妖怪よりもひとゴミばかりのハロウィン
ハロウィン。実際にやった記憶はなく、英語の教科書とか出るような英語圏の文化だと思っていた。実際はケルトの祭りがアメリカで商業的に広がったものらしい。日本でもハロウィン祭りとか言うとスーパーでレジの人がいやいやながら頭に何かを付けていたりする。あとハロウィンパレードとか、実際に行われたのが1983年からだとある。いまでは当たり前の仮装行列になっているが。デモは白い目で見るのに、ハロウィンパレードとか注目されるのは東京ディズニーランドとかで一般には4%の人が参加するに過ぎないと言う。いつだったか、渋谷のハロウィンの時に映画を見に行って散々だったことが記憶にあった。酔っ払いたちの妖怪たちがカオスと化していた。
ハロウィンは俳句でも季語としてあるんだな。おめえら新嘗祭を季語としないでどういうことだと国家主義者では思わないこともないだろうけど、日本の文化なんてそんなものかもしれない。やっぱアメリカ化の文化の一貫なんだろうな。黒澤明の映画でキャバレーで三角帽子を被った酔っぱらいの映画を見たが、ハロウィンを描いた映画はホラー系しか思い出せない。まだまだ日本の文化としては定着してないのか?エンタメ系のハリウッド映画になるのか?
今日の一句。
昨日はポイントで映画鑑賞。『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』も3となるとマンネリ化を免れないわけで、アクションシーンとか、ただそれを見たいがために見に行くということがあるのかもしれない。こういう映画は敵がだんだん大きくなりすぎて今回がほぼ限界値に近い感じだったのは、池松壮亮の演技によるところが大きいのかも。『キングダム』の大沢たかおのような。そう言えば最近の映画では映画のストーリー以上に役者の演技力が求められるようになってきているな。映画にこだわる監督はむしろ素人役者を使いたがるのに。これは日本のスター・システムなのかな?
日本では新作映画はアイドル系の映画が多いような気がする。『推しの子』ブームと関係しているのか?そしてスターがスキャンダルを起こすと映画がポシャるわけだった。
読書。『双調平家物語』。そうだ、中大兄皇子もスター的に描かれているな。映画の配役で考えると蘇我蝦夷はベテラン演技派俳優(役所広司とか)、中臣鎌子(藤原鎌足)は個性派俳優。そして入鹿は悪役スター俳優で
中大兄皇子は若手アイドル俳優というところか。これ映画化してほしいな(最近の劇画調が似合う原作かもしれない)。まあいろいろあるので「大化の改新」のところを。それだけ面白かった。
J・M・クッツェー『その国の奥で』では、南アフリカのアパルトヘイトを描いた作品でアフリカーナの娘の視点で父親の行動を暴く作品だった。章立てが短く日記のようなので読みやすい。日記だろうな。
今日は引きこもろうと思ったがまだ30℃超えなのか?どうなっているんだ。今日の一首。
朝は低調。