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曼珠沙華 《まんじゅしゃか 》不良少女は菩薩となりぬ

彼岸花というより 曼珠沙華 まんじゅしゃげというほうが広がっていく気がする。何ゆえ山口百恵の歌は「曼殊沙華 まんじゅしゃか 」と読ませたのであろうか?

「まんじゅしゃげ」は仏教の花の意味だそうで、彼岸花より仏教的なのか?サンスクリット語だとマンジュシャカという読みもあるそうで、歌の音韻的なことで「まんじゅしゃか」にしたとか?ゲだと下げる感じでカだと上がる感じという。あと釈迦に掛けたのかな。山口百恵が菩薩になるのもこの頃か?今日の一句。

曼珠沙華 まんじゅしゃか 不良少女は菩薩になりけり 宿仮

ゴミ捨てに行ったら秋の匂いがした。ふと金木犀かと振り返ったがまだ咲いているわけがない。なんだろう?九月下旬だから、もうそろそろなのか?

昨日は久々に図書館。自習室ががら空きだった。夏休みが終わって学生が来なくなったからだろうか?臨時席も無かった。まあ、ゆっくり眠れるのでいい。眠たくて仕方がないのだ。

図書館本。予約が一冊に返却期限が一冊。結局、その一冊を返して、4冊借入。短歌本と俳句本をそれぞれ一冊づつと予約本に、橋本治『双調 平家物語』を借りた。「源氏物語」はもういいかと思って続けて「平家物語」だった。この「双調」ってなんだろう?

“双調”は雅楽で春を表し(Gコード)、「ふたつ」の意味と音の中に「騒擾」を含む、と、

つまりこれも橋本治のポストモダン(批評)小説ということか?

最初に謀反の歴史というような、権力側ではなくそれに反抗した者たちの歴史が語られる。マルケス『百年の孤独』と重なる。

マルケスの『百年の孤独』は池澤夏樹が称賛しているのか。読み解き支援キットなるものも出ていた。

『百年の孤独』バブルのような気がしないでもない。マジックリアリズムが注目されるのだが、それ以前にフォークナーとか読むべきものがあると思う。池澤夏樹はキリスト教の中心性が物語を破綻なしでまとめているとする。マルケスを真似して『マシアス・ギリの失脚』を書いたが出来がわるかったのはキリスト教的中心がないからということだった。大江健三郎とか中上健次はキリスト教でなくても物語を描いているが。フォークナーから出発したという方がわかりやすいと思う。土地の地霊と血族の話なんだよな。

マルケスは「マジックリアリズム」が注目されるが、もともとジャーナリストで確かなるリアリズムの部分があるから幻想性が成り立つのであって、『百年の孤独』もコロンビアの歴史の血族の話なのである。影響力を考えるとロベルト・ボラーニョ『2666』もそうなのかなと思う。

芝木好子『洲崎パラダイス』。タイトル作品だけ読んだ。映画『洲崎パラダイス 赤信号』の原作。「洲崎パラダイス」は売春法が成立する以前にあった遊廓なのだが、戦後の様変わりで遊郭に縛られる女性よりもそこを行き来する女性を描く。新しい女性像として、それまでのジメジメした娼婦ではなくあっけらかんとして性風俗に入り込む女性たち。セックスワーカーを仕事として割り切っているのだが、まだここには人情的なものを感じる。溝口健二『赤線地帯』に出てくる京マチ子や若尾文子のモデルもこの短編集に描かれているという解説は参考になる。

篠弘『疾走する女性歌人』が「シン・短歌レッスン」のテキストして。俵万智と中城ふみ子の共通性を指摘したのが面白い。どちらもベテラン俳人(主に男)から叩かれたのだが、ジャーナリズムをバックに評価が変わっていく。俵万智を塚本邦雄が評価していたとか、中城ふみ子を五島美代子が支持したとか。彼女らが中心となってその後の「女流(女性)短歌」が確立していく。

NHK短歌・NHK俳句と見て『光る君へ』。最初の興福寺の僧侶たちの襲撃シーンはもう少し背景が知りたかった。ここから平家が出てくる感じか?貴族社会から武士の時代へ。

再び山口百恵の歌から今日の一首。

曼殊沙華
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横須賀ストーリー
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