ミルフィーユに学ぶしあわせそれは積み重ね
「で、aotenさん今日はどうする?」
私の背後に立った店長がいつものようにオーダーを聞いてくれましたので、こちらもいつものように予めスマホに保存した写真を見せながら「今日は高畑充希ちゃんにしてください」と言うと「それムチャブリ!」と返事が返ってきました。
20年近くお世話になっている美容室の店長との、固い絆を改めて感じる事ができました。
店長、あのドラマ見てんのか。
随分と春めいてきましたので短く切った襟足に吹く風も心地よく、沈丁花を見かけるたびに少しマスクをずらして、この春の、春だけの、特別な甘い香りをめいっぱい吸い込みます。
街中を歩きながら、足下に小さな花を見つけ、公園の木の枝に蕾や芽を見つけ、桜の開花を心待ちにするのは、一瞬で走り去ってしまう春を何とか繋ぎ止めたいという気持ちの表れかもしれません。
スーパーには2月頃から真っ赤ないちごが陳列されています。
春の間にいちごが主役になるお菓子を作りたいとぼんやり考えていましたが、この日ようやく決めたのはいちごのミルフィーユでした。
丸い形の、一口サイズのミルフィーユを作ってみたい。
レシピを見ると、パイ生地、カスタードクリーム、いちごの組み合わせである事がわかりました。
パイ生地はこれまで何度か作っていますので、材料も工程もある程度イメージがつきますが、カスタードクリームは人生初のチャレンジです。
必要な材料に、バニラビーンズ、コーンスターチと書かれていますがどちらも購入した事がなく実際に見た事もないので、製菓材料店で探すのに一苦労しました。
粉類とは少しだけ離れた棚に、ひっそりとあったコーンスターチ。
白くてびっくりです。
私の中のレミオなロメンがまた、粉ぁ〜雪ぃ〜♪と歌い出しそうなぐらい白くて繊細な粉だとはつゆ知らず、店頭でしばらく黄色い粉を探していました。
ブラザーコーンは例外として、コーンといえば黄色でしょ?
どこにあるか皆目検討もつかず、定員さんに教えていただいたバニラビーンズ。
枝なの?
あああれか、泥棒が鍵を開ける道具か。
やめておけばいいものの、「泥棒 鍵を開ける道具」で検索してみたところやっぱりそうでした。
右から3つ目のやつに違いありません。
バニラビーンズからのピッキング道具からの最後はミルフィーユに至りたいと考えています。
そして私は値段を見て、のけぞりました。
税込723円。
枝に?
うちの実家の裏庭に、こんなやつ山ほど落ちてるけど。
ああそうか、723円払ってもピッキング道具として使えば元は取れるか。ウシシ。
誰か止めてください。
一通り妄想したあと、潔くバニラビーンズを購入しました。
この何の生命力も感じられない枝的物体が、あの豊かな香りの根源だとは神秘すら感じます。
後々調べたところ、マダガスカル産のバニラビーンズは上質なものらしく、私のような素人には勿体無いものでした。
カスタードクリームの始まりは、卵黄から。
卵黄にグラニュー糖を加えて白っぽくなるまで混ぜ合わせたら、コーンスターチと薄力粉もイン。
鍋に牛乳と少量のグラニュー糖、バニラビーンズ1/3を加え沸騰直前まで火にかけます。
これにボウルで混ぜ合わせた材料を加えた後、とろみが付くまでまた火にかけます。
するとどうでしょう、あっという間にトロトロのカスタードクリームに変化しました。
物質と物質が混ざり合い熱によって変化する様は、まるで化学の実験のようです。
しかしこの時点で、あの甘く優しいバニラの香りがあまりしない事に気がつきました。
え?高かったのに?
こんなもんなのマダガスカル産。
何か使い方を間違えたのかと別のサイトを見たところ、バニラビーンズは細い鞘の中に詰まった中身を取り出して使うものだと知りました。
ちょん切って鞘のまま鍋に入れてた。
無知とはなんと罪深いのでしょうか。
やはり知らない材料はきちんと調べて使わなければなりません。
パイ生地は少しだけ慣れた手つきで作り、充分に休ませてから丸型に抜いてみました。
200°で30分。
なんかちょっとこれじゃない感。
しかし、ここからの地道な積み重ねこそが大切です。幸せは積み重ねの先にあるものなのです。
膨らんだパイを3等分し、カスタードクリームといちごを慎重に重ねていきました。
イタリアの、かの有名な『ピサの斜塔』と同じく3.97度傾けました。
グラグラする。
そう、幸せとは不安定なもの、それが真理です。
仕上げに、例のアレを重ねてみます。
粉糖かければ大抵美味しそうに見える説は、あながち間違えてはいないようです。
ミルフィーユかそうでないかの議論はさておき、頭の中でイメージしていたものにずいぶん近づけた気がします。
この後一口で食べるわけにもいかず、それぞれの段をバラしながら口に運ぶと、サクサクのパイ生地、いちごの酸味、甘いカスタードクリームが素晴らしいハーモニーを響かせてくれました。
それはまるで、ピサの斜塔から鳴り響く鐘の音色でした。聞いたことないけど。
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