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「ナジャ」というシュールな女神に出会う読書
『ナジャ』ブルトン,アンドレ【著】/巌谷 国士【訳】(岩波文庫)
パリの町で出会った妖精のような若い女・ナジャ―彼女とともにすごす驚異の日々のドキュメントが、「真の人生」のありかを垣間見せる。「私は誰か?」の問いにはじまる本書は、シュルレアリスムの生んだ最も重要な、最も美しい作品である。1963年の「著者による全面改訂版」にもとづき、綿密な注解を加えた新訳・決定版。
以前白水Uブックスで読んだのだが、これはブルトンが死ぬ直前に出した改訂版で、翻訳者の巖谷國士の繊細な脚注が半分ぐらいの本である。さしずめシュルレアリスムの「るるぶ」と言ったところか。妻子あるブルトンがパリで「ナジャ」という魅力的な女性に出会う。その恋物語をシュルレアリスムで記述した作品であり、ナジャと出会ったパリの写真やら当時ブルトンの仲間だったシュルレアリストの作品が散りばめられているのだが、脚注は無意識の精神分析の解釈のようでもあり、その余白を夢想する男性のためのシュルレアリスムの女神の書。
シュルレアリスムは都市の芸術でありそれはダダイズムの破壊性からきている。この破壊は再生産ということで既成の作品をひっくり返して笑いに繋げるたのは映画手法でも観られた。都市には重層的な先史時代の神話が埋もれているというのがシュルレアリスムの主張だろうか。キリスト教の教会の下には古代の神々が埋もれているのだ。それを無意識状態としたのがシュルレアリスムだろうか?
フロイトの「無意識」を「無意識状態」としたのがブルトンのシュルレアリスムだと解説にあったのだが、この違いはなんだろう。
「無意識」フロイトが病理学的に分析して意識のそこに眠っている意識されない状態をいうのである。その精神状態は医者から観た患者の症状をいうのであって、ブルトンの「無意識状態」は自身の無意識のことを言っているのではないか?
『ナジャ』は無意識の文学というよりも「ナジャ」という無意識の女性との恋愛物語を再構成したものだ。それは『ナジャ』が最初に出てきた時に、それを他者が解釈し物語のヒロインである「ナジャ」についてもあることないこと批評(精神分析)されることになる。中には実際の「ナジャ」が精神病院で死んだにもかかわらず私が「ナジャ」だと手紙を書いてくる女性も現れてきた。そうしたことを踏まえて改訂版はブルトンによってさらに再構成されたのである。
面白いのはその長い年月の間にブルトン側にも変化があり、私が「ナジャ」という二番目のヒロインが現れて恋に堕ちるのだった。もともとはブルトンは結婚して妻子もいる身なので、「ナジャ」とモデルとなった女性とは結ばれなかったのだ。それは性的関係であるよりも妻の方を選んだということなのだ。その疵はのちのちブルトンに深い傷を残すことになった。
ナジャがブルトンの出会いのあと精神病院にいれられ、それを非難することを書くのだが、実際にそれ以降ナジャとは会うこともなく、ナジャは精神病院を抜け出して行方不明になったという結末を用意していた。
ナジャはエキセントリックな女性であり、ブルトンのシュルレアリスムにも興味を示し、神話的な絵や神話的な出会いをカモフラージュするのだが、それはナジャがそうしたロマンスを描いてほしかったという。その目論見は当たったのだけどナジャが思う物語ではなかったという。
ブルトンはナジャの中にミューズ(女神)を見るのだがナジャもブルトンの中にホメロスをみたのかもしれない。しかし二人の対話は次第に齟齬を生み、最後にナジャはブルトンを皇子様ではなく敵対する怪物扱いしたという。
それでブルトンの中の恋心も一気に醒めていくのだが、愛の物語なんてこんなものだろう。そうしてブルトンの中に「ナジャ」という傷だけが残った。その埋め合わせにまた『ナジャ』を再構成しようとしたのは二番目に現れた「ナジャ」と名乗る女との恋みたいだった。それは第三部に使われた彼女の写真ということなのだが、それも解釈にすぎないのかもしれない。事実としてブルトンはその女性を選んだために今度は妻子を選ばなかったということなのだ。
そういう成り立ちの本だから、シュルレアリスムのガイドブックとしてナジャというアイコンのヒロインと共に当時のパリを散策する本になっているのである。それは失われた時代と共に喪失したシュルレアリスムなるパリの都市であった。
美は痙攣的なものだろう、それ以外にないだろう。
「痙攣」はもともと医学用語であり、それはフロイトの「ヒステリー」に繋がるのだろう。しかし「無意識」を「無意識状態」と読んだブルトンの中では、それは美だったのだ。ブルトンが自分が誰だかわからずにホテルの部屋番号を教えて欲しいと支配人に頼み込んだ男が血だらけになってまた訪ねてくるという話が面白い。男は部屋から身を投げたのだった。
もう一つの挿話に行方不明になった女性飛行士が送ったラブ・レターは遅延して届いたという話。それは相手の妄想なのだろうか?ちょうどクリスマスに間に合うように横断飛行を計画したのだという。この『ナジャ』はそんなクリスマスプレゼントだと翻訳者の巖谷國士は言う。