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基地の街で囲まれた少女たちの逃げ場はどこにあるのか?

『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』上間陽子 (著), 岡本尚文 (写真) 

それは、「かわいそう」でも、「たくましい」でもない。この本に登場する女性たちは、それぞれの人生のなかの、わずかな、どうしようもない選択肢のなかから、必死で最善を選んでいる。それは私たち他人にとっては、不利な道を自分で選んでいるようにしか見えないかもしれない。
上間陽子は診断しない。ただ話を聞く。今度は、私たちが上間陽子の話を聞く番だ。この街の、この国の夜は、こんなに暗い。
――岸政彦(社会学者)

沖縄の女性たちが暴力を受け、そこから逃げて、自分の居場所をつくりあげていくまでの記録。



著者は沖縄風俗調査で沖縄に帰ってきた。米軍基地近くの荒れていた中学時代。彼女らは学校の窮屈な管理教育の中で、学校に馴染めない少女たちは不良少女と呼ばれ、早熟な性体験をする。無関心な親たち。

そんな中で彼女の家庭のように裕福な者たちは沖縄を出て、内地(日本)へ逃げていく。逃げる場所がない基地に囲まれた少女たちは、あまりにも早く大人になることを求められて基地の街のルールに染まっていく。思春期の少女たちは見せかけの恋愛経験も、あっという間に大人にならざる得ないのだ。そんな彼女たちを支援介入していくNGOに関わっていく。それは政府がやるべきことなのだ。

確かに悲惨なんだけどそれなりのネットワークが築ける女子たちだった。彼女らの一番の憧れの職業がキャバ嬢だという。話術で着飾れるから。なるほど彼女らは武器としてのコミュニケーション能力が必要なのだ。

以前鈴木大介『最貧困女子』を読んだ時、地元ヤンキーにはネットワークがあって貧乏だけどそれなりにやっていける。最悪なのはそういうネットワークがない孤立した病んでいる女子だという話を読んで、シングルマザーで孤立している。

ただそういう地域ネットワークには、保守的な家父長制的なところが多いからDVが多いのかなと思ったり。そして、水商売が構造的に組み込まれている。母親がそういう商売をしていたり。キャバ嬢が年取ると店は自分で独立してやっていくというような構造的な問題。友達の母親が経営者だったという話からとそういう世界に入っていく少女たち。

著者は、そういう沖縄が嫌で外に出て行ったのだが、また沖縄に戻ってきた。それは社会学という武器を手に共同体を変えていこうとすることなんだろう。地元との対立構造がまだ見えないが、そういう対立構造は描かれたら面白いと思う。「仁義なき闘い」だよな。外野だから言えることだ。

彼女らが未成年(中学生)から自活生活を求められるのは、親のDVや地域の荒廃化にあるのかもしれない。そこがスラム街化していくのは、基地の街特有の文化的影響があるのだろうか。そこまで踏み込んだ本ではないのだけど、それを感じさせる本だった。

著者が言っているのは早く大人にならなければならない未成年の少女たち。保護者がいない、暴力に晒されている裸足で逃げる少女たちだ。彼女らの憧れの商売がキャバ嬢なのは、会話術だけで大人に太刀打ちできるから。ただそのスキルがないと性暴力に晒されるのも事実だ。それと年齢的な問題もあり、彼女らは未成年では店では働けない。それまでは援助交際というもっとも危険な自立方法を実践しているのだ。そんな彼女らの言葉をそのまま載せているような感じの証言集。

魅力的でありながら、そうした少女は、性的商品として晒され続けなければならないのだ。彼女らを保護するシステムがないのが一番の原因なのか?著者がやっているのは、社会調査なのだがもう一歩進んで少女たちに関わっていく。それは面倒くさい(面倒見がいい)オバサンになるということかもしれない。一人で出産しなければならない少女の元へ、説教するのでもなく彼女らの言葉を聴き、何よりもその場へ飛んでいけるフットワーク。

家族という最小限の共同体を新しい形で作っていく実践の本なのかもしれない。他人が言えるのはこのぐらい。

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