夜中に崩壊した僕。
3月26日水曜日、夜中1:40帰宅。
いつも通り終電近くの時間に電車に乗る、僕。
いつも通り最寄駅に降車して、駐輪場に向かい
自転車で帰る、僕。
帰り際にコンビニによって買い物をする。
そして、いつも通りバイトから帰ってきた僕。
この日もいつも通りのはずだった。
飲食のバイトが忙しく疲労が残りながらも
生活のために先輩のご指摘を受けながら夜まで
働いていた。
帰宅後、思い当たる人たちに通話をかけて
繋がったのは母だった。
その時、僕は壊れてしまった。
嗚咽と過呼吸になりながら最初に発した第一声は
「精神状態がおかしいから、、救急車呼んで…お願い。
何するか分からないから隔離病棟でも
どこでもいいから助けて」
その後は、あまりのパニック状態で記憶が断片的で覚えてない。ひたすら泣きながら自分の思いを
感情的に叫んでた。
「こんなに頑張っているのに生きるのが辛い」
「消えたい死にたい消えたい死にたい」
「頑張っているのにどうして報われないんだよ!!!
うわあああああ…!!……あぁ…なんで…なんで。」
これでもかってくらい自分の思いを吐き散らして
これでもかってくらい声を出して泣いた。
そのなかで唯一、母が僕に対して放った言葉は
覚えてる。
「みーちゃん!!みーちゃん!!」
「みーちゃん!!返事して!!」
「みーちゃん、お願い死なないで!!
みーちゃんが亡くなったらお母さん
生きていけない!!“生きる”ってお母さんと
約束してお願い!!」
「お母さんの兄貴が亡くなったの
みーちゃんも知ってるでしょ!!
お願いだから約束して!!」
母は僕のことを説得するのに必死だった。
母は3人きょうだいで兄が2人いた。長男は自殺でこの世を去り、母はその悲しさを知っている。
だからこそ強く説得された。
“生きてほしい”とーー。
父と兄が「みーちゃん、迎えに行こうか?」
と聞いてきた。
兄に対して「明日も出勤……。」と返答した。
兄は「お休み、なんならお父さんか俺が会社に電話してもいいから」それに続けて、「迎えに来てって言え」
といった。半ば強制だが、
僕は「迎えきて……助けて。」と返した。
深夜2:00 家族で関東に出発。
朝方5:00 関東に到着。 蒼月水翔 保護。
その後は1週間休養とり、実家でゆっくり休むことができました。家族ともきちんと話し合い、実家に帰ってくると提案がありましたが、
「バイト掛け持ちしながら
ライティングの仕事をしたい。」
という思いを優先させていただきました。
今日から、仕事復帰。
職場にご迷惑かけてしまったので、一言謝罪の
言葉をお伝えしようと思います。
今日はライティングの仕事面接を受け、このあと
仕事復帰で笑顔で頑張ってきます!
蒼月水翔
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