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一記事三千円でネットで稼ぐ身体障害者の小説

『文学界 2023年 05 月号』

第128回 文學界新人賞決定発表 受賞作全文掲載
市川沙央(いちかわ・さおう)「ハンチバック」
私の身体は生きるために壊れてきた――強烈な生命力とユーモアが選考会に衝撃を与えた、ある女性の闘いの記録!

【選評】阿部和重・金原ひとみ・青山七恵・中村文則・村田沙耶香

【創作】山田詠美「肌馬の系譜」

【特集】12人の“幻想”短篇競作
山尾悠子「メランコリア」
諏訪哲史「昏色(くれいろ)の都」
沼田真佑「茶会」
石沢麻依「マルギット・Kの鏡像」
谷崎由依「天の岩戸ごっこ」
高原英理「ラサンドーハ手稿」
川野芽生「奇病庭園(抄)」
マーサ・ナカムラ「串」
坂崎かおる「母の散歩」
大木芙沙子「うなぎ」
大濱普美子「開花」
吉村萬壱「ニトロシンドローム」

【鼎談】
いとうせいこう×奥泉光×渡邊英理「「(再)開発文学」としての中上健次」
ダルンデンヌ兄弟×小野正嗣「現代の奴隷制を告発する」

【対談】王谷晶×西森路代「新しいセクシーさをめぐって」
【エッセイ】吉川一義「プルースト没後百年のパリ」

【追悼 大江健三郎】
蓮實重彦「ある寒い季節に、あなたは戸外で遥か遠くの何かをじっと見すえておられた」
多和田葉子「個人的な思い出」
町田康「狂熱と鬱屈」
中村文則「再読する(リリード)、ということ」
〈対談〉島田雅彦×朝吹真理子「理性と凶暴さと」
松浦寿輝「誠実と猛烈」
安藤礼二「大江さんからの最後の手紙」
阿部和重「Across The Universe――大江健三郎追悼」
長嶋有「もう、大江さん!」
星野智幸「「大江健三郎という権威」を批判する大江さん」
横尾忠則「散歩中の会話」

【巻頭表現】大塚凱「裸眼」
【エセー】山﨑修平「SPとNMS」/鴻池留衣「シン・仮面ライダーのエロさ」

【強力連載陣】砂川文次/金原ひとみ/綿矢りさ/宮本輝/奈倉有里/王谷晶/辻田真佐憲/藤原麻里菜/成田悠輔/平民金子/津村記久子/高橋弘希/松浦寿輝/犬山紙子/柴田聡子/河野真太郎/住本麻子

【文學界図書室】遠野遥『浮遊』(渡辺祐真)/中森明夫『TRY48』(宮崎智之)/千葉一幹『失格でもいいじゃないの――太宰治の罪と愛』(青木耕平)/木村衣有子『BOOKSのんべえ』(花田菜々子)

表紙画=柳智之「河野多惠子」

出版社情報

第128回 文學界新人賞決定発表

【選評】阿部和重・金原ひとみ・青山七恵・中村文則・村田沙耶香。概ね好評。金原ひとみは絶賛。阿部和重は最後の展開が疑問だという。それはそうだろうなと思うのだが、作者が健常者でないということを考えると普通の小説として読ませたかったのだと思う。私小説と言ってもいいが性別を替えたのは惜しいような。つまりこの作品が子供だというような。

市川沙央(いちかわ・さおう)『ハンチバック』

衝撃的な作品だった。身体障害者のセックスを描いているのだが「ハンチバック」というのは「傴僂」のこと。最初はグループセックス潜入レポートの記事(ネット)なのだが、14歳で病気になり成長が止まったまま40 過ぎた女性が文学の世界によって成熟していくという。だからその手のエロ文学を徹底的に読んでいて脳内世界だけは十分成熟した女性なのである。そして彼女は子供を授かって中絶したいと思うようになる。

それは身体障害者はセックスが出来ないことへの苛立ちもあるのだが、この世界は健常者の為だけの世界となっているのに異議を唱えたいと思っていることが、ネット世界を通じて主張しているのだった。ネット世界ではコトバ(文学)の世界だからそこで彼女は自由に振る舞っている。しかし、それだけではあきたらず、介護士と性的関係を持つという話に。

介護士は彼女の記事を読んでそういう女性だと知っているのだ。さらにその倒錯した関係は、彼女に快楽をもたらすのだ。どこまでも脳内(ヴァーチャル)の世界だから。そこで絶対的な体験として、その身体のままセックスをして、子供を中絶したいと願うのだ。そこは倒錯文学好きしか受け入れられない世界だろう。

しかしラストでどんでん返しの結末が待っている。それを否とするか受け入れられるか?最初はこれでは普通の小説だろうと思ったが作者が実際にそのような病気だったと知って衝撃を受けてしまった。つまり健常者として読んだ場合それはフィクションの世界で安心するのだ。大きく心を揺さぶられれる小説と言っていいだろう。

【追悼 大江健三郎】

それで大江健三郎追悼だった。大江健三郎は、そういう人を望んでいたのではないか。「魂のヴァイブレーション」というような。追悼文も想い出話でいいのだろうか?と思うのだが、多和田葉子の想い出話は良かった。それは多和田葉子は新人の頃は政治的関心は非常に低くて小説を書いていた。そのときに大江健三郎と出会いギュンター・グラスの話になって、彼は政治的だから読まないと答えたら大江健三郎の機嫌が悪くなった。その後に文学者の集い(多国語というようなシンポジウムか?)に出席したときにフランス側の自国優越文学に怒る大江健三郎を見て、そういう政治性も必要だと思ったという。だから今の多和田葉子の作品はそういう物語になっているようだ。

それと似て非なる感想が蓮實重彦の感想かな。当時大江健三郎の政治性には批判した当人である。でも、それを想い出として原発運動に参加する大江の孤独と言い募るはどうなんだろう。思ったより大江健三郎は慕われていたと思う。

星野智幸「「大江健三郎という権威」を批判する大江さん」はその通りだと思う。だから晩年の仕事で「私小説」という発展型のメタフィクションで、自分自身の権威を批評して見せたのだと思う。

大江健三郎の文学については、〈対談〉島田雅彦×朝吹真理子「理性と凶暴さと」が分かりやすいと思う。島田雅彦はパロディ(喜劇)という手法の私小説の発展型という大江健三郎を捉えていると思った。

【特集】

12人の“幻想”短篇競作は、新人賞の作品を読んだ後ではすべてが嘘っぽく(それが幻想文学なのだろうが)読む気にはなれなかった。ただ川野芽生「奇病庭園(抄)」は短歌から小説家デビューを目指しているのかと興味深かった。天使の話が彼女らしいかな。そういう幻想性も身体障害者の脳内世界よりは希薄なんだよな。私はリアリズム文学が好きなのかもしれない。

いとうせいこう×奥泉光×渡邊英理「「(再)開発文学」としての中上健次」

ほとんど同時代的に中上健次を読んでいた世代としては『地の果て 至上の時』は白けてしまったんだよな。それは奥泉光の感想と重なるのかもしれないが、『千年の愉楽』のほうが破壊的だったのだ。それは『地の果て 至上の時』はエディプス神話の物語で父殺しの予定調和的世界のように感じられたのだが、『千年の愉楽』はユング的といえばいいのだろうか、河合隼雄じゃないけど「中空構造」となっているのだ。その旋回の物語の方が好きだった。「再開発」が「ポストモダン」というのは中上健次と柄谷行人との関係性みたいな。批評の文学としては受けがいいのかな。

ダルンデンヌ兄弟×小野正嗣「現代の奴隷制を告発する」

これは映画ファンとしては嬉しい対談(兄弟との対談だから鼎談が正しいのか?)
ダルンデンヌ(ダルデンヌ)兄弟の最新作『トキとロキタ』についてのインタビューで、二人の素人俳優を使った子供の演技についてとリアリズム的に見せる手法など興味深い内容。

小野正嗣はNHKの番組に出ているからかこういうインタビューは上手いかもしれない。興味が似ているところはあるな。

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