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この「紋所(国体)」が目に入らぬか

『国体論 菊と星条旗 』白井聡(集英社新書– 2018)

天皇とアメリカ
誰も書かなかった日本の深層!
明治維新から現在に至るまで、日本社会の基軸となってきたものは「国体」である--。
象徴天皇制の現代社会で「国体」? それは死語ではないのか? 否、「国体」は戦後もこの国を強く規定している。一九四五年八月、大日本帝国は「国体護持」を唯一の条件として敗戦を受け容れた。ただし、その内実は激変した。「戦後の国体」とは、天皇制というピラミッドの頂点に、アメリカを鎮座させたものなのだ。
なぜ、かくも奇妙な「国体」が生まれたのか。「戦後の国体」は、われわれをどこに導くのか。『永続敗戦論』の白井聡による、衝撃作!

副題の「菊と星条旗」はベネディクト『菊と刀』を模したのだろう。アメリカは日本の敗戦前にすでに戦後処理を研究していた。「全責任を負う」という天皇の言葉を聞いてマッカーサーが感動したというエピソードが、天皇制の存続を決めたとされるが、実際はすでに戦後処理はもう決まっていて、そうした美談を物語ることによってマッカーサーの元帥としての地位を安泰させた。鬼畜米兵から天皇の腹心となる。天皇制を利用して、天皇の代わりに権力を得る従来の二重構造の「国体護持」に他ならない。

それを象徴するのが天皇と並んで撮った写真で、天皇は神から人間宣言する地位に象徴として置かれた。GHQの取り引きで天皇制は存続。その代償が戦争の放棄(憲法9条)だった。坂口安吾が『堕落論』で衝いた天皇崇拝者の二重意識はまさにそのことを批判していた。

平安末期、藤原氏の「執政」は自身が天皇に服するように見せかけて権力を行使した。人民を支配する構造で戦時も戦後の憲法も天皇を冒涜していながら盲目的に崇拝している。戦後民主主義政治の実体は米軍従属というナンセンスである。砂川事件はその事例(米軍が日本の最高裁を牛耳る)。

ポツダム宣言の日本側の受諾条件は「国体護持」だった。それを受けて天皇を加えた御前会議で「御聖断」がくだされ、連合国側に「国体護持(天皇の国家統治の大権)」が保証されるか確認した。そのときの連合国の回答を権限の制限(subject to)と解釈したのが日本だった。英語解釈の常識に照らせば(subject to)は「隷属する」で陸軍はそう解釈して対立したが、占領期の目的が達成された後には日本国民の意志に委ねられるので「君主制廃絶」を意図するものではないと判断を下す。

戦後レジームの形成期に日米安保条約を巡る議論に片面講和条約(アメリカとの)か全面講和条約(ソ連・中国を交えた)を問われたが、親米保守勢力は日米安保条約として片面講和条約によって主権は回復できるとした。1960年の安保闘争になる。しかし条約は阻止できず岸内閣の退陣となった。安保闘争は全学連闘争に引き継がれるが戦後の「国体」の安定をもたらした。岸内閣の退陣は戦後民主主義の前進であり、条約阻止できなかった(30万の国会デモ)のは戦後民主主義の限界として、米軍従属の「国体護持」が安定していく。

「戦前の国体」は「天皇の国民」から「国民の天皇」(2.26事件に影響を与えた北一輝の理念)に至ったが挫折し、天皇の名の元に軍部の独裁政権になっていく。

「戦後の国体」は「アメリカの日本」から「日本のアメリカ」になってアメリカの元で米軍従属国家になっている。「愛国=親米」という図式が親米政権に異なる意見を持つ者をすべて反日=左翼でくくる(沖縄基地問題)。欧米の仲間入りで、アジアで唯一の一等国としての観念だけで、実際には経済不況を顧みない国民と政治家たち。アメリカの属国としての国体を再定義する必要がある。(2019/10/31)

関連書籍:『永続敗戦論』白井聡

参考書籍:坂口安吾『堕落論』


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