田村隆一「九月 腐刻画」
この詩はもともと1956年に書かれた「腐刻画」のリライト作品であり、戦後の廃墟の街を徘徊している隠居老人というような詩であるという。田村隆一は戦時世代の人だから敗戦の記憶や復興の記憶が鮮明にあるのかもしれない。われわれがそれに倣うことが出来るのか?
戦後の暗いイメージがないのは田村隆一の特徴かもしれない。ただそれは遠く過ぎ去ったイメージがもたらすものかもしれない。スズ虫なんて東京にいたのか?コオロギぐらいしか聞かないが。スズ虫で思い出すのはユーパックのスズ虫で配送の間中鳴いていた。翌日には死んでいたかもしれない。
はっきりした年代を思い出すのはミレニアム2000年で、その前後にいろいろ事件があったと思う。
劇的な変化だな。田村隆一はモダン・ボーイというような詩人になっていた。アメリカ人との物々交換のバブル時代。
詩に出来ないな。散文になっている。この時代はほんとバブルだったな。バブルに染まらないようにしていたんだけどバブルになったのは、友だちの自動車事故の慰謝料と父の遺産だった。どうしようもないな。毎日飲めない酒を飲んでいた。それがあってか30過ぎてからは酒を飲まなくなった。嫌な思い出があるから。なんか腹立たしいと思ってしまうのはあんなに上手く行っていたと思ったのに、バブルだったと気づいて、急に去っていく友たち。自分もそうだったのかもしれない。次々と彼女を変えたり、やっと落ち着いたと思ったら理想が高すぎた。
内実は結構悲惨な状況なのだが、その一方でアメリカの豊かさがあったということか?このあたりはあまり変わらないような気がする。ただ死人はいないが、いまどうしているのか?ここまで生きているのが不思議なくらいに刹那的に生きていた。