シン・短歌レッス55
今日の一句
「スイカズラ」花は変形だけど匂いがきつかった。日本古来の植物ということだ。和歌にもあるのかと思ったが俳句で碧梧桐の句が有名だということだった。
匂いが強いので、匂いに引かれて宿屋に誘い込まれるというような句か?忍冬と書くのは冬も枯れずに青々としているからということらしい。冬の青さよりも匂いに惹かれる。「すいかずら」の意味は、その蜜が甘いので吸ってみたくなる「かずら」(ツル科の植物)の意味。そうなると女郎屋という意味もあるのか?
後鳥羽院の和歌
今日から (コレクション日本歌人選)の『後鳥羽院』。この選集は一首批評が分かりやすい。
この歌は一首で詠むよりも五首の連歌で一つの作品とする「祝五首」というアイデアなのだという。後鳥羽院は『新古今集』でもプロデューサーとしての構成に力を注いだように一首よりも五首の構成で作品を魅せる。
「万代と」で始まり「み」で始まるのは「み(見)る」と地名(神社がある場所、伊勢・加茂・春日・日吉・熊野の山や川)、そのあとに季節と情景。五首目は「浜木綿」の花びらで重ねて「祈り」の歌としているのだった。歌が神聖な場所を示していること。それは和歌が天皇の聖地ということだった。
藤原定家模範十首
今日も昨日の続きで(コレクション日本歌人選)『藤原定家』から。藤原定家はテクニックはあると思う(少なくとも後鳥羽院よりは分かりやすい)。今日から定家の歌には番号を付けることにした。本歌とわかりやすくするために。
西行が亡くなった(建久元年二月一六日)ときの追悼の一首。むろん西行の代表歌を踏まえた本歌取り。
西行が亡くなり藤原良径の「花月百首」に参加したときの歌。「宇治の橋姫」は『古今集・恋歌四詠み人知らず』の本歌取り。
「宇治の橋姫」の伝説が本当にあったか疑っているが、『源氏物語』の浮舟が「宇治の橋姫」と考えれば定家の歌は読み取れるのではないか。何より定家は『源氏物語』好きで有名なのだから。
「さむしろや」は筵である。それは入水した死体として置かれた橋姫かもしれない。まつ(待つ)夜は「末期の夜」も掛けている。月の光の中でひとり寝る。それは恋人を待つ一人寝ではなく、死を待つ一人寝であったならば尚更西行を弔う歌会に相応しいものではないか。恋歌というのは当たらないような。本歌取りは本歌とは意味を変えることが条件の一つだった。
これも『花月百首』から。定家は花よりも月が好きなのか(『明月記』もあった)?これは定家の名歌として有名であり、定家の命日(定家忌:8月20日)にはこの歌を本歌として和歌を詠んでいたという。八月一五日が十五夜である。それから欠けていく月を詠んでいるのだ。月=彼岸の世界なのかもしれない。
「おもだか」は水生植物。
この歌は「白鷺」という題詠で「一句百首」というのなかで即詠されたという。かきつばたの紫と「おもだか」の緑、さらにその上を歩む「白鷺」の色彩表現の見事さ。
亡き母(美福門院加賀)の想い出に父俊成に捧げ詠んだ歌だという。初秋は「野分」の時期で、これも『源氏物語』をイメージして作ったという。露だから『伊勢物語』かと思った。光源氏を父の擬え、亡き母が紫の上、自分を夕霧に喩えているとか。妄想オタクのような歌人だった。
題詠は「初恋」だという。海女に恋い焦がれるなんて、「あまちゃん」でもあるまいしと思うのだが今は海女には若い娘を想像するのが難しいが、この頃は「あまちゃん」ばかりだったのかも。そう想像すると楽しい。「藻塩火(もしほび)」は「思ひ」を掛けている。『狭衣物語』を本歌としているという。「物語」オタクなんだな。
出た!またの名を「夕暮大将」。はつせ山は縁結びの長谷寺という。「よその夕暮」は夕暮は恋人たちの時間なのに、じぶんはよそ様に感じるということらしい。あるいは違う相手といるということだと。そこまで妄想するか(難解歌に属するという)。本歌は源俊頼の名歌(『百人一首』に収めていた)
定家面白い。オタク性と本歌取りの手法。『百人一首』も本歌取りのためにあるサンドバックのようなものかもしれない。叩け!叩け!叩け!の精神。塚本邦雄が『百人一首』は名歌ばかりではないというのはそういうことかもしれない。叩きやすい歌を連ねている。
オタクの絶望歌だな。ただこれは女性に成り代わって詠んだという(まさにオタクだった)。「寄席恋」の題詠。「席」は「筵(むしろ)」の意味なんだそうだ。貴族からはかけ離れた喩えだが『古今和歌集』から来ているのだ。
使い回しはありなんだ。受ければ何首でも作る。オタクの二次創作の鉄則だ。この歌は本歌取りにし易いのは「宇治の橋姫」というキャラ萌えだった。
宮河は伊勢神宮。「宮河」と「見る河」を掛けている。これは伊勢神宮への願掛けの一首だった。定家の主である良経の和歌は、
主に和することが和歌である。
ここも夕日だった。そして、かけはし。すでに定家は見切ったと思った。「旅の歌とてよめる」と詞書きにあるのだが、意味はもっと深かった。なかなか見切れないのが定家なのだ。
この歌の舞台は中国で唐の時代。玄宗の軍隊が安禄山の乱で追われて都を捨て蛾眉山に行く途中で楊貴妃を処刑して行軍する白楽天の『長恨歌』の本歌取りだという。オタク過ぎてわからん。定家の物語オタクは中国の文学までも射程する。この時の題詠は「梯(かけはし)」だったそうだ。「宇治の橋姫」だけじゃ本物のオタクとは言えない。
日曜に録画したNHK短歌を見る。題「親に、子に思うこと」。『百人一首』本歌取り短歌。
二種目ですね。三首目は投稿。本歌はこれか?最初は難敵ばっかだな。題は山崎聡子さん「職場でのこと」(5/22)
山頭火の句
これも尾崎放哉を追慕した句だという。
しかし、放哉は無意識の句だが、山頭火は意識の句だった。「落ちかかる月」まで「観る」という意志の力。誰しも放哉の句のほうが自然だとは思うが。
笠の上に止まっているとんぼは見えない。第三者の視線なのか?「止まらせて」という意志の力が働くのだがそれで歩くことは可能か?山頭火だったら出来るのかもしれない。とんぼは霊意の象徴ということだ。
「まっすぐな道」というのは人工的に作られた道であり自然の道はまっすぐではないということか。
草鞋は藁で編んだ草履か。今は民芸館にでも行かないとないと思っていたが祭りのときは草鞋を履くのだな。
山頭火の酒の飲み方は「ほろほろとろとろどろどろぼろぼろごろごろ」の五段階だという。ほろほろはまだ歩ける状態なんだな。酒飲みの気持ちはよくわからん。酒飲みではないから。ただ山頭火は美味しい水も知っていた。
痒いのは生きている証なのか。同じ時期の句。
NHK俳句。山田佳乃さん「日向水(ひなたみず)」(5/19)。山頭火をイメージして句作。
映画短歌
『パリタクシー』
こんなもんかと。酒がイメージされたのは山頭火のせいだ。