大江健三郎を読む
『個人的な大江健三郎』(初回放送日: 2023年11月11日/ ETV)
ETV特集『個人的な大江健三郎』は良かった。大江健三郎文学の入門としても良かったと思う。最初に眼鏡を大江健三郎と同じものにしたというファンが出てくるが、大江健三郎は表層的なことよりも精神的なことだろうと思った。ただ最初に紹介されたのが『セブンティーン』だった。
大江健三郎文学との最初の出会いが『セブンティーン』でまだ17歳頃だと思う。叔父の部屋には学生時代から読んだ本棚があり、祖母の家に泊まると叔父の部屋に寝ていたので自然とそんな本棚を眺めては気になる本を取り出してはズリネタにしていた。たぶん『性的人間』に収められていたのだろう。そういう本に興味引かれるのは思春期の男子ならではなのだと思う。
文学で性的描写が最も激しいのが大江健三郎だったのである。谷崎も三島も読んだけど今ひとつズリネタには及ばなかった。個人的な文学体験なんてそんなものだろう(きわめて表層的な欲望だ。そこから大江健三郎は精神世界に導いていく)。
叔父はそういう人ではなく、大企業に勤めるサラリーマンで思春期の頃は反面教師のように思えた(源氏鶏太の小説が並んでいたり)。最初に読書を勧めてくれたのが夏目漱石『坊っちゃん』という当たり前すぎる文学で、なんてつまらない本なのだろうと思ったものだ(漱石はその後に熱中することになるのだが)。
大江健三郎は芥川賞を最年少で取り(その後にそれは更新されていくが)、当時の若者の精神的支柱の作家だったのだと思う。それは、本人が「精神の果物屋」と言うように精神について、それも絶望する若者の精神について書いていたのだと思う。その誘い文句が「本当のことを言おうか?」だったのだ。嘘で固められた社会で大江健三郎だけが怒り、絶望し、小説の中で反抗していたのだと思う。それは大人にならない「セブンティーン」だったのだ。
芥川賞受賞作『飼育』では、黒人兵が捕虜となり、その黒人に魅せられていく少年が、ある日捕虜の黒人兵から暴力的に人質に取られて殺されそうになる。その時に父が後ろから斧?で切りつけて少年を助け出すのだ。ただ少年の手の匂いは黒人兵の匂いが消えなかった。それは汚い物を扱った匂いなのだと言う。乃木坂のメンバー(齋藤飛鳥)がそれを言っていた。
それは性的な匂いなのだろう。思春期の男が感じる文学のリアルなんてそんなものだ。性と暴力性だろう。この社会の暴力と個人のどうしようも出来ない性的欲求。そんな姿に絶望しない日はなかったのだ。あの当時年齢の近い文学を読み始めていたのは大江健三郎からだった。そして、中上健次・村上春樹と繋いでいったのはジャズという出会いもあったからだ。
その当時『われらの時代』を読んで、「ジブラルタル」という虐待される猫に心を寄せる者なんてクラスにはいなかっただろう。虐待される猫の名前が「ジブラルタル」というそれは地中海の青い海の街で自由に生きる猫の名前だったのだ。
スガシガオは『芽むしり仔撃ち』を上げていた。これは未読だったが『我らの時代』と同じ時期に書かれた作品のようだ。「芽むしり」というのは農作物を育てる為に不良な若い芽は摘んでしまい、育ちのいい者だけに栄養を与える。それが「仔撃ち」という行為になっていく。それは全共闘運動の若者の姿だったのだろう。社会は『芽むしり仔撃ち』の世界だった。
それは世界の支配の構造なのだと思う。露のウクライナ侵攻でも、アラブ世界でもガザでも。不良分子は抹殺せねばという思想があるのだ。ウクライナの作家アンドレイ・クルホフ『ウクライナ日記』は大江健三郎との繋がりを感じさせる本なのかもしれない。
絶望した世界を描いた大江健三郎が『個人的な体験』で障害のある息子を得る。医者はその息子を物扱いする。綺麗事だけの社会はそういう者を排除していく社会なのだ。当事者は絶望の孤独の中に置かれる。
例えば『ヒロシマノート』で重藤文夫という自らも原爆症にかかり治療していく医師に出会う。原爆症の患者がこの社会について訴えるが医者は答えることが出来ない。その絶望する社会の中にあって、出来ることは一緒に祈ることぐらいではないか?
その姿から漫画を描いたのがこうの史代だった。彼女が『ヒロシマノート』から読み取った「広島的人間」は「真人間的なる者」だという。絶望のなかでも現実から目をそらさず希望を求めて祈る者の姿だという。彼女が描いた広島的人間なる姿は『夕凪の街 桜の国』に描かれていると思う。
障害を持った息子がいる父親が勧めるのが『洪水はわが魂に及び』。これは絶望的状況の中から祈りという対話が始まるのだった。それは宗教的なものよりも大江健三郎は文学に向かわせたのだった。この本はドストエフスキー文学との対話だという。大江健三郎の世界文学というイメージはそういう精神世界を繋いでいく文学だった。絶望した精神の中から生まれる希望としての祈り。
しかしそれは可能なんだろうか?大江健三郎が世界文学というものを強烈に感じさせるのは、フォークナーの子供たちというラテンアメリカの作家たちだった。そしてアメリカの作家ラウリーとの出会いが『「雨の木」を聴く女たち』で書かれる。大江健三郎から離れていて、久しぶりに手に取った短編連作集でフォークナー文学に目覚め、マルカム・ラウリーを知った。
朝吹真理子が上げる『新しい人よ、目覚めよ」も大江健三郎の危機的時期に書かれた。それはアルコール依存症的な世界だったのかもしれない(『「雨の木」を聴く女たち』の世界)合理的な教育を受けた作家は神にも依存出来ない。日本の宗教的精神主義が戦争に突入して、その結果アメリカの合理主義に支配されていく。合理主義は弱者を排除していくものがある。
結局アルコールに依存するようになってしまう。そんな時に出会うのがブレイクの詩(超越的世界観の開示)なのだと思う。マルカム・ラウリーはアル中文学と言ってもいい絶望の書だった。そこから詩的な希望の世界を見出すのがブレイクやイェイツの詩の世界なのではないか。
『燃え上がる緑の木』は『「雨の木」を聴く女たち』の世界からもう一度大江健三郎文学を再構築し直す(リライト)する本になっていくのだと思う。
そして伊丹十三を初め様々な近親者の死によって晩年の仕事という文学をリライトしていく作品が続く。これは工藤庸子『大江健三郎と「晩年の仕事」』に詳しく書かれている。
作品で言えば『取り替え子』から始まる後期三部作。
そして大江健三郎総決算とも言える『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』が最後の小説となるのである。
終章で示される詩は永遠に刻まれる文学墓碑としての大江健三郎の遺言のような気がする。
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