仏教は悪霊退散からケアの思想へ
『日本古典と感染症』ロバート キャンベル (編集, 著) (角川ソフィア文庫)
ロバート・キャンベルが編集したアンソロジーですべてが面白いわけではない。またコレラ・チフスが中心となっていて、近代だとスペイン風邪について知りたいと思ったが「近代小説と感染症 柳浪・漱石・鴎外から」もその記述はなかった。石井正己『感染症文学論序説: 文豪たちはいかに書いたか』こっちにすれば良かったか(近代はこっちのほうが詳しいみたいだ)?
岡田貴憲『平安時代物語・日記文学と感染症 虚構による「神業」の昇華』は『栄花物語』『和泉式部日記』『更級日記』『源氏物語』『狭衣物語』との中世の物語が発展していく様子を感染症から考えていく。
『栄花物語』は皇族の世継物語だが、平安時代に度々流行病によって権力の移動が行われたり、後の物語文学や日記文学に影響を与えている。
和泉式部は為尊親王を亡くして弟の敦道親王と出来てしまうが、為尊親王は伝染病で亡くなったとされ病が流行っていても出歩いていたからと伝えられた(『栄花物語』)。その親王の死の悲しみから立ち直る過程が『和泉式部日記』では描かれるのだが、そんな噂が立ち敦道親王の乳母は和泉式部の身は汚れていると交際を止めるように忠告したとか。
同じように伝染病で親友を亡くした菅原孝標女は悲しみを癒やすために『源氏物語』を読んで『更級日記』を付けることで立ち直っていく。
その『源氏物語』の光源氏も夜歩きしたことで伝染病になって加持祈祷をしたことによって若紫と出会うのである。遊び好きの男は早死にするのは理由がありそうだ。
その影響で書かれた『狭衣物語』も伝染病の世界を描いている。それが現世世界から仏教の解脱思想へと繋がっていくのは鴨長明『方丈記』の成り立ちに描かれる(「養和の飢饉」)ことになるのだ。
中世の文芸と感染症 海野圭介
疫病と宗教の結びつきは強い。それは祈祷や疫病退散だけではなく、病者が排除されるのをケアするというのは従来の宗教ではなく鎌倉仏教あたりから出てきた思想なのかもしれない。それ以前に聖武天皇の妻である光明皇后が仏教に帰依して癩病患者のために温泉場を開いて、治癒したのが阿彌陀の化身だったとか。
これは光明皇后を引き立てる伝説に過ぎないのかもしれないが鎌倉仏教(空也や親鸞)に現れてきたのはそのようなケアの思想だと思う。
図書館本返却期間が来たので、全部は読めなかった。中世までは(それ以降もだが)仏教が悪霊退散の祈願からケアの方向にと。次第に疫病に対して神の力が無力だと悟っていくと神を投げ捨てるというような行為も。また感染症で排除される人を鎌倉新興仏教は見捨てなかったのだろうと。それは布教の面と同時にケアの思想があったのではないかと。まあ仏教もそれまでは特権階級のものだったし、念仏をだけを唱えればいいというもんでもなかった。近代は「スペイン風邪」の記述がないのが残念。アンソロジーなので、興味深い所から読めばいいと思う。