濡落葉滑って転んで俳人となる
もう落葉だらけだな。リアル句会二回目で、いろいろ思うところあり。ネタみたいになっているな。現実とTVでの違いというか、TVで思うほど楽しいものではなかった。例えばこういう情景を俳句にしたいと思ってもブランコが春の季語だから、季重なりになるとか。俳句の蘊蓄大会だからベテランの意見が尊重される。年寄りの集まりでもないんだけど保守的な層が多いのかな。まあ、ネタだと思って読んでください。
そう言えば昨日の句会で嫌な思いをしたのだがリーダーらしき親父が名前を書けという。名札が出ているのにである。それに人に名前を聞く前に自分が先に名乗るが礼儀だろう。こういう父権的な親父がいると駄目である。なんか敵意を感じてしまう。それに自分は声があまりでなくていちいち聞き返されてしどろもどろしてしまう。対人恐怖と言ってもいいかもしれない。威圧感を感じるのだ。だから、人と会うのはどっと疲れる。
句会の前に図書館に。二冊返却、二冊借入。また上限の十冊借りているので、次の本が読み終わるまで借り行けない。町田の方は予約が出来ないので、横浜の図書館ばかりになってしまう。最近の句集、堀田季何(NHK俳句の月曜の講師)『星貌』。また難し方の俳句本を借りてしまった。そうだ「貌」の文字も「顔」との違いがあって自分の顔は顔なのであるが対象物の顔は「貌」と書くとか。だからここでは、「星貌」と書くのは正しい。自分も蘊蓄爺になっている。最初の句が
これは俳句初心者にはわからないと思うが虚子は「新興俳句」系の作家を「ホトトギス」から切った(捨てた)わけで、そのアイロニーが含まれているのだと思う。だから今はバナナの皮に滑っている状態なのかもしれない。
ただ虚子は「無常観」に憑かれた人で、虚子の俳号も虚無の子という解釈が岸本尚毅『高浜虚子 俳句の力』で図書館で借りて読んでいてなるほどと思うのだった。まあ句会で受けるかどうかわからんが。すでに受けることばかり考えてしまう。自分を見失うな。
岸本尚毅は有季定型の俳人では一番の理論家だと思う。けっこう納得する話が多いのだった。昨日は時間的にそれほど図書館にいられなかったので、読書はそのぐらい。『現代詩手帖2024年10月号』を一応読み終えた。シュルレアリスムの方はさっぱりわからんかったが、白石かずこの特集は収穫だった。
現代詩もハマればハマるほど分からなくなっていく。そういう試行錯誤もまた楽しいもんだと客観視しなければ。それでは今日の一首。