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【東京地下迷宮街】地下のジャンク屋さん【短編小説】

 東京都心には、巨大な地下迷宮があるという。
 しかも、その迷宮にはたくさんの人が生活を営んでいて、街のようになっているのだ。

「だって。この都市伝説、本当かなぁ?」
 中学校の教室で、女子三人組がスマホを片手に噂していた。
「信じるか信じないかは、あなた次第ですってやつ?」
 ポニーテールにした女子が、おどけるように言った。タレントの口調を真似ていたが、「似てないし」と仲間のロングヘアの女子からツッコミをされていた。
「メトロの乗換駅を目指していたはずが、全然雰囲気が違う地下道を歩いていたっていう人もいるんだって。目撃証言もあるし、本当かなって思うけど」
 話題を振った女子は、スマホをフリックしながら首を傾げる。
 会話の中心になっている彼女は、国木詩乃といった。彼女は噂話が好きで、よく、このような話題を友人達に提供していた。彼女はカールにしたセミロングの髪を弄りながら、スマホの情報を凝視していた。
「メトロの工事中に、地底人の遺跡と繋がったなんていう話もあるんだけど」
 タレントの物真似をしていたチカという女子も、シノの言う地下迷宮の話題をスマホで漁る。だが、「地底人とか、ウケるんですけど」と、ツッコミ気質のマリという女子にからかわれていた。
「じゃあ、何だと思うわけ?」
「そりゃあ、裏社会のやばい組織でしょ。地下に巨大な施設を作って、表沙汰に出来ないような実験をしてたのよ」
 マリはしたり顔で言った。
「あとは、核戦争のための巨大シェルターかもね」
「やばい組織っていうのも、地底人と同じようなものじゃない? 漫画で見たし」
 チカはマリを小突きながら反撃する。
「シェルターはあり得る話かな。メトロ自体がシェルターだっていう都市伝説、昔からあったでしょ?」
 シノは、マリとチカに向き直る。
「シェルターって普段から人が住んでるわけ? それに、フツーに有り得そうでつまんないな」
 チカは不満げだ。
「やっぱり、裏社会に生きる人達がいるんだって。地上じゃ生き辛くなった人のたまり場なんだよ」
「そんな場所、死んでも行きたくないわ。私は地底人に一票」
 断言するマリに、チカはうんざりしてみせる。
 そんな中、再びスマホに視線を落としたシノは、「あっ」と声をあげた。
「どうしたの?」
「なんか、怖い話があった」
「怖い話?」
 チカが食いつく。シノは、二人にスマホの画面を見せた。
「地下には化け物がいて、それを目撃した子は食べられちゃったんだって」
「うわっ、マジで……?」
 チカとマリは引いていた。「怖いよね……」とシノも慄く。
 だが、二人の戦慄は違うところにあった。
「いや、それを信じるシノがやばい」
「そうそう。チカでも信じないわ、そんなの」
 マリは、うんうんと頷く。チカは、「遠回しにディスらないでよ!」と目を剥きながらマリを叩いた。
「そもそも、目撃者が食べられてるなら、証言って出ないはずじゃない?」
「あっ、それもそうか」
 シノは合点がいったようだ。

 しかし、そんな彼女達に、不意に第三者の声がかかる。
「出るよ」
「えっ?」
 近くの席で、スマホを弄っている少女だった。
 小柄な体躯で、顔には幼さが色濃く残っている。シノ達と同じくブレザータイプの制服姿だったが、サイズが大きいせいで袖が手の半分を覆っていた。
 彼女はやや気だるげな仕草で振り返り、感情の読み取れない目をしながらこう言った。
「今は、ネットでみんな繋がっているじゃない。食べられているところを、ライブ配信すれば共有出来るでしょう?」
「た、確かに……」
 シノ達はごくりと息を呑む。だが、少女はふっと笑って続けた。
「なんてね。そんなことされたら、視聴した側は怖くなっちゃって、逆に誰にも言えないよね」
「はは、そうよね……」
 シノ達は、乾いた笑い声をあげた。
 少女の名前は、一(にのまえ)二三(ツグミ)。物静かなクラスメートで、いつも独りだった。
 シノはそんな彼女を見かねて仲間に誘うのだが、彼女はいつの間にか、するりと輪の中から抜けて、独りになっているのだ。
 不思議な子だな、とシノはいつも思っていた。彼女は孤独なはずなのに、寂しそうという感じは一切感じないのだ。
 きっと彼女は、自ら独りになろうとしているのだろう。
 そう察していても、シノはツグミを放っておけなかった。そのままにしておくと、彼女が何処か遠くへ行ってしまいそうだったから。

「あのさ、ツグミ」
「どうしたの、シノちゃん」
 ツグミは首を傾げる。幼さが残るせいで、小動物みたいだなとシノは思った。
「吹奏楽部、やっぱり入ってみない? 入部見学の時のドラムさばきが凄かったって、先輩が褒めてたしさ。良いドラマーになると思うんだけど」
「ごめん。無理」
 ツグミはきっぱりと断る。がっくりと項垂れるシノに、「あー、また振られてる」「これで三連敗だね」とマリとチカがからかった。
「ど、どうして。うちの吹奏楽部は強いし、みんな仲がいいし、ツグミも絶対に楽しいってば」
「絶対はない」
 ツグミが断言するので、「うっ」とシノはたじろぐ。
「シノちゃんを否定しているわけじゃないの。人間の世界に絶対なんていうことはない。カミサマや悪魔ならば絶対を知っているかもしれないけれど、人間は不完全な存在だから、絶対はあり得ないんだよ」
「不完全な存在って……」
「天動説だって、信じられていた当時は絶対だと思われていたしね。今を生きる私達が絶対だと思っていることは、百年後には笑いの種になっているかも」
 淡々と語るツグミに対して、シノは気圧されたように口を噤んでいた。そんな彼女を、マリが小突く。
「つまり、シノが絶対に楽しいと思っていても、吹奏楽部に入部してから五分後のツグミはそう思ってないかもしれないってことね」
「五分!? 短くない!?」
 シノは思わず、素っ頓狂な声をあげる。
「いやー、うちの学校の吹奏楽部、かなりのスパルタだって別の学校から言われてるし。シノはドMだから、自覚ないかもしれないけど」
「わ、私はマゾじゃないし!」
 シノは顔を真っ赤にしながら否定する。しかし、マリもチカすらも、温かい眼差しでシノを見つめていた。
「ひどい! 皆まで言うなって言わんばかりの顔して! 助けてよ、ツグミー!」
 シノは、わぁっとツグミにすがりつく。そんな彼女の頭を、ツグミはぽんぽんと撫でた。
「大丈夫。マゾヒズムも個性だから」
「違うって言ってるのにー!」
 喚くシノの前で、ツグミのスマホがぶるりと震えた。
「着信?」
「うん。ゲーム仲間から」
 首を傾げるシノに、ツグミが頷く。
「放課後はネットゲームをしてるから、部活は出来ないの」
「あー、成程」
 シノは合点がいった。マリとチカも、「そういうことね」と納得したようだった。
「ツグミの家は寛大だよね。うちは、親が部活をしろって煩くて」
 マリはうんざりしたように言った。
しかし、ツグミは「うちも部活推奨派」と答える。
「えっ、でも、ネットゲームが出来るって……」
「秘密基地でやってる」
 ツグミはさらりと答えた。「秘密基地!」とチカが目を輝かせた。
「超いいんだけど! 今度、案内してよ!」
「だめ。秘密だから」
「ケチー!」
 膨れっ面をするチカの前で、ツグミは黙々とスマホで返信をしていた。
「秘密基地に、ネット環境があるの?」
 シノは不思議そうにツグミを見つめた。ツグミは、シノを見つめ返すとこう答えた。
「そう。周辺にフリーWi-Fiが飛んでるから、パソコンを持ち込んでるの。電気はまだ通ってるみたいだし」
「電気はまだってことは、何処かの建物で……」
「うん。廃墟を使ってる」
「不法侵入じゃん」
 こら、とマリがツグミのおでこを軽くチョップした。「いて」とツグミは小さく呻く。
「廃墟かぁ。面白そうだけど、危険なことはやめてね」
 シノは座っているツグミに目線を合わせると、真摯な顔で向き合う。ツグミは驚くほど素直に、「うん」と頷いた。
「っていうか、そこまでしてネットゲームする必要ある? 親に小言を言われても、家の方が安全じゃない?」
 マリの言葉に、ツグミは「うーん」と眉間に皺を寄せた。
「なんか、家の外にいたくて」
「……困ったことがあったら、相談してね?」
 シノは、ツグミの顔を覗き込むように言った。「うん」とまたもや、ツグミは素直に頷いた。

「廃墟でやってる理由、それだけじゃないし」
「えっ?」
 シノは目を丸くするが、ツグミは答えずにスマホへと視線を落とした。
「あのさ。地下迷宮は本当にあると思うんだ」
「どうしたの、急に」
 首を傾げるシノに応じず、ツグミは淡々と続ける。
「あらゆるところから繋がっていて、みんな、そこから地下迷宮に辿り着くんだ」
「あらゆるところって? 私も行けるかな?」
 目を輝かせたチカが割り込むが、ツグミはマイペースに話を続けた。
「みんな入り口が見えているけど、気にしてないだけ。三人は私のことを知っているから、町中で私を見つけられるでしょう? でも、私を知らない人からしてみれば、群衆の一部に過ぎない。認知されないってこと」
 ツグミの話を聞いていたシノは、慎重に言葉を選ぶ。
「ツグミを知らない人は、ツグミを見つけられない。ツグミはそこにいるのに、ってこと……?」
「そう。私が見えていても、認識出来ないってこと」
 見えていてもツグミだと分からないというわけではなく、そもそも、目に入らないのだという。
「人間は、視界に入るものすべてを認識しているわけじゃない。その中で有用なものをピックアップしているだけ」
「裏を返せば、私達にとって必要だと思った瞬間に、認識出来るってことかな?」
「そう。必要ならば、地下迷宮への入り口が見えるし、どうしようもなく惹かれて踏み込んでしまう。そういうことじゃないかな」
 ツグミの言葉は確信に満ちていた。
 シノは言葉を失う。マリとチカの方を見やるが、彼女達も同じように沈黙していた。
「ツグミ、まるで見て来たみたいね……」
 荒唐無稽な噂話とは違った、妙な説得力があった。彼女は誰よりも、地下迷宮のことを理解しているように思えた。
 だが、ツグミはふと笑ってみせる。
「――なんちゃって。そうだったら、面白いよね」
「うわ、やられた!」
 マリが呻き、「ツグミ、演技派―!」とチカが称賛する。
 しかし、シノは無邪気な反応が出来なかった。
 ツグミが空想を述べているようにも思えなかったし、何より、手のひらを返した時のツグミこそ、取り繕ったように見えたから――。


 迷宮の中では、真っ黒なドラゴンが暴れていた。
 こちらは三人だが、ドラゴンの体格は圧倒的に巨大で、しなる尾や吐き出される青い炎によって圧されていた。
「ツグミ、回復頼む!」
 フェンサーのエッグプラントが叫ぶ。ツグミは回復魔法を使用しようとするが、何故か発動しなかった。
 体力が少なくなったエッグプラントに、ドラゴンの爪が襲い掛かる。絶体絶命というその時、アサシンの刃が閃いた。
「そろそろ、イッとけ!」
 ドラゴンの死角から攻めたアサシンのククリナイフが、強烈なスキルを叩き込む。その一撃がドラゴンの最後の体力を削り取り、三人に膨大な経験値が加算された。
「あっぶねーところだった……。流石はカノンだぜ」
 エッグプラントは、消滅するドラゴンを背にたたずむ真紅の髪のアサシンに称賛を送る。
 カノンは、長身でグラマラスな女性アサシンだった。ゲームにはあまりログインできないらしいが、レベル以上の動きをすると他のプレイヤーから注目されていた。
 そんなカノンは、紅を引いた唇に悪戯っぽい笑みを湛えながら、へたり込んでいたエッグプラントに手を差し伸べる。
「へーき?」
「お陰様でな」
 エッグプラントは、金髪のイケメン風な男性剣士だ。何故、ナスという意味のプレイヤー名なのかとツグミが尋ねたことがあったが、「ヒミツ」とはぐらかされてしまった。本当は弓使いであるアーチャーをやりたかったとぼやいたこともあった。
「俺はいいとして、ツグミは平気か? ぼーっとしていたみたいだけど」
 エッグプラントが心配そうにツグミを見やる。だが、「ぼーっとしてない」とツグミはすぐさま否定した。
「なんか、コマンド入力したけど反応しなくて」
「コントローラーがイカれたんじゃないか? 結構、酷使してんだろ?」
 機材の問題だと分かると、エッグプラントはからかうように言った。
「そうかも。買い替え時かな」
「俺もこの前買い替えたばっかりなんだよな。きっと、プレイモードを変えまくってるから部品が摩耗したんだと思う」
「プレイモード?」
 ツグミは首を傾げる。
「ツグミちゃんはswitchじゃなくて、パソコンだぜ?」
 カノンが指摘すると、エッグプラントは目を丸くした。
「マジで? 渋いな。アバターが女の子だから、若い女子かと思ったけど」
 ツグミのゲームキャラクターは、現実のツグミと同じような姿をしていた。クラスはクレリックなので、修道士が着るようなローブを纏っているが。
「まあ、アバターと現実の姿が一致するとは限らないでしょ。そういう茄子サンは、アバターと同じく金髪のイケメンなわけ?」
「ああ。俺はイケメンだよ」
 エッグプラントは大真面目な声で言った。「あっ、そう。マジか……」とカノンは引いていた。
「そういうカノンは、赤髪の美女じゃ……ない……?」
「おれは、自分がプレイしていて楽しいアバターにするタイプでね」
 カノンは肩を竦めてみせる。エッグプラントは期待を裏切られたのか、「マジか……」と大袈裟に頽れた。
「まあ、お互いの素性なんてどうでもいいじゃん。せっかく、キャラクターメイキングが細やかでボイスチェンジも出来るゲームなんだしさ。仮面舞踏会だと思って楽しもうよ」
 なあ、とカノンはツグミに同意を求める。だが、ツグミはきょとんとしたままだった。
「ツグミちゃん?」
「あっ、ごめん。考えごとしてた」
「コントローラーをどうしようかって?」
「それもあるけど」
 けど、という言葉に引っかかったのか、カノンとエッグプラントはツグミの方を見やる。
「地下迷宮の噂、知ってる?」
 ツグミ達がいるのは、ゲームのダンジョンの中だった。
 人が思い描く迷宮そのものといった風で、堅牢な石の壁に囲まれた薄暗い空間である。
 エッグプラントとカノンは顔を見合わせ、エッグプラントの方が先に答えた。
「俺は知らないな。テレビでやってた?」
「ううん。主にネットで噂になってる」
「うちの環境がレトロ過ぎて、ネットの情報には疎いんだ」
 エッグプラントは、すまなそうに頭を振った。
「その噂、詳しく教えてくれる?」
 カノンが食いついたので、ツグミはシノ達が話していた内容を簡潔に説明する。

「東京の地下に迷宮があって、そこに日陰者が住んでる――か」
「カノンは知ってる?」
 ツグミの問いに、「いや、――知らない」とカノンは答えた。ツグミは、やけに間があったのが引っかかった。
「まあ、気になる噂だよね。おれの方でも、ちょっと探ってみる」
 そう言って、カノンは背の低いツグミに目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「火のない所に煙は立たないって言うし、ツグミちゃんも気を付けなよ。やべーモノっていうのは、ヤバくない顔して佇んでるもんだしな」
「心配してくれてるの?」
「当たり前じゃん。大事なゲーム仲間だし」
 カノンの言葉には力があった。本気で心配してくれるんだな、とツグミは感じ入る。
「さてと。討伐ミッションも終わったし、おれはログアウトするよ」
「同居人が帰って来たのか?」
 エッグプラントは、からかうように言った。
「帰ってくる前にログアウトすんの」
「この前はひどかったよな。同居人がボイスチャットに乱入して」
「そういう茄子サンのところも、ゲームしてないで家事を手伝えって、家族がブチ切れてたじゃん」
 カノンは、反撃と言わんばかりにニヤリと笑う。
「ツグミちゃんも、コントローラーにお大事に伝えておいてくれよ。いや、パソコンだからキーボードか」
「ううん。コントローラー使ってる。キーボードだとやり辛くて、手に合うやつを買ったんだけど、生産中止のモデルだったから困ってる」
「ガチ勢過ぎだろ」
 カノンの声は引き攣っていた。エッグプラントもまた、乾いた笑いを漏らす。
「これを機にswitchにしようぜ。switchのジョイコンだって握りやすいし」
「プラットフォームは、steamが出来る方がいい。鹿が二足歩行で走って人間を鹿にするゲームとか、乗客を乗せるごとにバスが長くなって町を埋め尽くすゲームをプレイしたいから」
「なにそれこわい」
 三人はひとしきり盛り上がると、解散して各々の生活へ戻る。


 ツグミはコマンド入力がしづらくなったコントローラーを古い机の上に置き、パソコンの画面から目を離して天井を仰ぐ。
 低くて古い天井だった。ツグミが使っているのは、町工場だったと思しき廃墟だ。リーマンショックで廃業したらしく、解体する資金もなくて放置されているという噂を聞いた。
 誰にも振り向かれずに、町中にひっそりとある小さな廃墟。ツグミはそれに、ひどく惹かれた。そして、或るものを見つけてしまった。

「地下迷宮の話、どれくらいの人が知っているんだろう」
 ツグミは、スポンジがはみ出た古い椅子から降りて部屋の奥を見やる。そこには、地下へと通じる扉があった。
 ツグミにとって、地下迷宮の話は身近なものだった。
 なぜなら、彼女が秘密基地にしている廃工場が、地下迷宮へと通じていたから。
「生産中止のコントローラー、あそこにならばあるかも」
 地下迷宮は、奇妙なもので溢れていた。地上からあぶれたものが集まる場所のように思えた。
 だからもしかしたら、地上から消えてしまったコントローラーもあるかもしれない。
 ツグミはそう思って、地下への扉を開いたのであった。


 地下迷宮に行くは、長い梯子を下りる必要があった。
 湿った空気と、ほのかな硫黄の臭いがツグミにまとわりつく。足を滑らせないように慎重に下りると、長い通路がツグミを迎えた。
 左右に伸びた通路の先は真っ暗で、スマホのライトをつけなくてはよく見えない。通路には血管のように配管が伸びていて、時折、唸るような機械音が聞こえて来た。
「ゲーム屋さんでも、いればいいんだけど」
 ツグミは慣れた足取りで通路を往く。彼女は何度も、この地下迷宮に訪れていた。

 地下迷宮に人が住んでいるというのは、本当だ。
 人の住まいには提灯が下げられており、そこには奇妙な住民が住んでいて、大抵は何かの仕事をしていた。郵便屋さんもいたことだし、ゲーム屋さんがいても不思議ではないとツグミは思っていた。
「こっちには行ったことがあるし、あっちかな」
 ツグミは、分かれ道をずんずん進む。
 地下迷宮の壁や張り巡らされた配管には、チョークで印をつけている。そうでないと、出口が分からなくなってしまうから。
 ツグミは、チョークの印がない通路を歩いていた。今までツグミが行った場所に、コントローラーは見当たらなかったからだ。
「……なんか、嫌な感じ」
 通路を進むにつれ、空気が淀んで来たような気がした。硫黄のような臭いが、身体中にまとわりつく。
 床には水たまりが散見され、ツグミが歩くたびに泥が跳ねた。壁や天井に張り巡らされている配管からは、腐食したコードがぶら下がるようになっていた。
 ちぎれたコードが、ゆらゆらとツグミの頭上で揺れる。まるで、手招きをしているかのように。
 しかし、ツグミは脇目も振らずに歩いた。

 しばらく歩くと、開けた場所に出た。
「ここは……」
 吹き抜けだった。
 上階で溢れる提灯の光が、その場所をぼんやりと照らしていた。
 吹き抜けを囲うのは、アパートと思しき施設の外廊下だ。しかし、ずらりと並んだ扉は固く閉ざされている。住民の存在を示す提灯も、掲げられていなかった。
「ゴミ捨て場?」
 ツグミの目の前には、大量のゴミが積もっていた。
 ビニール袋に包まれた可燃ゴミや、壊れた家具がある。生ゴミもあちらこちらにあり、虫が集っていた。
 遥か頭上は、上層があった。そこから提灯の明かりが、眩しく輝いていた。
 ゴミはきっと、上層から落とされたのだろう。
「ここに、あるかな……」
 これだけ物に溢れていれば、どんなコントローラーだろうが、見つかる気がした。現に、ハードディスクなんかもゴミの山に埋まっていた。
 ツグミはそれらを眺めながら、ゴミの山をよじ登る。彼女は小柄だったため、身軽に登ることが出来た。
 脚が折れた机、破れた本、食べかけのパンなどが無造作に転がっている。
 そんな中、ツグミはゲーム機が鉄くずに埋もれているのを見つけた。ゲーム機にくっ付いたままのコントローラーがあったので、思わず手を伸ばす。

 しかし、ゴミ山の中から、ツグミの細い腕を掴むものがあった。
「ひっ……!」
 枯れ枝のような手だった。ツグミが戦慄していると、ゴミの下から、やせ細った人間のようなものが這い出して来た。
 そう、人間のようなものだった。
 眼窩は落ちくぼんで真っ黒で、その奥に暗い光がチラついている。ミイラのような姿だというのに、その手は異様な生命力に満ちていた。
 人間のようなものは、ツグミの顔を鷲掴みにする。渇いた口から漏れた音は、辛うじてこう言っているように聞こえた。
「欲……シイ」
 双眸の奥で、濁った光が揺らぐ。ツグミは、めいっぱい大きな声で叫んだ。
「やめて!」
 刹那、風を切る音が耳を過ぎった。
 両者の間に鉄の塊が割り込み、枯れ枝のような腕を一刀両断のもとに切り伏せた。
「アアアアッ!」
 耳障りな悲鳴が、ツグミの鼓膜を震わせる。
 異形の存在から解放されたツグミは、第三の存在に腕を引っ張られた。
「痛っ……」
「なにボサッとしてるんだ! 逃げるぞ!」
 若い男の声だ。異形に比べて、実に明瞭な声だった。
 声の主は、ツグミの反応を待つことなく走り出す。腕を掴まれているツグミは、それに従わざるを得なかった。


 ツグミが連れて来られたのは、地下街の一室だった。提灯が点々と並ぶ通りに、それはあった。
「あー、ビックリした。まさか、こんな小さな女の子がいるなんてな」
 ツグミを助けてくれたのは、若い青年だった。稲穂のような色の髪で、土色のコートを羽織っていた。
 地上にいてもおかしくない風貌だ。地下迷宮は異形の存在が多いので、珍しいなとツグミは思った。
 だが彼は、剣というにはあまりにも武骨な鉄の板を背負っていた。鉄製のジャンクを寄せ集めて作った、つぎはぎの武器だった。
「私があそこにいたのが、そんなに、意外だった?」
「あそこは地下迷宮でも、そこそこ深いところだ。辿りつける奴は、よっぽど運がいいか、肝が据わってるかだな」
「慣れてるからかも」
 ぽつりと言ったツグミに、青年は目を丸くした。
「いやいや、有り得な……くもないか。俺もそうだし」
 青年もまた、地下迷宮の常連だった。彼はよく、地下迷宮に迷い込んだ人間を助けるのだという。
「にしたって、ゴミあさりしている女の子を見たのは、今回が初めてだ」
 男性は、胡乱げな眼差しだった。
「つーか、なんか言うことあるだろ?」
「助けてくれて、ありがとうございました」
「よろしい」
 ぺこりと頭を下げるツグミに、彼は満足するように頷いた。
 室内には、木箱や棚がずらりと並んでいて、その中に壊れた家具や電化製品などが詰め込まれていた。ゴミ置き場から持って来たものだろうか。とてもではないが、個人的に使える量には見えない。

「もしかして、ジャンク屋さん?」
「ああ。ここは倉庫。店はもっと上層だ」
 ジャンク屋は、天井の遥か上を指し示す。
「で、どうしてあんなところに?」
 ジャンク屋は、相変わらず胡散臭いようなものを見る目で問う。ツグミは、素直に答えることにした。
「ゲームのコントローラーが壊れちゃったから、新しいのが欲しくて」
「は……?」
 ジャンク屋は、理解出来ないと言わんばかりに目を瞬かせた。しかし、ツグミは気にせずに話を続ける。
「コントローラーそのものか摩耗したパーツを交換したいの。コントローラーはさっき見かけたけど、私が欲しい機種じゃないみたい。あなたのお店に、ゲームのコントローラーってある?」
「はァ?」
 ジャンク屋は、素っ頓狂な声をあげた。
「ゲームのコントローラーを拾うために、あんなところまで行ったのかよ。アマゾンで買え、アマゾンで」
「生産中止になってる。中古品は値段が高騰してたから、お小遣いが足りなくて無理だった」
「……いくつ?」
「中二」
 ツグミが指を二本立てると、ジャンク屋は顔を覆った。
「女子中学生が何やってんだ。アキバに行けば、安いパーツがあるんじゃねーの?」
「あなたは持っていないの?」
「ゲーム機のパーツに詳しくねーもん」
 分からん、とジャンク屋はにべもなく言った。
「俺は、捨てられた家具とかをリメイクして売ってんの。インテリア専門なわけ」
「でも、電化製品も回収しているし……」
「パーツがリメイクの装飾に使えると思って」
「勿体無い……」
 ツグミは半歩引いた。ジャンク屋は、表情を引き攣らせる。
「こらこら、引くな女子中学生。まあ、そういうことでお目当てのものもないから、とっとと帰るんだな」
「ん……」
 ツグミは、ちらりと倉庫の出口を見やる。正確には、元来た道を。
「おい。さっきの場所に戻ろうなんて思うんじゃないぞ。あそこは地下街で捨てられたものが溜まっているんだ。浸食が進んだ禍津物(マガツモノ)もあそこに落とされるし、また、襲われるかもしれない」
「マガツモノ?」
「え、もしかして何も知らないのか?」
 ジャンク屋は目を丸くする。
 ツグミは、きょとんとしながら頷いた。ツグミは地下迷宮をたびたび訪れていたが、誰も地下迷宮のことを教えてくれなかったのだ。
「は~、あれが何なのか知らなくて、よく落ち着いていられるな。いや、知らないから落ち着いていられるのか?」
 ジャンク屋は、呆れながらも説明してくれる。
「マガツモノっていうのは、この地下迷宮に蠢いている異形だよ。妙な姿をしている奴ら、あいつに会う前に見なかったか?」
 ツグミは記憶の糸を手繰り寄せる。
「見た、かも。ペンギンの郵便屋さんとか……」
 おばけは人間を閉じ込めたり喰らっていたりしていたようなので、隠した方がいいかなとツグミは思った。ジャンク屋が、大剣を向けるべき相手かもしれないからだ。
「ペンギンの郵便屋には会ったのか。あいつはまあ、妙な姿をしてるけどいい奴だよな。あいつはまだ、マガツモノになってない。黄泉物(ヨモツモノ)だな」
「どう違うの?」
 郵便屋さんは怖くなくて、先ほど遭ったマガツモノは怖い、という違いかなとツグミは首を傾げたが、ジャンク屋は「ざっくりと分類するとそんな感じだ」と頷いた。
「地下迷宮に長い時間いると、認知が歪んで異形になる。その逆で、歪んじまった奴も地下迷宮に来るらしいけどな。ヨモツモノっていうのは、そういうやつの総称だな。地下迷宮の住民ってやつ」
「マガツモノは?」
「歪みが更にひどくなったヨモツモノのことさ。そうなるともう、他の住民とやっていけない。ああいうゴミ捨て場や、深層へと落とされちまうんだ。中には、提灯の明かりを嫌って、自ら深層に行くやつもいるけど」
「提灯の明かりって、もしかして……」
「居住空間に所有者がいることを明確化するためであり、店を持ってるやつは目立たせるためでもあり、マガツモノを寄せないためでもあるな」
「そう……」
 提灯の重要性を説明され、ツグミは今更ぞっとした。明かりのない通路を歩いていた自分は、あまりにも不用意だったと省みたのだ。

「あれ?」
 ジャンク屋に説明された地下迷宮の秘密を頭の中で反芻したツグミは、或る矛盾に気付く。
「あなたの説明だと、地下の住民は認知が歪んで異形になるってことだよね」
「ああ」
 ジャンク屋は頷く。
「あなたは歪んでいるように見えないけど」
「俺は、半地下の住民でね。地下の住民とは言えない半端者なのさ。だけど、ほら」
 ジャンク屋は、土色のコートの袖をまくって、右腕を見せる。するとその腕には、蛇のような鱗がびっしりと生えていた。
「あっ……」
「ビックリしただろ? 地下迷宮の深い場所にずっといると、こうなるんだ」
 ジャンク屋は腕をしまうと、困ったように肩を竦めた。
「知らなかった……。私、何度も来てるのに」
「へぇ」
 ジャンク屋が、興味深そうにツグミを見やる。
「それで、何の変化もないのか?」
「……うん」
 頷くツグミに、ジャンク屋が顔を覗き込む。整った目鼻立ちだが、その視線は獲物を狙う蛇のように鋭かった。
「ヨモツ化が進まないなんて、興味深いな。本当に何者なんだ?」
「……ただの、中学二年生」
 ツグミは、居心地が悪くなって視線を逸らす。
 ジャンク屋はしばらくの間、ツグミのことをじっと見つめていたが、やがて、視線を外して顔を上げた。
「じゃあ、そういうことにしておいてやる」
 ツグミの全身から、どっと汗が噴き出すのを感じた。心臓が飛び出そうなくらい、激しく脈打っていた。
「俺はこのまま上に戻るけど、お前はどうする? 地上まで案内しようか」
 ジャンク屋は、ヨモツ化していない方の手を差し伸べるが、ツグミが握り返すことはなかった。
「いい。帰り道は、分かるから」
「それは何より。何度も言うが、さっきの場所には戻るなよ。お前がマガツモノに襲われて怪我をしたら、心配する人がいるんだろう?」
「たぶん」
「多分?」
「ううん。きっと」
「どっちも変わんないぞ」
 呆れたようなジャンク屋に、ツグミはそれ以上言葉を返さなかった。
 会話はそれで終わり、二人は別々の通路を使って地上へと戻る。

 結局、目的のものは手に入れられなかった。それどころか、奇妙なしこりが胸に残っていた。
 ツグミの頭からは、もはや、コントローラーのことがすっぽ抜けていた。ただ一つの疑問が、ぐるぐると頭の中を回っていた。
「私は、何者なんだろう……」
 秘密基地に通じる梯子を上りながら、己に問う。
 すると、一瞬、自分の指先が歪んだように見えた。自分を襲ったマガツモノのように、枯れ枝になったように見えた。
 ツグミはびっくりして瞬きをする。
 だが、目の前には頼りなげな少女の手があるだけだった。指も手のひらも、見慣れた姿だ。
 認知が歪むとは、こういうことだろうか。
 自分を強く持たなくては、ヨモツ化してしまうのかもしれない。
「私は私……」
 ツグミは呪文のように呟くと、急ぎ足で梯子を上ったのであった。

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蒼月海里
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