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「ちいさな王子」とは中学の図書館で出会った

『ちいさな王子』 サン=テグジュペリ , 野崎 歓 (翻訳)(光文社古典新訳文庫)

気鋭のフランス文学者・野崎歓による意欲的な新訳。すでに10種を超える翻訳が試みられた作品だが、新訳ではタイトルをあえて原題に忠実に「ちいさな王子」とする。おとぎ話調、童話調を捨て、作品本来の、飾り気のない乾いた文体を採用した。作家・サン=テグジュペリの温もりある言葉が心に届き、王子との「別れ」を鮮烈に描き出すことに成功。大人に贈るたいせつな物語。本当の王子にやっと出会える。

最初に読んだのは、内藤濯翻訳『星の王子さま』だと思う。中学の図書館で読んだ記憶が。その本が好きなのは友人Mだった。そのとき自分ではどう思ったのか?Mの記憶しかないのだ。Mは永久機関などの話をする変わったやつだった。どうしてそれが素晴らしいのかよくわからなかったが永遠性ということだったのか?Mは秀才タイプで自分はちゃらんぽらんな性格だったからMの真面目さは、ちょっと息苦しかったかもしれない。

今読むと「環世界」かなとも思う。そういう大人になってしまった。地球に落ちてくる前に6つの惑星をそれぞれ回る王子がいる。「6人の変な大人たち」と評されるのだが、子供から見た大人の世界、「命令ばかりする王様」(権力)「うぬぼれやの男」(人気取り)「呑んべえの男」(快楽主義者)「数字ばかり気にするビジネスマン」(資本家?)「命令のままに働く点灯係」(労働者)「頑固な地理学者」(学問=アカデミー)

点灯係だけは、こっけいに思えなかったのは自分の欲望よりも他者のことを気にかけているからだ。でも、彼の場所1人だけ、二人分の余地がない星だった。小さな王子の星も一人分の星なのだが、それらの星は得てして小さな星だった。

そして7番目の星として、地球に落ちてくる。桁外れに大きい世界だ。王様の数は101人。地理学者は7千人、ビジネスマンは90万人、よっぱらいは750万人、うぬぼれ屋は3億1100万人、おとなの数はおよそ20億人。電気が発明する前、46万2511人の点灯係がいたいう。これらは喩え話だけど。

点灯係というのが、暗闇の大空から地球を眺める感じか。オーストラリアから灯火がついて、中国、シベリア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ。『夜間飛行』の眺めだろうか?

ただそれは都市部の中だけのことで、地球には暗闇の部分のほうが多い。近代都市が明るさと共に闇を追放していく。それは産業革命以降の都市の姿だった。しかし、王子と出会ったのは砂漠だ。語り手はの私は、故障した飛行機乗り。王子と同類の孤独の中で出会うことになる大人だ。

そして、王子には先に一匹のヘビと出会う。砂漠の毒ヘビで生者を土に還すといういう。王子を空に還してあげたい、というのだ。ヘビは首輪になった。ヘビは時間か?生きられる時間としての、ヘビの環。ウロボロスのヘビ。

砂漠の花は、王子の星の花ではない。山に登ってもこだまが返ってくるばかりの孤独感。王子には、砂漠は想像力の渇きと捉えられる。多数のバラも自分のものではない花。そして、砂漠で伏して泣きじゃくる。そして、キツネが現れる。

キツネは人間にとって、悪賢いイメージ。対立するものとして、描かれる。ただ王子は友達としてなついてもらいたいのだ。中学時代のMにとっての自分がキツネだったのか?確かに放課後の図書館での出会いだったような。図書館で読みたい本は違っていたと思う。自分はもっとおぞましい世界が好きだった。例えば彼はシャーロック・ホームズだとすると自分はアルセーヌ・ルパンだ。閑話休題。キツネの言葉。

「じゃあ、秘密を教えてあげよう、とてもかんたんだよ。心で見なくちゃ、ものはよく見えない。大切なものは、目に見えないんだよ」
「自分がなつかせた相手に対して、きみはいつまでも責任がある。きみはきものバラに責任があるんだよ......」

ポイント切り替え係(サンデル教授を思い出す)や薬を売る商人は、大人の世界の住人。そして、飛行機乗りも大人の世界の住人だった。

王子は喉が乾いて死ぬ運命にあった。キツネが友達だった頃を懐かしむ。砂漠はきれいだという。沈黙の世界。

「砂漠がきれいなのは、どこかに井戸を隠しているからなんだよ......」

目に見えないものの方が美しい?井戸とは?潤いを与えてくれるもの。キツネの友情。大学生のMに出会ったのは終電間際の酔っぱらい電車であったような。フライデーでスクープされた「高部知子の喫煙写真」。それを非難していた。煙草なんて自分らだって高校時代は吸っていた。中学の頃は吸ってなかったか。スキャンダル写真の文句を言いたかったのだろうが、煙草の話で混乱した。井戸が枯れていた。

相変わらず航空部に入り、女の先輩と飲んだ話をしていたと思う。それほど変わることしてないのに。ただその時からもう友達と呼べなくなっていた。

飛行機が好きだったMと一度だけ羽田に行ったことがある。趣味が違うのでそれほどジャンボとかに興奮はしなかった。ただ一度だけ紙飛行機の本を飛ばして遊んだ思い出だけは井戸の思い出なのかもしれない。不良仲間からはガキみたいなことしているんじゃねえと言われたが。

小さな王子のMも社会人になっただろうか?ふと思い出したのは、この本を読んだこともそうだが、腰痛とかロシアのウクライナ侵攻とか、精神的に落ち込んでいたから。こんな時は童話を読むといいと誰かがいっていたような。




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