シン・俳句レッスン119
あやめ
あやめと菖蒲と杜若(かきつばた)の区別がつかない。たぶん湿地帯に咲いているのが菖蒲や杜若でこれはあやめだと思う。
あやめのイメージは『たけくらべ』に出てくる美登利をイメージする。儚さかな。そういえば「あやめ」と名前の女子がいた。それほど付き合いはなかったのだが、いじめられっ子タイプだった。なんだろう。告げ口タイプかな。そんな噂というかだから無視していたのか?「あやめ」という名前は似合わんなと勝手に思っていた。「あやめ」はもっと高貴な花のように感じたのかもしれない。長屋に咲く「たけくらべ」のような「あやめ」だな。
そのまんま。多行俳句を忘れていた。長屋だから一行でいいか。多行俳句にするとまた違ってくる。
下五の字余りは女の子の方が先に成長するという感じを詠んだ。
多行俳句
『船長の行方』「高柳重信論と多行形式」で高柳重信自身は多行形式(俳句)とは言ってないとか。高柳重信の中では現代俳句という方法論のひとつで、それを多行俳句と呼ぶことで俳句と区別されるのを嫌ったという。「現代俳句」を使うのは「新興俳句」弾圧があったときに「現代俳句」はタブーとされたが戦後になって誰もが「現代俳句」を使うようになったので、その戒めがあったようだ。つまり方法論的にお前らのどこが「現代俳句」なんだと。それが高柳重信の批評性だという。
高柳重信が目指したのはポーによる詩学の方法論で「構成の哲学」であった。それは俳句の切れを従来の韻律によるものではなく、行分けで示したということだった。
最初の頃の二行形式は切れの存在を二句一章形式の「俳句性」によって明らかにした。字余りだが3つの言葉郡(語句)からなっている。その形式は三行のHIKUの先取りだったのかやがて三行形式に移っていく
三行までは理解しやすいが、さらに四行となると理解が遠くなる。
この形式は七五調を二回の切れで、疑問形を続けることで一句と見立てたものか?二句一章仕立てのような感じなのか?
4行形式は二十六字歌と三十一字歌があったのだが、三十一字歌の方は後に削除されたという。短歌との差異が見られなくなったからか?月俳句も嫌というほど作っていたのだが今日からは行分け俳句に挑戦する。俳句が短歌の形式から七七を排除したものを、最初の五音を排除した形だという。
NHK俳句
取り合わせ
「同じ情景」視覚・聴覚・臭覚同時に感じる取り合わせ。
玻璃(はり)はガラス。ガラスの向こうの火事と鳥の糞を同時みている。これ無季俳句かな。堀田季何は季重なり、無季俳句でもいいかもしれないな。
オノマトペも使ってみた。NHK短歌がオノマトペだったんで。くふ=来ふ、食ふ、空の意味。
「先師」は亡くなった先生。
蟻は下を見ているのに、海の波は遠くを見ているので論理的ではない。
「物と心」近すぎず遠すぎず。ちょうどいい距離。
さまざまの事(こころ)と桜(物)。桜の散り姿をさまざまの事と言っている。
ふるさとの山は比喩で先生を心に思い浮かべている。風薫るが物の情景。これは難しい。風薫るがこころかと思っていしまう。
荒川でもよかったのかな。
トイレに行きたくなった心かな?
近すぎる。
今日の学び。
「二物衝撃だけではない取り合わせ」
俳句と教育
『角川 俳句 2024年4月号』から「特集 俳句と教育」から。
子どもの俳句は嫌いである。その歳で俳句をやるか?というのと爺・婆に褒められて何が嬉しいのかと。まあ投稿句ではライバルになるので、子供らしい俳句で喜んではいけない。例えば子供らしい俳句で多行俳句作る子がいるのかと。そういうことである。
ここの記事でも親馬鹿のような子供を褒める俳人とか、そういう子供は大いに反抗してもらいたいと思うのだ。親のいうままに俳句を作って、親のような俳句を作っている。そういう俳句と闘いたいのである。
学校教育と俳句ということでは、学校で俳句や短歌はやったかな?俳句創作はやってないような。俳句の授業もあまり覚えがない。芭蕉の「おくのほそ道」ぐらいか?現在の教科書で小学生から習う俳句一覧が載っていたがその多さに愕然とした。これを俳句のはの字もしらない小学生に暗記させるとかしてないだろうな。一気に俳句嫌いになりそうである。
ただ句会のようなゲームはやってみたかった気もしてくる。先生が選ぶのではなく子供が選ぶので、芭蕉のような句は選ばれずTVのアニメを詠んだものとか選ばれるのだろうなと気がする。その時先生はどう指導するのだろう?
それが俳句甲子園になったら、悲しいような気がする。弁論大会にはなると思うが相手をどう蹴落とすか、それがいかに俳句の伝統に則って知識があるかの披露になるのではないか?そんなのAIに任せとけばいいのである。AI俳句を観賞するとか、あるかもしれないな。
NHK俳句的な授業になったら、NHK俳句の投稿のライバルが増えるだけでちっともいいことはない。それにもめげずに俳句をやっているということだけが俳句教育を受けて無く良かったかなと思える。最初から伝統俳句は無理だという頭があるから、毎日自分の思う俳句を作っていくだけだ。
芭蕉
飯島耕一『「虚栗」の時代』を借りたのだが難しい。なかなか其角の良さがわからない。芭蕉の弟子だが江戸俳句の機知では芭蕉を上回っていたとか。其角はそれほど好きじゃないかもしれない。やっぱ芭蕉の方がいいのかなと思ってしまう。今日から『芭蕉紀行文集』に入る。
「のざらし紀行」やはり芭蕉は改革者なのだ。深川隠棲は、それまで宗匠として今流行りの俳句を詠んで生活してきたが、その反省を四十の歳になって、自身の俳諧を生活のためではなく(資本主義的な生き方)から人生のための俳句(芸術家としての生き方)を目指したのである。それが雅と俗ということなのだが、そこに風狂を見出すという宗教人みたいなことを言っている。この風狂精神こそが芭蕉の本領だったはずなのである。
そこに西行の生き様(道)を見出すのだった。
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