四元康祐(翻訳)ディキンソン「詩人について」
『ダンテ、李白に会う 四元康祐翻訳集古典詩篇』からディキンソン「詩人について」。詩人見習いとしては誰を手本にすればいいのか?こういう詩に弱いのである。四元康祐は模範にしたい現代詩人の一人だけど、ディキンソンはノーマークだった。
なんかアメリカの詩人の本で読んだ記憶があった。かつてここでもやっていたではないか?忘れっぽいと言えばそういう性格なのかもしれない。
「玄関先に打ち捨てられた」というのは主婦感覚ということだろうか。夫がゴミを出すべきなのに忘れていきやがってとか。怒りは詩になる?
この辺は俳人でも歌人でも一緒だと思うのだが、それがヒットするのは難しい。だから炎上商法(すでにマーケティングとして実証済み)か?
このブルジョア詩人め!なのか?お前らは貧しいと読者に向かって言うのか。それもテクニックということなのだろう。
何かを所有しようと思う者はその物に所有されるという禅問答みたいな話で「天衣無縫」は面白い四文字熟語だった。読めないよ。時間外から眺める者というのは、同じ土俵に立たないということか?客観視するんだな。
「本当のことを言おう」という炎上商法か?こういうのが多いのだ。そんなの一ミリも信じてないが。とりあえず掻き回しておこうとか。ただここはディケンソンよりも四元氏の私情がはいっているのかもしれない。ディキンソンが「おれたち」などと労働者階級の言葉は使わんだろう。
ここらへんの翻訳は鮮やかだな。ゴンベイなんてディキンソンが言うのか?甚平さと答えたくなる。鮫の話だ。
蛙の歌が好きなのだ。芭蕉とか一茶とか。あとしんぺいも?名前はど忘れ。
最初のニ行は共感しかないな。
お見事だな。ディキンソンは実生活では引きこもりで戸外の世界を眺めていたとか。