4Tという枠の中で
『観賞 女性俳句の世界 第2巻』
サブタイトルに「個性派の登場」とあるのだが、その前の一巻が杉田久女(虚子とすったもんだがあった女性俳人)で終わっているのでそれ以降の女性俳人ということになるのだが、ここから4Tという虚子が名づけた女流俳人の時代になるのだ。それは虚子の元の「ホトトギス」の中にあって活躍した女性俳人であった。三橋鷹女はちょっと違うが。橋本多佳子にしても、感情を抑えて花鳥諷詠にしなければならなかった。その感情は晩年の句に出ていると思う。星野立子や中村汀女さえも晩年の句には感情が読み取れるのである。それは虚子俳句とは違う方向性だったと思う。
三橋鷹女
三橋鷹女の句集を検索したが単独ではなかったので、この本を借りた。三橋鷹女だけ写真が若い時でブロマイドにしたいぐらいの写真で出ている。なんで?略歴は動画に詳しい。
角川で出している俳句観賞シリーズのようだ。解説は池田澄子。
季重なりだが、気にしない。26歳の作。蝶の方が主体なんだろうな。菫は供え物ぐらい。連句として「すみれ摘むさみしき性をしられけり」の後に上の句が来て「折りあげてひとつは淋し紙雛」と続くので性的な句なのだが、他人に知られたことが重要だということだそうだ。今のような時代ではなかったから噂になるほうが事件だったのか?「蝶とべり」と言っているのだから噂をあえて望んでいるのか?
「つはぶき」は日陰で咲く日本の耐える女のイメージがあり、そういう俳句も多く作られたのだろう。このへんの言い切り方が三橋鷹女の俳句なのか?それによって敵も多く作ったという。
これらは日中戦争が始まる前の句で三橋鷹女の俳句が言論統制される中で警句として作っていたようである。
日中戦争が始まった年の句。
新興俳句が弾圧されて、戦争翼賛一色になっていく中で鷹女もそうした俳句を詠んだのか。
鷹女には一人息子がおり軍国教育の中で兵隊として出兵せねばならなかった。
戦争俳句との落差が凄いな。これは自分のことを言ってしまっているのか?
橋本多佳子
角川編集だからか三橋鷹女以外にこれはと思う俳人は見いだせなかったのだが、4Tはすべて掲載されているので、それをみていこうと思う。4Tは星野立子、中村汀女、橋本多佳子、三橋鷹女。虚子俳句から近い順かな。
橋本多佳子を担当するのは片山由美子。多佳子は山口誓子との出会いが重要だという。そのあと夫との死別があり、そこから自立し、俳人と生きることになったという。
月光が秋の季語なのだが、人の死は事件なので無季俳句でもいいと思う。そこに季語だからという作成意識が働くとなんか残念な句のように思われる。つまり人の死は一回性のものだし、季語の循環へ埋めてしまうには違うと思ってしまうのだ。詩としてこの一回性は優先されるべきだろうと思うのだが、季語派はそこを達観してこそ俳句だというのだろうか?「死にゆくひとと寝る」がまさに一回性の感情なのだから、それが繰り返されるというのは可笑しいと思うのだ。
これは達観しているよな。そう言えば斎藤茂吉が母と死に別れた時に一緒に寝た歌があったのだが、そういう意味では最初の句は短歌的と言えるのかもしれない。次の句では主語が省略されてしまうのだ。颱風にさらわれてしまうというか。そう言えば『角川 俳句』2月号が「省略」だった。人の気持も省略していいもんだろうか?と思うのだった。
片山由美子も最初の一句は感情的であり、あとの一句は冷淡すぎるように思うと書いていた。つまりあとの一句は、建前の句のような気がするのだ。気丈な妻を演じなければみたいな。
これはセンチメンタルすぎるかな。雁が和歌ではセンチメンタルな象徴だしな。季語に寄りかかりすぎのような。
「さびしさ」と感情をそのまま言うのは良くないとされているのだが、山口誓子は「いのちがさびしさであるやうなそんなさびしさ」と禅問答のようなことを言っている。それは人心ではなく風景がまさにさびしいということだという。それが信濃の別荘(夫がいない)なんで、ふーんと思ってしまう。
これも『信濃』から。「硯洗」が季語で七夕の前日に硯を洗い清めるという伝統俳句なのだそうだ。そういうことを知らないとふーんな句だけど。
台所俳句だろうか?紫蘇は朱だから訂正する意味があるようだ。多佳子は直情的作句するのではなく、鉛筆で書いてから何度も推敲するのだという。
多佳子の代表句。この句から直情型の俳人だと思ってしまうのだが、実はけっこう計算高い俳人だったのか?それは当時「天狼」という句会で男に囲まれていたからハッタリで詠んでいたとする。そのためにあえて感情を突き出してみせたという。
本来はこういう確かな俳句らしい句を読む人だったという。
これもポーズかな。なんか寂しいがセンチメンタルすぎる。
こういう句を作れる人なんだよな。構図の見事さというような。
本来ならばこういう句を多く作るべきではなかったのか?
最後は素直に自分を発露したのだろうか?
中村汀女
4Tの中村汀女。解説は栗木京子。歌人だよな。なんで俳句なんだろう?
「秋雨」って言うかな。「春雨」からの転用だとは思うが。季語にあるから仕方がない。だとしたら冬雨とか夏雨とかあるんか?夏雨は梅雨なのか?なんか「秋雨」が安易すぎるような気がしてしまう。瓦斯にとびつく燐寸みたいな表現か?「台所俳句」の傑作という。「台所俳句」が悪いわけじゃないが、そういうジャンルを作るのは男なんで、そこに安易に乗っかってしまっていいのかということなんだと思う。今はそういう言葉も死語となっているのか?男でも「台所俳句」を作っているから、何を象徴するのかわからなくなっている。
夫の赴任先、横浜での一句だという。伊勢佐木町とか野毛山公園とか吟行をしていたという。いいんだけど雅なだけで俗がないのが不満かな。短歌でいいじゃんと思ってしまう。和歌の本歌取りのようでもあるし。和歌は恋の追想を詠んでいるのが、この句の「中空」はそういう意識がなくただ青空という。中空の青空と落花のピンクが絵画的なのかもしれない。和歌とは異なる俳句の無私性があるという。
これは私性が入っている。母性本能だから一般的共感性はあるのか?俳句は私小説だというのは、これからやる俳句の方法論で石田波郷が言ったとか。境涯俳句もそういうことなんだけど、俳句はすべてフィクションであると言ったのが、富澤赤黄男だった。私はこっちの説だからあまり私小説的な句は好まない。この句は「の」の畳掛けが有効だという。それが「あはれ」の詠嘆調をいかしているのだと。でも「床の」は違和感ある言い方だな。俳句のために無理やり「の」を引き寄せる強引さを感じる。それが母性か?子の句が得意という汀女であった。
これは鏡が吾と映し鏡になっているから、まさに嫁の再生産というような句だよな。ちょっと怖い鏡の世界だ。保守的な女性に支持されるのは、こういう句なのか?そうか、吾を見ているから子を見ているのではない(自分本意の親なのだ)。嫁がせたという空虚感だったのか?そういうことを意識していたのなら素晴らしい句なのかもしれない。
自分や家族に言い聞かせているのではなく、当時の婦人運動関係者に呼びかけているのだと。でも、そういうのは句だけからは読み取れない。やっぱ家族とか自分自身に言っているのだと思ってしまう。その婦人運動関係者は神近市子とかもいたという。平塚らいてう中心とする婦人たちであったようだ。「五色の酒」事件とか。
当時の欧米化文化への憧れを詠んだ句。「地階へ」が単なる並行移動ではなく、また上昇運動でもなく、戦後復興のダイナミズムだという。地下のキャバレーとか?
わざわざ理る必要もないのだが日本酒ならOKということか?汀女のイメージが和菓子なのだという。「たしなまねども」とわざわざ理を入れるのが上品さであるという。結局飲むんかいと言いたくなる。
どういうことだ?これも否定形だから、指輪を隠すということかな。いけない主婦なのかもしれない。私人から公人になることと読んでいるな。後にリウマチを隠すための手袋だという証言もあり、けっこう悲惨な句に思えてくる。不倫の方がまだ明るさがあるような。
これも長塚節の短歌の本歌取りだという。
短歌よりも情景で「低きまま」だけで老いを表しているのが素晴らしいという。短歌の方は七七の余計な分感情が入っているという。俳句と短歌の違いが分かるという。短歌のほうがいいと思うが。というか汀女は短歌をやりたかったのかもしれない。短歌から俳句に衣替えする俳人は多いというから。そんな郷愁(センチメンタリズム)みたいなものか。
星野立子
最後は星野立子。星野立子はやはりいいと思う句が多い。解説は奥坂まや。
星野立子は虚子の娘でなければもっと独自の道を進んでいったような気がする。かなり反抗的な俳句があるのだが、それが定形に収まっている限り虚子の手のひらに転がされている孫悟空だった。
虚子に言われて最初に作った俳句である。定形に季語が決まってその中で自由に詠んでみたのか。この中で難しいのが「もさい」だよな。こんな言葉は出てこない。「もさい」という関西弁なんだな。道理で意味がわからないと思っていたが解説によると「もさい」男の子のままごとなのだそうだ。それが土筆でご飯もおかずも済ましている子供の白い手のクローズアップと春の温かさが感じられるという。本当にそこまでこの第一印象で読めるのだろうか疑問である。まず「もさい」がわからなければ意味に近づけない、ただの俳句になっているのだ。
星野立子にとって俳句はままごとのように日常性と共にあったものなのだろう。その感性なのだと思う。そこからすでに台所俳句という批評にさらされるであろうものが存在していた。ただ天性なものとしては「もさい」という俗語を使った新しさだろう。
星野立子の名句の一つだった。写生の確かさだろうか?「蝌蚪」は「おたまじゃくし」で俳句脳の季題にはよく使われるので、それほど奇異な感じはしない。季題と定形に見事に収まった写生句。「鼻」が生まれたてのオタマジャクシの便りなさを出しているという。もしかして、これは厳密には写生ではなくイメージとして杭が存在したのかもしれない。その杭がなかなか見えないのだ。俳句という定形という杭だろか?
「昃れば」が意味不明。
そういう俳句脳がないと解釈が難しい。つまり俳句は独自の言葉の出どころがあるのだ。それは素人にはわからない。「日陰れば」なら多少意味は汲み取れるのである。それは子供を産んだことへのあともどりという家族のふところに戻るもどかしさが「昃れば」だったのか。
星野立子がチョコレート俳句を詠んでいたんだな。そこはプッシュしとかないと。
この句を知ったときに、立子の反抗心が見えるようだった。虚子は月並み俳句と言って月の世界を排除したのだ。花鳥諷詠は、和歌なら花鳥風月になるのにあえて月をはずしたのは月の句が月並みになるからだった。それを見事に逆手に取って月の俳句を立てたのである。墓碑にしたいぐらいの名句である。虚子が立子と付けたのは「論語」の「三十にして立つ」という三十歳のときの子供だからという。
上句は私的感情と下句の自然との取り合わせ。写生というより心情だよな。客観写生ということになるのか?ものに気持ちを寄せる「寄物陳思」という手法。
この句にも立子と虚子の面影を見てしまう。虚子の大樹からは逃れ得ない鳥なのだろうか?
諦念のような句だな。
短歌的な詩情を詠んだ句で、雛飾りの姿に立子を重ねてみたくなってしまう。
これも和歌の世界観だった。最後の句は寂しい。