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シン・現代詩レッスン53

吉野弘「生命は」

前半は乙女チックすぎたけど後半の「好餌」が良かった。「夕焼け」の娘よりもしたたかな婆さんの方が好みだった。詩は後世の娘たちの贈り物というような詩集だから理想的な綺麗な世界で描かれているが老いた身には辛い詩が多いような。

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。

吉野弘「生命は」より「夕焼け]

何気ない情景から、このあとに二人目のとしよりが現れ三人目のとしよりが娘の席の前に立つのだ。

可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席をたたなかった。
次の駅も
次の駅も

吉野弘「生命は」より「夕焼け]

娘は本当に可哀想なんだろうか?立っていればいいだけの話じゃないか?席に座りたければ座っていればいい。それを可哀想だと思わせる感情がなんだかと思うのである。この詩が整い過ぎているのもリアリティを感じない。三人目のとしよりが意地悪爺さんみたいではないか?爺さん(としよりとあって爺さんではなかった)も辛いから席をゆずってくれそうな娘の前に立ったのである。それが不発だと思うと可哀想なのはとしよりではないのか(この見方は自分に引き付けている。でも、娘に寄り添う必要もないのである)?他の乗客が譲ってくれればいい話なのだろう。ただ、そんな甘い世の中ではないことを誰もが知っている。それが現実だ。そしてその娘とは対象的な婆さん。

在る駅で電車に乗り込んできた婆さん
顔中、黒胡麻をまぶしたような風貌
大きく膨らんだ布の袋を引きずって
私の左側に腰を下ろした
腰を下ろすと、すぐ
袋を膝に上に載せ
中を覗いて探しもの
右腕の肘が
遠慮なく
私の脇腹をゴリゴリと突っつく
袋の中身をひっかきまわし、
探しものは出てこない

吉野弘「生命は」より「「好餌」

迷惑婆さんなので、私は嫌になって席を立つのだが、その空いた席に腰の曲がった婆さんを呼ぶ。婆さんのしたたかな戦略だったのだ。袋の中を漁っていた婆さんには立っている婆さんが見えていたが、私は見えてなかった。そして婆さんは言う。

「何の不思議もありはしないよ
私を非難することでいきりたっていたお前さんの目に
私意外のものなど見えなかった筈さ」
人の欠点を責める人間が大好物という神さま
そういう神さまがおわすと
かねがね私は信じていたが
ひょっとしたら、この黒胡麻婆さんは………
(略)
「他を非難して周囲がみえなくなっている人間が
私の舌の好みには一番でね
おいしいことこの上なし、さ」

吉野弘「生命は」より「「好餌」

今の世の中に暮らすにはこのぐらいのしたたかさが欲しい。そういうしたたかさがないと生きていけないこの世界だ。

意地悪爺さん

そうして意地悪な爺さんは
娘から席を譲ってもらえなかった。
これが終点まで続くのだろうか?
「降りますランプ」を点灯させろ!
爺さんはそう想いながら立っていた

やっと駅につく頃はふらふらで
エスカレーター前でもたもたと
娘は爺さんをひょいと小突くと
爺さんは奈落へ転落して行った

やどかりの詩


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