シン・短歌レッス49
今日の一句
ベニバナトチノキに花が咲いていた。調べたらマロニエの木に交配させて似せたようなベニバナトチノキだったようです。マロニエとしているところある。パリではマロニエの花が有名だということで、街路樹として植えられたのだと思いました。
イヤミはおそ松くんのキャラクターでおフランス帰りのイヤミなオジサンだった。街路樹がその街を演出するのだが、真似っ子ばかりでは。
実朝の和歌
塚本邦雄『花月五百年』に源実朝の和歌を取り上げ、例えば正岡子規が絶賛したようにもののふ武人としての姿(観光地の石碑にあるような)より太宰治『右大臣実朝』のような、口ごもった自信のない詠嘆に文弱の武人、源家の不肖の子という和歌を褒め称える。それは、実朝が鎧でかこつけた歌ではなく彼の内面が表出した歌を見出したと言っていいかもしれない。
短歌模範12首(歌会)
今日も『角川 短歌 新春号』から「特別企画新春誌上歌会2023」。これは今流行りの歌がどういう傾向なのか、プロはどこに注目するのか伺える。参加者は大下一真(1948)、小島ゆかり(1956)、東直子(1963)、田村元(1977)、佐佐木定綱(1986)、道兼はな(?)。()内は生まれ年である。最後の道兼はなはわからなかったが、一番若い歌人であろう。題詠「明」一首、自由詠一首、一人二首提出、三首選。
1はわかりやすい。でもどこか団体旅行でもあるような。中年以上と見た。とりあえず△。
2は表現が上手い歌だと思う。これは「明」という題詠なんだろうな。○か?道兼、大下、小島、佐佐木、東が選。つまり五点満点ということだ。田村元の歌。
3は「コンテンポラリー」がおしゃれな歌だ。「コンテンポラリー・ジャズ」とかあるし、でも意味がわからない。モダンということかな?△。田村選。コンテンポラリーはダンスだった。銀杏の葉が二つ重なって落ちる様のような。解釈を聞くと上手い表現だと思う。若い人だな。
4は『源氏物語』で雪が落ちてくる様子を白髪に喩えた歌があったのを連想さす。「もう会えぬ」という言葉からお年を召した方だと。旧仮名遣いもベテラン歌人のにおいがする。△。道兼、東、選。気配りか?
5は不思議ちゃんだな。若い人か?アドバルーンが突然現れる。なんかその異様さ。スターリンの映画を思い出した。☓。まあ、☓にするにも勇気がいるのだがよくわからんかった。小島、田村、選。驚きがある歌だから点が入ったのか?
「目つむりて」が寺山修司を連想させる。ベテラン歌人とみた。酒を飲みの歌。酒を飲まないので☓。道兼、大下、佐佐木、選。高得点だった。酒飲みが多いのか?
7は若い歌人だ。「明るい色のスープ」をうまい表現だと見るか?具体的なものの方がいいと思うが。短歌は多様に取れるほうがいいのかもしれない。△
8は一見若そうにみせて社会詠だから中年以上と見た。小島さんかな?☓
9「鴨臭い」がなんか上手い表現のような。旧仮名遣いのベテラン歌人。○かな。大下選。
10また「トルソー」とかわからない言葉を使う若手歌人だろう。「コンテンポラリー」の人と同じ匂いがする。☓。佐佐木、東、選。若手には受ける歌なんだな。
11夜学生なのか?ベテラン歌人っぽい。けっこういい歌だと思うが書生臭いかもしれない。△
12「かえるで」がようわからん。「帰るでー」ということかな。焚き火で芋焼くがいいかもしれない。△。小島、田村、選
選んだのは2と9。もう一つだったら11かな。若い歌人の言葉はわからないのが多い。3は道兼はなだった。
9は小島ゆかり。「家鴨臭い」が秀逸だと。
5は東直子。アドバルーンがよくわからないという意見あり。何かの儀式で鳩を放つということとアドバルーンの視点移動ということだった。トリッキーな短歌だ。東直子と言われると納得するな。
10「トルソー」も道兼だった。オジサン泣かせの歌人だった。でも佐佐木もわからないと言っていた。トルソーがマネキンだとわかると味わい深い。おしゃれな歌だよな。
12「かえるで」はカエデの古名だった。札はお札。大下の歌。
1は佐佐木の歌。中年でもなかった。一行は先輩歌人の後にの意味だという。わかりにくい。
7は東直子。ポップな感じなんだろうな。東直子だと納得がいく。
8は大下だった。ベテランだとは思ったが前半がロマンチック過ぎる。これは説話で食べ物をウサギだけ何も持ってこなくて自分を焼いて食べて下さいという自己犠牲を現しているのだと。むずかし過ぎ。
11は佐佐木。
6は酒好きの田村。その歌ですぐわかってしまうという。それで若手の票を集めた?
2も田村だった。「引っこ抜く」が斬新な表現。だいたい「スイッチを切る」ぐらいは言えるのだが、「引っこ抜く」は「正月から日常という」らしい表現。東直子は読みが素晴らしく、機械の痛みと人間の痛みを同時に表現していると。
川柳レッスン
深井一郎『反戦川柳作家 鶴彬』から12句。
「世紀の闇を見よ」1909年生まれ。川柳で活躍し始めたのが大正から昭和になる頃だった。新興川柳作家として本名喜多一二の名前出ていた。田中五呂八に師事。「田中五呂八イズム」として「詩としての川柳、芸術としての川柳」を追求していく。既成宗教への反発やニヒリズムが強い作風。
「蒼ざめたバッド」は煙草「ゴールデンバッド」かと思われる。
昭和になり「鶴彬(つるあきら)」として再デビューするのは大阪で転居、井上剣花坊主宰の『川柳人』に加入してプロレタリア川柳を拒まなかった。このことはニヒリズムからプロレタリアへの脱却を公言するようになる。「退けば飢ゑる」はプロレタリアの道を示した句だろうか?
「寿命だと」は『川柳人』最後の句を残し軍隊へ行く。
軍隊で「赤化事件」を起こし裁判にかけられる。懲役一年。
除隊後鉄工所に勤める。4年の軍隊生活。剣花坊「王道主義(反マルクス主義)」を主張。「闇にねる」はどこにも発表する場所がなくなった自選集の句。
除隊すると石川啄木並の三行詩を書き始める(当時流行だったようだ)。
「瓦斯タンク」の句は同じ頃の一行句。その後空白期があり評論で活躍する。「美的なるものは階級的なもので貧しい少女は花をみても食料のことしか考えられない」「定型律、図式主義への抵抗」
井上剣花坊の妻、井上信子の川柳誌『蒼空』に加入。川柳の大衆性を見出す。「女工」「身売り」「失業者」をテーマとした川柳。
「編窓あけ」は「自由律川柳」。
「丸太」は鶴彬のもっとも有名な川柳であり、摘発があり極死する。
最後は井上信子らの手で建てられた句碑。
映画短歌
『午前4時にパリの夜は明ける』
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