子供を医者にしたい親と、家の親父の差を考える
右や左の旦那様毎度毎度の学歴ネタを。
最近こういう右や左の旦那様哀れと思ったらお恵みをというコジキねたは許されないよなとかいきなり話がそれるのが俺のクセである。
ドラえもん大百科のこれで覚えた。
まあそれはそれとして。
いつものこどもポケモンで親が楽しむやつである。親は文句をいうだけで子供が実労働を担うので楽であり、親の娯楽としては大変よろしい。
慶應の金持ち見てきての感想としては、確かに課金である程度人が超えられない壁を超えていけるのは確かなんだけど、その壁を自力で超えることでつく筋肉がつかないって思う。
そうするとまた次の壁がきたら親の金を使って避ける。よければよけるほど次の壁は超えられない。親の金が尽きるまでそれをやるしかなくなる。
うちの母親は事あるごとにおれにいったものだ。
あんたの痛いのも辛いのも代わってはやれんのやから。と。
そういうのがなく、親が痛いのをなくすために金を使うと先が悲惨なことになる。
うちも母親のあの言葉は引き継いでいきたい。
で、いかのとこをみて思い出したのが家の親父の話である。
頑是ない子供のころ9歳くらいかそこらだった。
おれが、「ぼく医者になりたいな」と言ったら親父はこういった。
「血を見たり切ったり内臓見たりするんやぞ怖いぞー!」
全く子供のやる気を削ぐ親であった。
せっかく医学部を目指す子の二割になろうとしていた子供にいきなり水を差してきた。
純粋な子どもの俺は怖いのやだからやめるーと言ってその道を選ぶのをやめたのであった。
なんとも中学受験に向かない家庭であったことよ。
その割に大学行け行け。行かないと工場で大卒にあごで使われるぞとかそんなのをいう親父だった。
ツイッタランドでみる学歴不要な毒親とかいうのではなかった。せめて関関同立だぞとやかましかった。
むしろ今の俺のほうが大卒嫌いな気がする。
自分の子に大卒になってほしいかと言われると、勉強してテストが良ければいけば?少なくともMARCHくらいうかったらいけば?と言うしかない。
144単位を三年で授業も出ず取った経験から言うとあれはモラトリアムとしては最高だがそのモラトリアムはMARCH以上でないと意味がないように思う。
とりあえずくもんは卒業させたので、あとは気の向くまま適当にやってくれ。テレビ見すぎるなよというところか。
ただこれは真実だと思う。自分の意志でやるとしたらやるしかないのだから。
わしも5ヶ月くらいで慶応にいくと自分できめてテッテ的にやった。
やると決める意思も親の金で壁を超えてるとなくなっていく。
孫子に美田を残さずというやつだろうな。