中年が思春期みたいに働く事について考える
正直言って働きたくはないよね
自分のやっている仕事が、猛烈に面倒臭くなる時がある。
私は(度々言う様に)大学7年通った相当なダメな方の人間だ。しかし紆余曲折あって今関わっている仕事の結果は、割と全国いろんなところに目にする様になっている。
それなりに今の職場に勤めて時間も経ったので、多分日本人全員が何かしらの形で私の仕事に関わっていると言っていい。
公共性があるやりがいのある仕事で、きっと想像力のある人なら日本の各ご家庭での笑顔を想像して頑張れるのだろう。と言うか、実際私もそう言う感じで、いちヒラ社員としてモチベーションが上がる時がある。
自動車関係の会社に勤めていた時もあったのだけど、担当が中国向け⚪︎⚪︎とか、タイ向け⚪︎⚪︎とか、とにかく海外の方がものが多いし、国内は国内で自分の関わったものは高級車ばっかりに搭載されるし、そのくせ機械屋としての技術的には本当にたいしたことをやらないしで、末期はなんで働いてるのかよく分からなくなっていた。
なので、その時のモチベーションはどちらかと言うとチームの役職者として部下をどう育ててあげるかみたいな方にあった。
ちなみに、当時の部下はちゃんとみんなそこから「卒業」して活躍しているのでホッとしている。
最初にいた会社はもっと酷くて、何しろ既婚者が10人中2人。会話はタバコとパチンコと風俗の話が6割を占め、後の3割は仕事だった。
残りの1割でなんとか話を繋ぐけれど、あまりにも未来を感じられない窮屈な職場に1年足らずで絶望した。
過重労働(※1年目から40連勤とか月130時間残業とか)にサービス残業、労災隠し、課長の妻の営業する保険に勧誘させる、と、どこを見てもブラックだったので辞めてよかった。
直接の引き金は、そんな中でも尊敬していた係長の繁忙期の業務日報が30連勤全て定時上がりで、そんな事に一才触れず課長が過去最高利益率に喜んでいた事である。
私は係長が一年目の私に付き合ってくれた事を感謝しつつも、私は半年後に逃げ出した。
金になるとかならないとか
お金が希少価値に対して与えられるものかと言うと経験的にNOだと言い切れる人生を送ってきた。 なにしろ、私的に技術的な突出度と言う意味では1番高いだろう長期人狼が一銭にもなっていない。
周りを見ると昔(10年以上前)はオフ会をして人狼が強い人はお金持ちだったり、大企業勤めの人が多かった気がする。まぁ、大体みんな辞めていったのだが。
自分の職歴の中でも、おそらく1番へっぽこだっただろう自動車関係に勤めていた時が1番お金を稼いでいた、と言うのもそう。
ちなみにこの時も100時間残業を3ヶ月連続でやったりした後に分不相応に出世してしまい体を壊した。
当時を思い返すと、製品全体に対する裁量があれほど小さくて間接作業が多々あっても人的な利益がまだ残るのかと感心する。
既に持っている人から、いかに自分のところに分配してもらうかがお金稼ぎに割と大切なファクターな気がしていて、憂鬱になってくる。
私としては、他人に合わせてそれでOKな仕事ほど退屈なことはない。
でも、かと言って誰かの席を押し除けて奪い合うのは好きじゃないんだ。そう言うのはゲームだけでいい。本当に。
得意だとか得意じゃないとか
教科は、ほとんどの場合国語が1番出来ていた。2番目は日本史だ。
物語が好きで、声が大きく感情表現が大袈裟だとよく言われた。
市の読書感想文での受賞歴も、実はあった。
なら文学者とか、歴史を研究するとか、小説家とか、あるいは俳優……を目指せば良かった……などと思う旨もあるのかもしれないけれど、当時の私は特に世の中に問いたいものがあるわけでもなく、自分の中に表現出来るものなどないと思い込んでいた。
周りに参考にしたい人も、いなかった。
成績面でかなり反対された記憶があるし色んな人に意外がられたが、私は文系に行ってやれる自信のある事が本当になかった。
(当時の)センター試験の結果も、数学が1問間違いだったのになぜか模試でほぼ毎回満点近かったはずの国語が転けて8割しか取れなかった。
私はアホだったので、「やっぱり理系でよかったな。選択は正しかった」と勘違いしたものだ。
実際は、単に訓練不足だったにも関わらず。
この勘違いのせいで大学入ってからまた苦労することになるのだが、まぁそれは別の話。
今(専攻とは違うけど)理系分野でご飯を食べているが、文系に行ってたらもっと稼げたか…と言うと可能性はある。
ただ、少なくともこの文章をここまで読んでいる人にとっては、私がこうやってだらだらとした10代20代を過ごしてしまわなければ全然違う内容になっていたわけだ。だからギリギリ縁になって役に立ってる。多分ね。
世の中に求められる事がやりたい、とは
職業の選択は難しい。
報酬がその人に支払われるべき価値ならば、それが最大になる様な職業に就くべきだとやはり考える。
しかし、江戸時代の飛脚が現代に生まれて全員が陸上選手として生活できる訳ではないのと同様に、どうしてもお金にならない特技が存在してしまう。
それに、好きな事でも疲れてしまえばそれまでの話。
しかし、ゆめゆめ勘違いしてはいけない。
お金だけでその人の価値は決まらない事に。
(※ただし、お金がないと自尊心が削られなくて良いタイミングでゴリゴリ削られるのもまた現実である)
没頭出来る仕事がいい
自分がどんな仕事がいいのだろう?と言うのは、本人が余計なことを考えずに結果だけ見れる。これに尽きると思う。
それが人に興味を向いていれば営業だったり、物に興味を向いていれば技術だったりするんだろう。
それが上手くフィットして経営者になれたとしたら幸運だ。
家族の為に日々辛い仕事を乗り越えて養えたなら、それもまた素晴らしい。
選んで納得できればそれでいいよ
色々話したけど、まずは生きてるだけで良いと思うんだよ。
たとえその過程で自分が力及ばず悔しい思いをしても、きっとその悔しい思いを聞いて心の糧にする人がこの世のどこかにいて、話を聞かせてくれてありがとうと言ってくれると思うんだよ。
今ダメな事と、今頑張っててすごいって事、両立すると最近よく思うんだ。
今頑張ったら、泣いていた過去の自分と、美味い飯でも食べに行こう。
大丈夫だよと美味い飯を奢ってあげられる、誇れる仕事をしよう。そう思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?