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詩『パターソン』に描れるアメリカのパターン

『『パターソン』を読む――ウィリアムズの長篇詩』江田孝臣

アメリカのモダニズム詩人、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ(1883~1963)の代表作『パターソン』(Paterson)。ジム・ジャームシュ監督の同名映画にヒントを与えたこの長篇詩が追い求める「アメリカ的なるもの」とは?地誌、産業史、政治、人種表象…さまざまな角度から読み深めた論考11篇と、ニュージャージ州パターソンの街についてのエッセイ2篇他を収録。
目次
『パターソン』―映画と詩と街
ある産業都市の肖像―ニュージャージ州パターソン
ウィリアムズとアレン・ギンズバーグ
エズラ・パウンドとウィリアムズ―贈与交換と職業倫理
『パターソン』における「誤った(滝の)言葉」とは何か
『パターソン』の政治性
バロネス・エルサ―アメリカ・モダニズムとダダの出会い
ウィリアムズの牧歌
ウィリアムズにおける人種表象
産業主義と批判する女たち―ウィリアムズの『春など』
ウィリアムズとハート・クレイの『橋』
イーストリバーを眺める三つの詩―『パターソン』第四巻第一セクション論
アメリカ詩とメルヴィル―ウィリアムズとオルソンの場合

映画『パターソン』の詩人であるウィリアムズの長編詩『パターソン』を作家論と作品論で批評していく解説書?みたいな。「パターソン」が映画ではバスの運転手の名前、詩ではアメリカの土地の名前で、それを書いている詩人は町医者ということで精神分析的にアメリカの深層を探っていく叙事詩的なものになっている。映画では日常の抒情詩だったのだが、ずいぶん違った。その「深層」とは何かというとメルヴィル「白鯨(モビィ・ディック)」が描いたような「地霊」ということだった。

それはアメリカ人が求めてやまない「開拓」(闘争)の精神によって、失われ行った原住民(インディアン)の神話的な「地霊」というようなものだという。ちょっと難解な解釈なのだが、「作家論」的なところでアレン・ギンズバーグとの関係、ギンズバーグが『パターソン』を読んで感動し、それは俺のことだと手紙を書く。ギンズバーグが生まれ育った「パターソン」が後に『吠える』を書かせることになるアメリカの産業資本が蝕んでいくことに対する反抗と自由なる精神を謳ったことになる。ギンズバーグは俺が「パターソン」のモデルだと考えていた。

もう一人パウンドは自由なる精神ということでウィリアムズとも仲が良かったのだが、パウンドはアメリカの野蛮性を嫌ってヨーロッパに亡命する。むしろヨーロッパの精神を求めてアメリカと対立し、ムッソリーニのイタリアを支持する。イタリアの敗戦によって戦争犯罪人になる。そして、狂っている詩人ということで精神病院に入れられる。ウィリアムズはアメリカの地霊を信じていたので、それで対立して離れていくが、ギンズバーグは自身も精神病院に入れられたのでパウンドに共感していくのだった。それはアメリカ資本主義に対する反抗ということで。

ウィリアムズ『パターソン』の批評は難解なのだが、アメリカ詩の流れのようなものが知れて良かった。ウィリアムズがホイットマンから始まりパウンドとギンズバーグの間にいる詩人ということで、メルヴィル『白鯨(モビィ・ディック)』を描こうとしたのが『パターソン』ということだった。

新大陸(未知の大陸)を蝕んでいったアメリカ人がエイハブを船長とする「愚か者の船」というアメリカの姿だった。その下に仕えるユダヤ人だったり、ヨーロッパの亡命者だったり、奴隷の黒人であったり、支配されたインディアンというアメリカの多様性がアメリカ人となっていくのだ。面白い動画を見つけた。「世界を変えた“愚か者”フラーとジョブズ」映像の世紀バタフライエフェクト





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