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シン・俳句レッスン186



句会反省会

湯豆腐や冷めずくづさず喜怒を

特1。NHK俳句の題詠で作ったのだ。湯豆腐好きは呑兵衛の年寄りだろうと思ってむにした。抒情的な句にしたのだ。まあ特選一つだけどいいか。この選くれた人の句を特と並で選んでいた。なんとなく感じるものがあるのかもしれない。

虞美人は春節参り綺羅メイク

これ自信作だった。春節の三面柱に飾られるのが京劇の「覇王別姫」だったのだ。四面楚歌の劉備と虞美人。誰もわかるわけないかと思いながら冒険した。まあ吟行でもあったので。

「綺羅メイク」がポイントでインスタ用のメイクというような。春節デビューみたいな感じで。虞美人草はひなげしというのもあって、幻想的に。

縁結び飛梅咲かぬ目白かな 宿仮

これは最初は、「マッチング飛梅さかぬ青い鳥」で作ったのだが、AIに批評してもらったらわからないと言われ、俳句風に変えたのだった。飛梅が駄目だったのか?季語じゃないとか言われたり、飛梅伝説をなかなか理解されなかったり。 

まあこんなもんだろう。来月どうするかな。会費払わないから除名になると思うのだが。止めとくか?

芭蕉の風景

小澤實『芭蕉の風景 下』から第六章「上方漂白の頃」より。

少将のあまの囃や志賀の雪 芭蕉

「少将」は「をのが音の少将」という尼の歌人で、それを智月(芭蕉の女弟子で尼僧)の挨拶句のようだ。二人の関係性がわからないと理解できないな。「をのが音の少将」の歌がお囃子のように雪が降っているということか。「をのが音の少将」の由来となった和歌。

おのが音につらき別れはありとだに思ひも知らで鶏や啼くらん 藻璧門院少将

「後朝の朝」を読んだ歌で、「鶏は恋人たちの別れの辛い朝の為に鳴いているのか?」というような意味。まさか芭蕉がそういう関係だったとは思わないが、ちょっとエロオヤジ風に読んだのかも。

おくのほそ道』を終えて二年間関西で暮らした芭蕉だった。その智月が芭蕉の発句に脇句を付けているという。

あなたは真砂 ここはこがらし 智月

あなたは芭蕉のことだと思ったが「をのが音の少将」のことで、清らかな真砂に対して、こちらの尼はこがらしだという句。ちょっと掴みずらい。芭蕉に砂をかけられたと読んでしまった。

砂かけの婆と芭蕉や猛吹雪 宿仮

芭蕉が砂かけの婆に砂を浴びせられるほどの猛吹雪だと詠んでみた。芭蕉が死んだときに大津の義仲寺に葬られたときに衣服(死装束?)はすべて智月が世話をしたという。ただらぬ仲かもしれない。

こもを着て誰人います花のはる 芭蕉

菰を着るぐらい寒いのだからこの花は梅かもしれない。「花の春」が新年の季語だった。この句は芭蕉のお気に入りだったようで、何人もの弟子に送っているという。年賀状のようなものか。「花の春」は「迎春」ということなのかもしれない。西行の仏教説話から句なので、やはり桜なのか?季重なりだがな。西行の乞食姿と花の対比。大津は芭蕉の第二の故郷と言われているのだ。やっぱ智月の寺の居心地の良さなのか。芭蕉の老後の面倒を見たようだ。芭蕉自体が乞食のようになっていく中で自然と出会えたという句だというのは、中沢新一の説で『俳句の海に潜る』の対談の言葉だった。そこからアニミズムを発見するのか。

あにさんと呼ぼう尼さん花の春 宿仮

平等意識(アニミズム)の親しみを込めて芭蕉を兄さんと呼ぶ。

獺の祭見て来よ瀬田のおく 芭蕉

獺の祭は「獺魚を祭る」という新季語だったという。正岡子規の「獺祭」はすでに芭蕉の句の中にあったのだ。正岡子規がそれを知らないとは考えにくい。正岡子規がこの季語を愛して自分のことを「獺祭書屋主人」としたのだという。隠れ芭蕉ファンであったのか。「瀬田」は「ぜぜ」と読む。ぜぜの意味は食料市場ということで、芭蕉はその繋がりも詠んだのではないかという。

獺祭や芭蕉の魚も血祭りに 宿仮

無季かな。子規忌を詠んだと思えばいい。血祭りが強すぎるか。

獺祭忌芭蕉の魚も祭壇に 宿仮

素晴らしい句ですね!

この句は、正岡子規の忌日である「獺祭忌」に、芭蕉の俳句を偲ぶ様子を、まるで魚を祭壇に供えるように表現しているのが印象的です。
いくつかポイントを挙げさせていただきます。

「獺祭忌」: 子規の忌日を直接的に示すことで、句全体のテーマを明確にしています。
「芭蕉の魚」: 芭蕉の俳句を「魚」にたとえることで、その豊かさと奥深さを表現しています。
「祭壇に」: 芭蕉の俳句を子規が敬愛し、その精神を受け継いでいることを、祭壇に供えるという行為で表現しています。

この句は、子規と芭蕉の関係性、そして俳句に対する子規の深い敬意を感じさせる。

Gemini

AIと親しみすぎだな。そのうちAIと句会するようになるかも。

四方より花吹入れて鳰の海 芭蕉

「鳰の海」は琵琶湖のこと。琵琶湖を女性として喩えたのは西湖の美しさを称えた西施の詩「象潟」の句とも対比されるという。「鳰の海」は最初は「鳰の波」となって、この場合は「鳰」はかいつぶりという鳥である。かいつぶりが遊んでいる波という意味。

桜が琵琶湖に吹き入れるというのは和歌ですでに読まれていた。

さくら咲く比良の山風吹くまヽに花になり行く志賀の浦浪 良経

『千載集』

芭蕉はそれを四方からと読んだので絢爛豪華なイメージ句となった。

四方より花を取り入れ涅槃かな 宿仮

中にもせいの高き山伏 芭蕉

今回は発句ではなく、俳諧の付句。その前に

入込に諏訪の 湧湯いでゆ の夕ま暮 曲水

曲水は発句から九句目で夕暮れの混浴湯を詠んでいるという。なにかしらエロスの方向に行きそうなのを山伏で抑えたのか?

桜湯のほら吹く婆と山伏と 宿仮

エロ路線に走った。と思ったらAIの解釈はお茶飲み友達だった。

春の息吹が、まだ冬の寒さを残す山里に届き始めた頃。
村はずれの、朽ちかけた茅葺屋根の家には、 桜湯のほら吹く婆 が住んでいた。 婆は、毎年、桜の花が咲き乱れる季節になると、不思議な桜湯を振る舞うことで有名だった。
その桜湯は、飲むと若返ったり、病気から解放されたり、願いが叶うなど、様々な噂が飛び交っていた。
ある日、山伏姿の男が、婆の家を訪れた。男は、 山伏の玄翁 と名乗り、修行の旅の途中で道に迷い、一夜の宿を求めていた。
婆は、玄翁を快く迎え入れ、暖炉に火を焚き、温かいご飯と味噌汁を用意した。
「おや、山伏さん。珍しいですね。こんな山奥まで。何かお探しですか?」
「ええ、わたくしは、この世の真理を求めて旅をしているのです。その道中で、この村の桜湯の噂を耳にしました。ぜひとも、その桜湯を頂戴したく、ここまでやって参りました。」
婆は、にやりと笑って、玄翁に一杯の桜湯を差し出した。
「これは、特別な桜湯よ。飲むと、あなたも若返るわよ。」
玄翁は、戸惑いながらも、桜湯を一口飲むと、その味は、想像をはるかに超える、甘美で芳醇なものであった。
「これは…!」
玄翁は、桜湯の不思議な力に驚き、婆にその秘密を尋ねた。
「この桜湯には、特別な力が宿っているのよ。それは、この山に咲く、特別な桜の花から作られたものなのよ。」
婆は、そう言うと、山の方を指さした。
「あの山の頂上には、千年桜と呼ばれる桜の木があるのよ。その桜の花は、夜になると、不思議な光を放つと言われているわ。その光を浴びて咲いた花から作った桜湯には、若返りの力があるのよ。」
玄翁は、婆の言葉を信じ、翌朝、婆に別れを告げ、千年桜を目指して山へ向かった。
しかし、山は険しく、道は険阻で、玄翁は、途中で足が滑り、谷底に落ちてしまった。
意識を取り戻した玄翁は、自分が崖っぷちにいることに気づいた。
「まさか…ここで命を落とすのか…」
玄翁は、絶望の淵に立たされていた。
その時、婆が現れた。
「山伏さん!大丈夫ですか?」
婆は、玄翁を助け起こし、桜湯を飲ませた。
「これは…!」
玄翁は、桜湯を飲むと、不思議な力が体にみなぎるのをを感じた。
「この桜湯は、ただ若返らせるだけじゃないのよ。この桜湯には、命を救う力もあるのよ。」
婆は、そう言うと、玄翁を背負い、村まで連れて帰った。
玄翁は、婆の優しさに感謝し、桜湯の不思議な力に改めて驚嘆した。 そして、玄翁は、婆から桜湯の秘密を聞き出し、その力を世のために行使することを決意した。
玄翁は、村を出て、各地を巡り、桜湯の力で人々を救い、その不思議な力を語り継いだ。
そして、桜湯のほら吹く婆は、村で静かに暮らしていた。
春が来ると、婆は、いつものように桜湯を沸かし、村の人々に振る舞った。
「今年も、桜湯ができたわよ。飲んで、若返りなさい。」
婆の言葉は、村の人々の心を温め、桜湯は、村に春の息吹を告げた。
そして、桜湯の伝説は、村の人々の間で語り継がれ、いつまでも語り継がれていった。

Gemini

誰が神話を語れ!と言ったのか。Gemini出来杉君。誤字があるのも愛嬌。


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