シン・短歌レッス112
王朝百首
塚本邦雄『王朝百首』から。
塚本邦雄は後鳥羽院が好きだよな。この辺がよくわからないし、この歌の良さもわからない。『枕草子』の「秋は夕ぐれ」という当時の常識に反問している歌だという。「山もと霞む」だから春の景色なのだろう。画像間違えたな。春の桜の山とか選ぶべきだった。
でも夕べだからな。山よりも夕陽だろう。夕陽が美しいのは秋ということなのかな。「なに思ひけむ」と清少納言が思ったのだからいいのではないか?世間がそれに従うから後鳥羽院は腹立たしいのか?
技術的なことを言えば三句切れ、上句と下句が対句になっており、のち連歌に始まりとして記憶すべき歌であるという。また文武両道、理想の天皇であった(塚本はそう思い込んでいる)とされることが、何か後鳥羽院というと謀反を起こした悪しき天皇みたいなイメージだった。なかなかそのイメージを脱ぎきれない。
齋藤史
雨宮雅子『齋藤史論』から。「殺されたれば眼を開き居り」。前章で塚本邦雄との論争で、齋藤史が変化を遂げるのだが、それは戦後疎開先で自己を抹消してでも生きていかねばならないとする決意があったのだ。しかしそれは彼女の歌のスランプ時期でもあった。そんな折に塚本邦雄との論争で彼女はもう一度歌に目覚めたと言ってもいい。
これは齋藤史の転機となった歌でこの歌があるから、塚本邦雄が称賛するだけの青春歌人ではなく、唯一の歌人となったのである。これはそれまでの彼女の生活に墓標を立てたのかもしれない。短歌が一行書きなのは、墓標だからだ、と誰か言っていたような気がする(俳句だっけな?)。
死とエロティシズム。「焦点深度(被写界深度)のふかいレンズ」。述志。
渚=波打ち際(境界)
「樹木」創刊の役割
篠弘『現代短歌史Ⅱ 前衛短歌の時代』から「「樹木」創刊の役割」。今はない短歌雑誌なのだが、共産党系の「人民短歌」の編集者である中野菊夫が共産党に加入して離れてゆく若手歌人を引き込むために作ったと思われる。当時の若者の自己主張的な短歌が多かったようだ。
実は今年は短歌雑誌を継続的に読もうかなと思っているのだが、図書館では角川短歌しかないので、どっちかっというと『短歌研究』かなと思っているのだ。一月号は電子書籍でダウンロードしたのだけど、まだ読んでなかった。同人誌みたいなものはそれほど若くないしエネルギーがないからな。
前衛短歌系でお勧めの同人誌があったら教えてください。同人誌は憧れるよな。
起きられない朝のための短歌入門「よむ」
我妻俊樹/ 平岡直子/著『起きられない朝のための短歌入門』は面白い入門書だった。早速結果がでたようで嬉しい。砂時計理論は使える。今日は「よむ」ほうだった。短歌も読み方がわからないから、ある程度説明してくれればわかるのだが。短歌も批評を書く人と短歌だけを作る人に分業化しているのだという。
塚本邦雄とか穂村弘は両方だけど、そういう高望みはするなということか。でも我妻俊樹も 平岡直子も批評はしているよな。言う事とやっていることが違う。多分だけど男の歌人は批評的で女の歌人は感覚的なのではと思うのだ。でも批評的な歌人がいないわけでもなかった。
あと短歌の批評も読むのも型というものがあり、そういうosに則ってやっているから、共感性というものはそういうことが日々バージョンアップされているので、その時の流行りの型とかコトバの共感度とかあるようで、例えばコンピュータゲームは日々進化しているので、その世界のコトバとかが共感性になるということだった。ネットの世界もそうなんだろう。こういうのは無理過ぎるな。内輪時代なんだな。OSが違うとか言われてしまったら返すコトバもないよな。いまだに昭和のOSなのか?
そう言えばここに上げられている短歌がほとんど理解できない。平岡直子なんて寺山修司が理解できないというのだから、その距離と言ったら。我妻俊樹は寺山修司から入ったらしく、寺山修司は短歌初心者にもわかりやすいのという。今、コトバだけの短歌でそのコトバの変化が面白いとかリアリズムよりコトバの世界だけで成り立っている短歌が受けているとか。塚本邦雄のスタイルだと思うが、そのコトバが若者が引っかかるコトバというのがポイントなんだと思う。古いけど「ドラえもん」とか。これは難しい。もう完全に今の短歌がわからないというのは、そういうことだったんだな。
うたの日
お題「頬」。こういうのは難しい。「頬」でイメージする思考がエクボとか桜田淳子になってしまうのが昭和のOSだった。今日の本歌はめちゃ難しい。
「なに思ひけむ」という否定するみたいな?現代語だと「何思っているのだろうか?」という反語になるんだよな。もっといいエモくて、言葉がないか。エモいか?エロイカ?このへんで繋げていきたい。
こんなんでいいのか?完全にオヤジギャグみたいだな。もう少しスマートに出来ないか。
これでいいか。どうせ今日はどんまいの日だ。我妻俊樹の韻律起承転結説に則って作った。♪一つでした。まあ、そんなもんだろう。
西行
『短歌研究 2024年1月号』から「第1部 特別対談「『歌論』の真髄。よい歌とはなにか」馬場あき子×吉川宏志では、西行の『御裳濯河歌合』と『宮川歌合』という自歌歌合を知った時は、よく判らなかったのは、普通歌合というと右左二手に分かれて、テーマにそって歌を詠み合うのだが、西行の自家歌合というのは、西行の歌を右左に分けて、その判を『御裳濯河歌合』なら藤原俊成に、『宮川歌合』はその息子である藤原定家に判を仰ぐのだが、それはその歌を神社に奉納する為の祈願(歌が上手くなりたい?なのか、その目的はわからない)なのである。
そこに西行の同時代である藤原俊成や一世代下の藤原定家の歌論が伺えるということなのだ。その中から馬場あき子と吉川宏志が選択して解説したもの。中世の変動期の和歌の俊成や定家の歌論が西行の歌を通してわかるというもの。
『御裳濯河歌合』七番
左の西行の最も有名な歌でも西行が生きていた頃だから、そんな予言をするのも何様なんだということで、持(引き分け)になったらしい。その後に西行が釈迦の入滅日の一日後に亡くなったので伝説化された歌なのだ。塚本邦雄もこの歌は否定したのだ。
三番
俊成は右は「今夜一夜」は言い過ぎで他の秋はどうなる?ということだが、これは西行の恋の歌だから、そう詠むことで一夜の尊さを詠んだとのこと。
十八番
右は今では名歌とされるが俊成は「心なき身」が気にいらなかった。それは西行が僧侶であるから仏教的な解脱を歌っているのだが、俊成にしてみればそんな野暮なこととなる。ただ下句はべた褒めで「幽玄」とされる情景なのである。
左は涙が露となってこの宇宙に満ち溢れる情況を心が深いと評価するのだった。あっさり歌っているのだが、奥(世界観)が深いと。右の方がいいけどな。俊成は情緒を重んじる歌人だった。
二十八番
左は『百人一首』に載る西行の歌だが、なんでこんな歌が代表歌なんだと酷評される定家の無能ぶりを言われる歌。ただこれは失恋の極地の歌なんだと馬場あきこの評。月に向かって失恋を嘆いている。
俊成は歌があるから人は美を感じるという「はじめに言葉ありき」の人だった。日本人は『万葉集』によって四季から美を感じていたという。
定家はまだ26歳ぐらいで、父と同世代の大歌人である西行(当時70歳過ぎ)から判を仰がれるのだから、そうとうびびったという。
『宮川歌合』
十番
左の方がオーソドックスで右は区切れも多く自由奔放というのだが、よくわからん。「何となく」という気持ちを大事にする。理屈ではなく感性ということか?これが一番苦手かもしれない。
映画短歌
『ベイビーわりきゅーれ』
本歌
これは使えそうだ。本歌取り短歌。