谷は『楚囚之詩』で日本の近代詩に西欧の新体詩を持ち込んだとされるが、本が出版されるとあまりにも未熟だとして回収したのだ。『楚囚之詩』は牢屋に繋がれた孤独な男を描いたものだが、それまでの叙情詩では恋愛を読んだものが多いが思想的孤独を読んだ詩などはなかった。早熟な天才として自由民権運動へ参加するがあまりにも過激さから挫折。北村透谷は極めて反抗者というより論理的な思考の持ち主であったようだ。

元来、北村透谷が紹介されるのは少ないのはまともな詩なり小説がなかった。主に文芸評論で極めて特異な論理を発表し、明治の文学者に影響を与え続けた。しかし26歳という若さで自死、彼の抱えた孤独と純粋さは若者にありがちな直線的な行動原理で大人に成りきれなかったと言えばそうなのだが。

北村透谷が自由奔放な生活をする一方で妻から責められたという手紙は、男なら痛いところを突かれたという感じか?実際には結婚しているのに処女性を求めるという論理を責められてしまうのだが、ある種の純粋性に男が憧れるのはどうしてだろう。浪漫主義ってそういうことなんだが、今で言うアニメオタクの純粋性みたいなものか?透谷をヤンキーに例えていたけどオタクのほうが近いような。

そんな北村透谷が批判したのが硯友社の紅葉と露伴なのだが、彼は前近代的な「粋」や「任侠」世界を描いた。それは江戸町人文化の井原西鶴の世界から受け継ぐ性の自由を求める者たちの世界だが、北村透谷は西欧から入ってきたキリスト文化の処女性(モラルとしての)に憧れていた。そこが大人に成りきれない明治の青年像だった。それは漱石が煩悶しながら描いていく近代の男たちの姿である。ただ漱石はそれを乗り越えたから書けたのか?作り物ということだが、このへんはちょっと違う印象を持つが。

橋本治は明治以前の戯作文学を評価するので文語体も美文として受け入れる。それが幸田露伴評価なのだが、そこはやはりちょっと違う感想を持ってしまう。それは幸田露伴のバトンを受ける者が出なかった。明治から言文一致運動で文語体は一応口語体(それも文語体ということ出来るが)の系譜を繋いでいくのだろう。そのへんが高橋源一郎と橋本治の分かれ目なのかもしれない。高橋源一郎になるとやはり明治文学を信じていたのだと思う(故に田山花袋も評価している)。

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