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こんなご時世にスーダンへ渡航。


 リアルタイムでは、ナイル川単独カヤック行を無事終え、今は日本へ帰国する為に、エチオピアの空港でトランジット中です。安い航空券なので待ち時間が15時間ありますが、この時間で忘れないうちに今回の遠征の顛末を記していきたいと思います。



話は遡ること1ヶ月前


 ビザを取り、航空券を買い、渡航用陰性証明書をもらうためのPCR検査を受けた。


 コロナ禍の渡航は、このPCR検査の陰性証明がないと、入国はもとより、飛行機に搭乗することさえできない。
 それも渡航先の国によって入国条件は様々で、幸運なことにスーダンやエジプトは比較的その制限が緩い。ビザと入国前の96時間以内に受けた陰性の検査結果さえあれば、日本のように入国後の2週間の隔離等はない。
 世界的に見ると、この隔離期間を設けてない国は多くはないものの、やはり観光立国などは外貨獲得の為か、入国制限が早くから緩和されている。


 とはいえ、今までのように時間ができたから、なんとなく行きたい国へ航空券買って空港へ向かう、というノリでは海外旅行はできなくなってしまった。まずPCR検査の結果が出る2日前くらいまで渡航できるかわからないというのが、相当に焦ったい。


 この1年半、コロナ禍において海外に行くことすら半ば諦めていたので、あまり実感することはなかったが、いざ準備を始めると、情報収集の段階から、渡航に際しての必要書類などに不明確な点が多く、この時期に海外へ行くことが、いかにハードルが上がっているのか身をもって知った。特にスーダンは、ただでさえ渡航者が少ないのであろう。体感で言うと通常旅行の3倍くらい労力がいる気がする。


 今まで海外の情報は、ほぼネットのみに頼ってきたが、今回ばかりは現地大使館や航空会社など片っ端から連絡して情報を集めた。しかしそれでも不明瞭な点は残っていて、当日空港でのチェックインまで、本当に渡航できるのか不安が残った。

 もっとちゃんと規定を明記してよ!と何度も思ったが、このくらいのことをこなせないのなら、この時期に海外なんて行くな!と言う声がどこかから聞こえて来る気がして、その度にクーッと思いながら1つずつ解決していくしかなかった。


そして渡航前日

 PCR検査も病院によって検査料がマチマチで、高いところだと3-4万円、安いところだと1万円弱。なんでこんな差があるん?と聞きたいところであったが、無症状のPCRは保険適用外だそうで、ここで各病院のビジネスの手腕が発揮されているか否かということだろうか。

 バックパッカー気質が抜けず、もちろん最安でいくやろ!と思う反面、安いところで本当に大丈夫かな?と、今回ばかりは準備万端の体制で行きたいという気持ちもあって、結果、中途半端に平均よりやや安めの病院で受けることにした。


 これに関しても、陰性証明書は原本である必要がある、と言う国や、検査結果に直接アクセスできるバーコードかQRコードの記載が必要、とか国や航空会社によって条件が異なるのだが、スーダンはというと、特に何も提示されていないのであった。これはなんでもいいと言うことなのか、イミグレ職員の匙加減によるということなのか。その辺も曖昧で不安を煽って来るのが、なんとも意地悪である。笑


結果は無事陰性。まず第一関門を突破できた。渡航前日にして、これでやっと必要書類が最低限揃った。


渡航当日 


 フライトは夜の22時であったが、カヤックと野営道具と食糧、併せると50kg以上の荷物があったので、帰宅ラッシュに巻き込まれないよう夕方前に家を出た。迷惑にならないよう電車の先頭車両のちょっと広いスペースを確保して、汗だくになりながら荷物を引っ張って、2時間弱で成田空港に到着。

 久しぶりの空港であった。やはり前みたいな活気はなく閑散としていたが、時期もあって、世界各国のオリンピック選手が国のジャージを着てウロウロしていた。


 チェックインが迫るにつれ、不安やら興奮やらで心臓が高鳴る。なんのスポーツかわからないが、イランやアイルランドのでっかいオリンピック選手たちとともに列を作り、チェックインカウンターに並ぶ。5つほどあるカウンターの何箇所かでは、書類不備なのか職員と揉めている人が散見され、僕もああなるのかなとドキドキしていたが、僕の番が回って来ると、スムーズなやり取りの後に、あっけなくポンっと搭乗券が渡された


 今までの苦労が報われたという気持ちと、本当に行くんだ、これから始まるんだという気持ちが入り混じり、興奮冷めやらぬまま飛行機に乗り込んだ。




続く

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