シン・短歌レッス113
見戀(みるこひ)
塚本邦雄『戀』から「見戀(みるこひ)」。
良経は平安末期の九条兼実の次男で当時の権力の中心にいた若き歌人。
「見恋」は「人を三(見)島江の」でさり気なく掛詞だという。黄昏は「誰そ彼」。初句切れも柔らかな感じであり、たゆたふような「葦の迷ひ」で受ける。「ほのぼの人」は薄明の人影。水墨画のような心象風景だという。良経は『新古今集』の中でも式子内親王と共に和歌の頂点に立つ人だという。定家よりも上だと見ているようである。
起きられない朝のための短歌入門
西行
目崎徳衛『西行』から「富士見西行をめぐって」
和歌の本では定評がある目崎徳衛『西行』を読もうと思う。過去に在原業平や小野小町でもその歌論に惹かれた。
さて、西行はどんな展開になるのか?まず最初に各地に残された西行の伝説をめぐって、国文学者からは西行の歌から西行像を見るべきではないのか?その他の伝承なんて嘘話なのだから、とそうそう業平も小町のそのような伝承話よりも和歌を見るべきだというのは持論だとおもっていたのだが、その伝承もすべてが嘘話でもなく、西行は高野聖であることから柳田國男などはその伝説に注目したという。西行は歌人だけに留まるべきの人ではなく、武士であったり僧侶で合ったりした中で政治や宗教にも多大な影響を与えた人だとする。
現代短歌史(「未来」の創刊理由)
篠弘『現代短歌史Ⅱ』から「「未来」の創刊理由」。戦中派・戦後派の「アララギ」である近藤芳美が若手の受け皿として、もう少し実験的な場を求める者たちに作った同人誌。まだあった。
短歌でたどる戦後の昭和
島田修三『短歌でたどる戦後の昭和 昭和遠近』という本が面白そうだったので借りてきた。今日から少し読むことにする。『昭和万葉集』として収められた8万首の中から選ばれたものだという。
著者の昭和30年代の情景だという。貧しくともコロッケのホカホカ感かな。今はコロッケのホカホカ感はあるかな。揚げたてのコロッケは肉屋で売っていたような。ハムカツが好きだったな。経木はそういう木の包のことだという。それは記憶になかった。すでに紙だったかな。
父は戦争で米軍の捕虜となったので息子とアメリカ文化の受け止め方のちがいか。
戦後復興期にはジャズのリズムが溢れていたんだよな。そういう世代がアニメソングとか作っていた。私がジャズが好きなのはそうしたTVの影響なんだよな。「ジャングル大帝レオ」とか今聴いてもときめく。
戦争孤児たちの靴磨き。もうそういう人はいなかったな。宮城まり子『ガード下の靴みがき』という歌がヒットしたそうだ。美空ひばりも靴みがきの歌があったよな。
母はあまり歌わなかったが叔母さんがひばりが好きで年中レコードを掛けていたような。
靴みがきの孤児たちは大人びていっぱしに煙草などをふかしたりしていたという歌。イタリア映画『靴みがき』でそういうシーンがあるとか。
デ・シーカの『靴みがき』の予告編はなかった。
池袋で働いてた時は全然知らなかった。後の赤坂真理『東京プリズン』を読んで知った。2. 26事件の銃殺処刑場も渋谷にあるのだ。普段はそういう場所は意識しないが、東京のあっちこっちにはそういう者が眠っているのだという。
幻魔大戦だな。
佐伯裕子の祖父がA級戦犯とされた帝国陸軍大将だったという。『昭和史発掘』にも出てきたかもしれないな。
この短歌は有名だけどいまいち好きになれないんだよな。妻のコトバが言い訳じみて。共犯だったろうと。
連歌にするといいのか?後の句のやりきれない気持ちが出ていると思う。
『短歌研究』
自歌合特集だった。これは面白いかもしれない。でも歌合やればいいのにと思ってしまう。自歌合は内輪的に感じてしまう。当たり障りのない批評で。
左は、馬場あき子さんぐらいの年齢の方なら豆腐には籠ではなく鍋とかボールとか水ごと持っていく豆腐屋で買う豆腐を連想したかったなと思うのである。籠だと水ごとではなくスーパーのパックに入った豆腐だろう。鍋に水と一緒に入れてもらって「しづまり」になるイメージ。そしてその鍋で湯豆腐とかでいっぱいやると怨むこともなくなるのだろうか?
右の方は「なし」のリフレインが出し尽くしたことでさわやかになる人がいるのかな。言われた方はさわやかでもないと思うが。そう言わせておけという心持ちが爽やかな人なのかもしれない。よって左の勝。右勝になっているのは吉川宏志の判定。
ちょっと関係ない話をするのだが、歌合 左右が逆なのはなぜ?左、右って実際は右側に左とあって、逆に左側が右になっているのはなんでだろう。前から気になっていたのだが、答えがわからない。まあ、自分も本当は上下なのに左右と書いているので突っ込まないようにしていたが。
左は要はセックスしたいと言っているのだろう。こんな句は取れない!右の方が彼岸に誘われているようで不気味な感じがいい。よって右の勝。
「高千穂」がわからなかった。
左は「高千穂」をそのまま歌っているようだ。いわゆる無難な歌かな。右は「闇」が引っかかる。天照大神が岩戸に隠れたのも闇だし、そういう闇が存在する世というのを歌ったのがいいかな。栗木京子の批評は「見飽かざる」と重ねていることに、闇に魅了されている作者を読み取っている。
左「試し刷り」が何か年賀状みたいなものかと思ったら青空の比喩だった。これは素晴らしいと思う。右は「面罵」がよくわからなかったがネット検索して「面罵」されているように感じたから左の勝。持は引き分けなんだが、これだけ違う歌に引き分けはないと思うが作者に気を使ったのか?判者はAIの句を取りたかったような。「青空よ」という呼びかけとAIの小ささの対比が良いという。栗木京子的には自然を歌った方が良かったような。
テレビでも時事ではなくドキュメンタリー番組か。たぶん彼は癒やしを求めていたと思うから左の勝だな。右は疲れるから寝るという感じだろうか?
左はどうでもいい歌だな。勝手に寝てろという感じ。右も秋の隣は冬なのにまだ冬が来ない温暖化なのか?夕焼けがきれいというのは隣の電車に反射しているのだろうか?いや。夕焼けと電車の光景なんだろうな。絵的に右が勝。小池光は隣の電車に乗っている女の子が綺麗だと読んでいる。女の子を夕べに喩えたのか?なんかあったみたいじゃないか?デートの別れなのかもしれないな。その読みはいろいろ空想が広がり面白い。
口語の旧送り仮名は面倒だな。口語だったら新送り仮名がいいと思った。勝敗には関係ないが。右の方が不思議な感じがするかな。右の勝。平井弘は定形を崩すことをやっているとか。右は句跨りだが、まだ定形を保っているということで、左の方が八六八九の三十一文字でリズムが独特だという。それなら仮名も新仮名にすればいいのと思ってしまう。
これもリズムを崩しているのかな。ほとんど定形だった。ただ左の「狂うって」の導入部が面白い感じがする。竜頭に合っている。判者は右の方が歌としてまとまっているが左の破調が勢いがあるということだった。
定形を疑うこともなく定形に則った模範短歌のような歌だった。左はリフレインの心地よさが呪文のように、右は対句的にこれが正しい短詩の形だと言わんばかりだ。「聖かたつむり」という言い方が好かない。まだ眠くなる呪文の方がいいだろうと勝は左。
左は「粉薬」はロシアが風邪(戦争)を引いたらの喩えかな。「四捨五入したら」らというのがもうロシアみたいな言い方だな。右は(コート)はオーバーより薄い記事だと読んだことがあり、ここは(オーバー)だろうなと。やを付けた切れは生きているのか?一字空けと重なるので不要な気もする。よって左の勝とするが。穴がありすぎるような。
左は白い水仙と黄色い水仙があり白い水仙を選んだわたしという清純さアピールみたいなものか?右は縊死がナルシスの水仙をイメージしているのだろうがやっぱ水死のほうが合っているような気がする。縊死のおどろおどろしさもあるが、さわやかな左の方が川野里子のイメージかな。よって左が勝。大森静佳の批評は右は水仙の花の傾きが縊死している写生なのだと、そうなると川野里子に自殺願望があるのだろうか?「向かふ側」も異界と読む鋭い指摘だった。大森静佳は出来る人だな。
左はどういうことだ?窓から見た赤富士だと思うのだが「揉むごとく」がよくわからない。右は「こども」のリフレインが見事だな。初句の「ほっぺたが」の言い方もいい。網戸のように畳の跡を付けて寝ている様子がイメージ出来る。そこだけ特別な空間を作っている母の視線。右が勝だろうな。「丹頂」は鶴だった。動物園だったのか?「まなざいに揉む」も先行の短歌をイメージしているという。大森静佳は出来すぎだな。なかなか読みきれないところがある。
左は蟻の生態を「言葉以前の」という本能が「闇深き」を求めるイメージか?右はファンタジー短歌で「茸」がそれをイメージする。スマホ世代の明るさかな。深いのは左のような気もするので、左の勝。判者の千種創一は結句の韻律が「かたわらに置く」は固すぎで、左の「闇深きかな」は勢いがあるとする。これもなかなかの読みだった。
ひだりは散文的な短歌だけど対句が効いているのか。右は積もらないのが「鬱」になっていく「あなたの声」というのは分かるな。右の勝か?右は初句と二句の句跨りでもあったのか。そこまで読めなかった。ただこの句跨りは平凡だな。「ゆきのつも らないかわもを」あまり効果的じゃないような。
言葉を・で並べて、戦争アニメのように語るストーリーと、その物語の帰還兵みたいなフィクション。右の方がいいかな。平岡直子は苦手なタイプ。うすかすかの箱はAmazonなのか?面白いな。
もしかして左に上げる短歌のほうが作者の自信作なのか?右は実験的な感じがする。猛毒の友は批評家の友ということか?面白い短歌だと思う。左はいかにも短歌だな。完成度は高いが、実験的な右の勝。平岡直子の批評は結構的確のような。左は短歌に読み慣れた者の秀歌なんだよな。右は塚本邦雄崩れの悪あがきとする。なるほど。
「短歌研究新人賞」は過ぎてしまっていた。一月末日って、珍しいような。三十首の連作だった。
NHK短歌
四月から講師が代わるんだな。現代短歌らしい講師陣かも。今週は「リフレイン」ということだったが学びは少なかった。スリーワード・リフレインやってみたいな。ブルースっぽくなるかも。
中途半端な時間になってしまった。
「うたの日」
は最終間に合わずに明日の朝一だけど、朝一はなかなか出ないんだよな。
もう出てた。テーマかな。「人生が360°変わる一首」。難しい。とりあえず本歌見ていこう。
「葦の迷ひに」か。パスカルだな。人間は考える葦である。言葉か。歌か。
これでいいか?安易過ぎるような。♪8つは多いのか少ないのか?まあ348人参加していてのこれだからな。ただこれだけ多いと全部は見てられないで適当に感覚で付けるから深読みは出来ないよな。それで内容よりも韻律で攻めてみたのだが。私的にはなかなかいいと思うんだけどな。葦6回で正しく葦の迷いで葦で考えた歌だから。かなり超絶技巧をやったつもりなのだが。
映画短歌
『ミツバチと私』
本歌は西行の歌にして、それと歌合形式にしよう。