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ノスタルジーだけの短歌は後味が悪い

『昭和遠近: 短歌でたどる戦後の昭和』島田修三

戦争の記憶、平和への思い…貧しさの苦さ、繁栄への願い…歌人がたどる昭和のこころ。
目次
昭和万葉集
ジャズのリズム
戦争孤児
東京拘置所
十五年戦争
あやしき人
兵士たち
学校給食
練乳
寄生虫〔ほか〕

『短歌で読む 昭和感情史 』と同時に借りたのだが、感情というのが単なるノスタルジーに伍するとあまり面白くないと感じる。その時代のリアリティよりも昔懐かしいという歌が多くて、途中で飽きてきた。戦時のリアリティを求めるものではないが、何か今の生活が安定して上で、昔の貧しさを懐かしむようなそんな昭和のアンソロジーのように感じる。その時代に作られた短歌はけっこう驚きがあるのだが、ノスタルジー短歌は、ありきたりなイメージでしかないように感じてしまう。

クレゾールに女店員が浸しるる足は霜焼けて暗きくれないゐ 中条ふみ子

『乳房喪失』(1954年)

この歌には当時の驚きの生活史がある。

夕刊を配る少年など見なくなり昭和は遠くなりにけり嗚呼 小澤一恵

『遠くへ行きたい』(2020年)

上の歌だとただ新聞配達の少年を懐かしむだけの歌で、販売店制度の中で新聞販売店がノルマを背負って奨学金目当ての少年たちを奴隷のように働かせていた実態とかが出てこない。一主婦の感想かよ、と思ってしまうのだ。

こういうノスタルジーが蔓延ると悪い面は忘れてノスタルジーだけで昭和はいい時代だったと勘違いさせてしまう保守的な面が見えてきてしまう。そういう歌はだいぶ時間が過ぎてからの歌に多いのだ。

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