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レコードの中のパッサージュ

『非時と廃墟そして鏡』間章

音楽と決別するために、もしくは真に出会うために開かれた黙示録-----帯より。 間章の1972年〜1979年までのライナーノーツをまとめた本。

最初の間章のライナーノートを読んだのは、ジャニス・ジョプリン『チープ・スリル』だったろうか?そこでジャニスの「サマータイム」と右のクロブシ(腿かと思っていた)に「青いひまわり」の刺青を入れていることを知った。そんなことが間章の私小説のように折り重ねて、批評とも小説とも解説とも詩ともつかない文章がレコードの中に挟まっているのである。

それから間章の文章には度々巡り合うようになって、コルトレーン以後のフリージャズのレコードが多かったから、その出会い方に惹かれた。ライナーノートという人によってはどうでもいい文章の中で音楽と共に彼の言葉が立ち上がってくるのである。彼の言葉で印象的なのは、季節という言葉、出会わなければならなかった音楽(ジャズ)との季節、その季節が過ぎた後でパリで枯葉散るシャンソンなんぞ聴いているのである。但し、それがブリジット・フォンテーヌ『ラジオのように』だったりする。

今回改めて読み直して見ると、その文章は季節にまつわることから、詩や俳句や文学と当時の音楽状況について書かれているのだが、すでに間章はジャズから離れて(離れてということはないな、シャンソンやロックの中にジャズを見出していた)新しい音楽を紹介していた。CANとかロバート・ワイアットとかの音楽からフリー・ジャズ以降のスティーブ・レイシーとかデレク・ベイリーとかのヨーロッパへ亡命したジャズ。

アルバート・アイラーやコルトレーンの復刻盤に彼のジャズ論の断片が入っていて、そこからジャズの聴き方やジャズ以外の文学について知ったのだった。彼の切り取られた文章の断片としてのあり方は、ベンヤミンのいうパッサージュというようなものを感じたのだった。それは空想の中のアーケード街であり雑貨売り場であった。


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