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シン・俳句レッスン165



日本短詩形の変態

堀田季何『俳句ミーツ短歌』より「日本短詩形の変態」。
堀田季何が短歌もやっていたとは知らなかったが俳句での約束事の多くに嫌気がさす身としては、堀田季何の俳句を面白く読み、その繋がりでこの本を図書館から借りてきた。

堀田季何は俳句も短歌も短詩形と捉え文字数(音韻数)の違いでしかないという。そこまではなかなか言い切れないがかつての新興俳句では俳句はもっとも短い短詩として考えていた。そこから川柳との境界もなくなっていくのだが、俳句らしさは残していたと思う。それは川柳が諧謔性の強い俳句ならば、俳句はもう少し文学に近い志をもっているのか?その辺りも川柳にも十分文学性が高いものもあれば、俳句にも文芸のまま留まるものもある。

それは俳句が俳諧から独立したものであるという自意識の文学であるとした正岡子規によっているところが大きい。そこに写生という西欧絵画の手法で持って無意識なものを意識的な自意識で描いていくのが俳句だとしたのだ。それは短歌の連歌から系譜俳諧(連歌が貴族のゲームとして、俳諧は貴族意外の武士や町民によって広まっていく)との違いして、独立したアイデンティティ(自意識=内面)の獲得として明治の文明開化と共に広まって行ったのだった。

しかしそれは当時の富国強兵政策によって国民国家としてまとまろうとした権力側にとっては不都合なのである。権力側に付けない作家は反権力的な自己を読み、その運動はやがて弾圧されていく。新興俳句運動がそういう憂き目にあったのだが、川柳でも鶴彬という作家がそうした国家によって獄中死させられた。

現代の自由に発言できる場を求めて誰もが言いたいことを短詩形という17文字(短歌では31文字)で表現できるということは重要なことなのだ。

そこに俳句では様々な約束事が権威筋から決められる。季語や定型文字数(文字音なのだが)など。それに反発したのが新興俳句や自由律や川柳であった。

堀田季何『人類の午後』

水晶の夜映寫機は裂けたか 堀田季何

前文に『リアリティとは、「ナチは私たち自身のやうに人間である」といふことだ』(ハンナ・アーレント)のエピグラム。詞書に「一九三八年一一月九日深夜」。水晶の夜は、ナチス支持者がユダヤ人商店街を襲撃した事件。無季だが季語代わりの「水晶の夜」というくり返される歴史を詠んだのか?
映寫機はその記録を映し出す機械だろうか?

息吐く唄うガス室までの距離 堀田季何

アウシュヴィッツのガス室と現在の自身の距離を言っているのだろうか?それをつなぐ唄(歌)なのである。

和平より平和たふとし春遅遅と 堀田季何

実際に現実として出会ったことよりもイメージとしての短詩としての俳句。なんだろう、そこ空気感というか、冷え冷えする。

戦争と戦争の間の朧かな 堀田季何

白泉の戦争俳句を連想する。

戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡邊白泉

判然と虻の翅音や避難壕 堀田季何

避難壕の劣悪な環境を詠んでいるのか。音韻をH音で揃えている。

麦藁の敷詰められて尋問室 堀田季何

「麦藁の敷詰められて」は急遽尋問室になった納屋とかだろうか?いろいろ深読みが出来るな。

方陰にゐて処刑台より見らる 堀田季何

「処刑台」は旧字。その字数の多さが現代の漢字よりも重々しい。

少年少女焚火す銃を組み立てつつ 堀田季何

日本の風景とはまるで違う焚火の情景。

ぐちぐちよにふつとぶからだこぞことし 堀田季何

虚子の句のパロディだがひらがな書きで凄惨なシーンを詠んでいる。

文芸選評

俳句 兼題「流れ星」
毎週土曜日にお送りしている『文芸選評』。今回は俳句で、兼題は「流れ星」。選者は俳人・髙柳克弘さん。司会は石井かおるアナウンサーです。

兼題は写生句ではないので自然二物衝動の象徴句になるんだろうか?「流れ星」の象徴を考えてみる。

流れ星燐寸するひと 秘部を見つ 宿仮

マッチ売りの少女を連想したのだが、マッチ売りという売春の意味と暗部がブラックホール的な闇を詠んだ。

流星やウルトラマンを信じて着ぐるみ 宿仮

字余り。

着ぐるみやウルトラマンの星流る 宿仮

こんな感じか。

流星の聖夜となりぬマッチング 宿仮

現代の失恋は流星のようだ。

こんな感じか。松尾芭蕉の興味は師匠の小澤實を引き継いでいるのか?

芭蕉の風景

小澤實『芭蕉の風景』から「[解説一]貞門から談林へ」

「貞門(ていもん)」は俳諧の一派。古典文学の引用など雅な句を持ち味とした。芭蕉は季吟門の俳人、蝉吟(せんぎん)とともに修行するが蝉吟が没すると伊賀を出て江戸に向かう。芭蕉の最も古い句。

春や来し年や行きけん 小晦日こつもごり  宗房

宗房は当時(この句は十九歳)の俳号。小晦日は大晦日の前日の30日。立春が年内にあったことの驚きを歌にしているという。業平の歌の本歌取り。

君や来し我や行きけむ思はえず夢かうつつか寝てかさめてか 在原業平

『古今和歌集』『伊勢物語』

江戸に出て談林に師事する。談林は言葉遊びの世界を排して、当時の流行を詠む。

大裏雛人形天皇の御宇とかや 桃青

江戸に出て俳号は桃青。この句は当時の歌曲「仁明天皇の御宇かとよ」を引用。歌曲から引用するのも談林俳句の特徴の一つ。芭蕉も最初は真似っ子だった。

「[解説二]漢詩文調と芭蕉」

芭蕉野分して盥に雨を 聞夜 きくよかな 芭蕉

芭蕉が深川に芭蕉庵で生活する時の句。杜甫の「茅屋秋風に破らるるの歌」を踏まえている。芭蕉は杜甫を敬愛していた。漢詩風な表現であり、確かに「我」という主人公を詠んでいる。そして芭蕉という新俳号を使った句でもあった。

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