
シン・俳句レッスン187
芭蕉の風景
小澤實『芭蕉の風景 下』から第六章「上方漂白の頃」より。
もうあっちこっち手を出さないで芭蕉一本で攻めていこう。そうした中で新たな可能性が見つかればいい。
行春を近江の人とをしみける 芭蕉
近江の人というのは琵琶湖周辺の人で、春霞の琵琶湖は昔から春が多く読まれた土地だという。そういう場所はあるかな。天満宮がそうかもしれない。梅の神社でもあるし、まだ行春という感じではないな。来春なのか?今日はだいぶ暖かくやっと春らしい気候になってきたという感じである。
飛梅や天満に出会う目白かな 宿仮
「や」「かな」だった。
飛梅の天満に出会う目白かな
先たのむ椎の木も有夏木立 芭蕉
落葉樹は薪のためにまず植えるという。「幻住庵」の住人菅沼曲水を尋ねた句で、そうして切らずに成長した椎の木の歓迎を受けたという句だろう。芭蕉の俳文を収めた『猿蓑』の中にあり、その中でも名文誉高い芭蕉の言葉の後にこの句が添えられると言う。
先花見桜植ゑたり都市計画 宿仮
川かぜや薄がききたる夕すヾみ 芭蕉
京都の四条河原で夕涼みをした句。「薄がき」が当時の明るい茶褐色の衣装だという。俗な表現に、夕涼みと雅さを合わせた句。春めいた句なのだろうか?夕涼みは初夏的か?「薄がき」を着ているのが誰かという句だが風流な京都人を指すか芭蕉本人かということだが、川かぜを身体的に感じているので芭蕉説のようだ。そんなのどっちでもいいと思うが。
吟行もタイツ汗ばむ春の川 宿仮
一昨日の吟行から。
魚の骨しはぶる迄の老いを見て 芭蕉
芭蕉の諧謔性が出ているな。骨をしゃぶるというあはれさなのか?これも発句ではなく俳諧の五句目で、その前に凡兆の句がある。発句も凡兆。
市中は物のにほひや夏の月 凡兆
能登の七尾の冬は住うき 凡兆
能登は輪島とか朝市が近いが冬は雪深く外に出られないのか。そこで芭蕉の句だったのだ。西行をイメージしているという。
馬車道や横浜アイスの馬糞かな 宿仮
浪漫の中に現実的諧謔。そうだ以前、ソフトクリームを食べて糞がソフトクリームという短歌があったな。受けなかったけど。
こちら向け我もさびしき秋の暮 芭蕉
雲竹(画家)から送られてきた絵を見ての俳句だった。
芭蕉も絵になりけり月の夜 宿仮
中五のときは「けり」という切れ字を入れることによってインパクトを与えるのは今日のNHK俳句でやったことだった。『物語のある月の図鑑』で芭蕉が「三日月の頃よりまちし今宵かな」の絵を見たのだった。
病鴈の夜さむに落ちて旅ね哉 芭蕉
以前「海に降る雨や恋しき浮身宿」を浮身鳥だと読んだのだが、この句のイメージだったのか?「鴈」は「雁」の旧字で芭蕉自身を現した象徴だという。芭蕉が療養していた時の句。
海風も春雨混じり浮身 雁 宿仮
海士の屋は小海老にまじるいとヾ哉 芭蕉
釜茹でされた海老を干している中に生きているカマドウマが混じっているという死と生の対比だという。『猿蓑』に収録するときにこの句と 病鴈の句のどちらを収録すべきかと弟子に尋ねたら凡兆は「病鴈」の句、去来は「いとヾ」の句を選んだという。小澤實は生命力溢れる「いとヾ」の句がいいというのだが弱っているから、「病鴈」の句かな。カマドウマの句も過去に作った覚えが。
無人駅便所に坐すいいとヾ哉 宿仮
かまどうまは便所こおろぎと言われていて、その姿からも象徴になると思って、い以前はカマドウマとしたのだが、温故知新で芭蕉に倣った。
半日は神を友にや年忘 芭蕉
年神様を迎えるのが新年なのだが、年忘の神も忘れてないぞという句なのか?年忘れに歌仙(俳諧)の催しをするということだった。「神を友にや」が大胆だという。アニミズムの芭蕉だから大きな神じゃなく紙ぐらいの意味なのではないか?神というのは、芭蕉のことであったとする説もある。脇句はこの神社の住職が付けたという。
雪に土民の供物納むる 宮司
この句は芭蕉が僧衣で来たので入れられないという問答があって、宮司が作ったという。土民は差別用語だろう!芭蕉のことだったら失礼な奴だな。しかし、その歌仙に当時十二歳である「影桃丸」という早熟な天才がいたので、彼と俳諧を楽しみたかったとか。
神社にも歌仙を彩る桃の花 宿仮
今日はひな祭りということで。このぐらいで。
文芸選評
俳句 「東日本大震災を詠む」
毎週土曜日にお送りしている『文芸選評』。今回は俳句で、「東日本大震災を詠む」。選者は俳人・高野ムツオさん。司会は石井かおるアナウンサーです。
わが外套今も津波が膨れ出る 高野ムツオ
現在の心境を詠んだ句だという。「外套」はゴーゴリの短編で幽霊になった男の話である。外套を着るたびに当時のことを思い出すとか(同じ外套をきていたのだろうか?)「外套」が冬の季語なのか?なかなかいい句だった。
震災(東日本大震災)の記憶というテーマ。今だとあまり覚えてないが、ガソリンが買いにくかったのを覚えている。仕事からの帰りとか信号が消えて渋滞になったこととか、朝早くガソリンを入れに行ったことなど。そのぐらいか。震災後の復興がまったく違った感じで復興されたというのはそうなのかもしれない。あの頃の元の形には戻らなかったと、俳人の高野ムツオが言っていた。現代俳句協会の会長である。いいことを言うなと思った。今日の一句。
震災を生きて伐採桜かな 宿仮
【俳句】【短歌】3月15日 放送100年「ラジオを詠む」選者・高橋睦郎さん
俳句用・短歌用の投稿フォームあり。 3月3日(月)午後11時59分締め切り。※募集期間が通常と異なります。
NHK俳句
題「囀(さえずり)」
選者:堀田季何、題「囀」。切字シリーズ最終回「けり」。奥深い切字「けり」の世界に苦しむ柴田英嗣と庄司浩平。三大切字「や・かな・けり」総合テストでの結果は!?
切れ字4回目かな。
「かな」は「切れ字」なんで「伐採」で切れてしまうから二箇所に切れがあることになってしまう。その前は連用形にするのだった。
震災を生きて伐られり桜かな 宿仮
よくわからないけどこの形がいいのか。
「けり」はけりを付けるという言葉はこの俳句の切れ字から生まれたという。古文の過去の「けり」とは幾分意味がちがって、現在の過ぎゆく時間を表す。
くろがねの秋の風鈴なりにけり 飯田蛇笏
震災を生きて桜は伐られけり 宿仮
「けり」は中七の五音のときに「けり」で切れを入れて調整する。ただし名詞には付けない。
囀りの梢消えけり夜の鳥 宿仮
<兼題>和田華凜さん「桜・花」、高野ムツオさん「燕(つばめ)」
~3月3日(月) 午後1時 締め切り~
<兼題>堀田季何さん「麦の秋」、岸本尚毅さん「空」
~3月17日(月) 午後1時 締め切り~