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金芝河をキムジハとは読めない日本人が知らないこと

『評伝 金芝河とは何者だったのか ―韓国現代詩に見る生』趙南哲

民主化運動を象徴する抵抗詩人か、晩節を汚した「変節者」なのか。
抵抗詩・民衆詩を体現した金芝河文学と民主化運動の実相を記し、その精神を引き継ぐ12名の詩人たちを紹介。その多様性に満ちた特徴を明らかにする。
目次
第1章 風刺詩人から「生命思想家」への変身(金芝河の生涯と作品;金芝河への私信;在日朝鮮人M氏との往復書簡;敗北と裏切りの「抒情」)
第2章 信念―民衆詩を志向した詩人たち(鄭浩承―真実なるものとしての「悲しみ」;パク・ソヌク―「光州」の悲劇との闘いの中で;河鍾五―4・19から「光州」、「光州」から「統一世代」へ;パク・モング―叙事的再現の可能性をもつ連作詩;朴柱官―絵画的で個性豊かな詩世界 ほか)

韓国の朴正煕政権下の反体制詩人。獄中詩人として国際的に釈放の運動がサルトルらによって起きる(大江健三郎も参加)。反体制の詩人だと思われていたが晩年は変節し、学生の民主化運動に反意を示す。過去の政治運動やどうしようもない女ずきやアル中を告白し、金芝河であることを後悔する(詩人芝河は地下の意味)。それは韓国で問題となったが日本にはあまり伝わって来なかった。彼も人間なのだと肯定的に受け止められたようだ。しかし趙南哲は手厳しく批判する。それは光州事件の学生たちに対することだったからだ。

第2章はその光州事件の詩を紹介するアンソロジー(韓国ではこの時代に詩のブームが起きる)。生々しい詩は、光州事件の盛り上がりや熱意のようなものを感じる。金芝河はそれを日本の学生運動のようだと批判したのだった(死に取り憑かれた若さみたいな)。光州事件の捉え方の違いを感じる。著者は在日韓国人で、若い時に金芝河の影響を受けて詩人となり、光州事件への反動に抗議するこの本を書いた。韓国詩の熱意を感じる本。夭折した尹東柱との違いを明らかにする。韓国詩の変遷について知る事ができた。

金芝河の変節は若い時の情熱とそれが単に熱情(若気の至り)だったいうことなのだろう。ひとりの金海金氏という人間にすぎないのだと主張するのだが、過去を反省するあまり朴槿恵を支持したり理解を超えていると思う。そして詩人である金芝河をも否定するならば、かつて詩人金芝河を支持してきたのはなんだったのかという怒りが趙南哲にあるようだ。それは光州事件世代というのもあるのかもしれない。日本の全共闘世代も女性蔑視やヒロイズム的なものがあったとするが著者は、光州事件はそれとは違う民主化運動と捉える違いもあるのかもしれない。金芝河の詩は諧謔と反体制的ではあったが、反体制詩人としてヒロイズムに酔っていた部分はあるのかもしれない。ただそれを光州事件の詩人と同じだとするには、無理があるような。自身の駄目さは彼らと一緒にされても違うだろうと論じているように感じた。

それは光州事件世代の詩があまりにもリアリティあるように読めるからかもしれない。光州事件世代の詩人たちは、金芝河ではなく尹東柱を継承しているのかもしれない。

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