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シン・現代詩レッスン2
2回目もやるということでヘルン君です。青鷺はアイルランド出身の小泉八雲のハーンという名字は「ヘルン」ということで青鷺の紋章だったのだ。そのことを映画『君たちはどう生きるか』で問題にしてない考察が多すぎる。つまり深層世界は多様性に富んでいる様々な物語があるということだった。それを象徴するのが青鷺のヘルン君なのだ。
今日も石垣りんの続きで、100分でもやっていた「シジミ」からをやってみようか。
シジミ
夜中に目をさましました。
ゆうべ買ったシジミたちが
台所のすみで
口をあけて生きていた。
「夜があけたら
ドレモコレモ
ミンナクツテヤル」
鬼ババの笑いを
私は笑った。
それから先は
うっすら口をあけて
寝るよりはほかに私の夜はなかった。
俳句にも台所俳句と女性俳句を嘲ていう場合があるが、これはただの台所現代詩ではないのは、そこに世界が描かれているからである。それはシジミと私(人間)の食物連鎖の中に自然のシステムに組み込まれてしまう小さなものの世界なのだが、それを鬼ババの笑いに変えた。ニーチェの超人の笑いと言えるのかもしれない。食物連鎖という輪廻を断ち切るような笑いは一篇の詩になったのだが、その夜しかなかったの言うのが石垣りんの叫びなのだ。
有限性の儚い時間の中でシジミと共に夢を見る。
青鷺
青鷺の夢を見ました。
やつらは飛ぶことなくこっちを睨んでいる
ここはお前の場所ではない
この沼は俺達の住処だ。
「俺は抗議した
オレハココニイタインジャナイ
ネムリヲサマタゲルオマエコソ夢ダ!」
言葉の矢を放つと
青鷺は消えた。
飛び去ったのかもわからずに
青鷺を空想するよりほかに俺の夢はなかった
会話の挿入。それをカタカナで目立たせる。異化効果なのだと思う。