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(小説)宇宙ステーション・救世主編(三・三)

(三・三)子犬と少年
 北代議士の死の知らせを聴いた後ぼんやりと降り続く雪を眺めているうち、日が暮れて夜が訪れる。雪は路地にネオンに積もり出し、音もなく吉原の街を白く染めてゆく。北の死によってどうにも気が滅入る雪は、宇宙駅にじっとしていられず、外に飛び出す。
「ママ、ちょっと出て来る」
「はあ、またかいな。ちょっとあんた、この商売夜稼がんでいつ稼ぐの」
「雪も積もり出してるし、誰も来へんて」
「またーっ」
 苦笑いしつつも咎めるお節ではない。
「そんな恰好しとったら、凍え死ぬで」
「平気や、平気」
 お節の言葉も聞かず、夜の巷に飛び出す雪。
 お節が忠告するのも無理はない、雪の服装ときたらいつものハイヒールにコートで、コートの下はミニスカ。そんな恰好で雪の積もる路地を、雪はひたすら弁天川へと向かう。今夜会えるかどうか定かではないけれど、いつものようにコンビニに立ち寄り子犬の食料を買う。レジの前に並び外を見ると相変わらずの雪、ついでに透明のビニール傘も購入。
 コンビニを出て、直ぐに傘を開く。ぽたっぽたっと粉雪が、ビニール傘に引っ切り無しに落ちて来る。
「お雪さん、今夜は元気ええな」
 零す雪の息が粉雪の中に解けてゆく。ふうふう息を吐き吐き、つるつるっと幾度も滑りそうになりながら、ようやく弁天川の見える通りへ。そこではっと息を呑み、足を止める雪。
 河原にふたつの小さな光が点っている。光は鼓動のように明滅し、あたかも冬の蛍火のようである。どきどき、どきどきっ、もしかして。滑るのもお構いなしカタカタッとハイヒールの音を響かせ、夢中で駈け出す雪。はあはあ乱れる息が白く凍える大気の中に上昇し消えてゆく。
 息を切らしハイヒールの音と共に雪が河原に近付くに連れ、ふたつの光はその輝きを弱める。雪が河原に足を踏み入れ光のそばに辿り着く時には既に光は失われ、そこには子犬と少年の姿が。思った通りや、雪に濡れた足の冷たさも今は気にならない、雪は近付く。そんな雪よりも早く、
「ワン」
 子犬が元気に雪に飛び付く、嬉しくて堪らないと千切れる程に尻尾を振って。
「うわっ」
 傘を持ったまま、片方の腕で必死に子犬を抱き締める雪。
 厚化粧の雪の頬っぺたを、ぺろぺろぺろっとくすぐるように子犬の舌が舐める。
「分かった、分かった。二人共びしょ濡れやない」
 雪の声もはしゃいでいる。どきどき、どきどきっ、子犬の鼓動と体温が伝わって来て、その命のいとおしさに胸が詰まりそうな雪である。この寒さの中、弁天川の川沿いを飾るように河原には水仙の花が咲いているけれど、今夜ばかりは雪を被ってぶるぶるっと震えている。
「にいさん、元気してたん。雪、心配でしょっちゅう来てたんやで、ここ」
 けれど相変わらず無愛想な少年は、黙って川を見詰めている。
「寒ないの、にいさん」
 少年の恰好といえば先月初めて会った時と変わらない、半袖の開襟シャツに半ズボン、丸であの夜のまま時が止まっていたかのようである。なのにこの寒さでも平然としている少年、その息は矢張り白くならず無色透明。ほんとに息をしているのかと疑いたくなる程。
 子犬がするするっと雪の腕からすり抜け、雪の地面に着地すると少年の足下に擦り寄る。雪は少年の濡れた肩に傘を差し掛け、そのまま並んでしばし川を眺める。灰色の空では川の面に星影も映りはしない。その代わり天から落ちて来る粉雪が、次から次へと川に吸い込まれ融けてゆく。ひゅるひゅるーっと時より木枯らしが吹いて、驚いたように粉雪が舞うのである。
「雪って本当にきれいだね、どうしてこんなにまっ白なんだろう」
 ようやく少年が口を開く、頬を紅潮させて。
「そやね、にいさん」
 頷く雪の顔を見詰め、突然少年がくすくすっと笑い出す。
「お姉さんの顔、化粧が剥がれて、お化けみたいだよ」
 へっ。
「何言うの、にいさん。雪怒るで」
 頬っぺたを風船のように膨らませて見せるけれど、笑っているから少しも恐くない。見ると少年のそばに小さな雪だるまがひとつ。
「あれ、にいさん作ったん」
 照れ臭そうに頷く少年。
「やっぱし子供なんやね、にいさんも」
 喜びが込み上げてくる雪。
「雪も作ろうかな、雪だるま」
 そこへくんくん、くんくん、子犬がコンビニのレジ袋に鼻を近付ける。
「忘れてた、御免御免。お腹空いてるやろ」
 レジ袋を地面の上に敷いてその上に食料を並べるや、直ぐにぱくつく子犬。
「あれからなんか食べたん、子犬のにいさん」
 しゃがみ込み子犬の頭を撫でるも、顔も上げず子犬はひたすら食べる。少年も雪の隣りにしゃがみ、並んでにこにこ子犬を見詰めている。
 よし、とばかりに雪は傘を少年に預けると立ち上がり、せっせと素手で雪だるまをこしらえる。出来たそれを少年の雪だるまの隣りに並べ、
「お似合いやろ、な、にいさん」
 今度は雪が化粧の落ちた頬っぺたを赤くする。
「ふーっ、にいさん冷たい。ほら雪の手、まっ赤や」
 白い息を掌に吹き掛ける。
 しゃがんだままじっと雪を見上げる少年、見ているのは雪の手か白い息か。その瞳を見詰め返す雪、引き寄せられるように少年の目の前で再びしゃがみ込む。まっ直ぐに目と目が合う。
「にいさんの目、綺麗やな、よう見せて。あらっ、にいさんの瞳の中に銀河が見える、なんで」
 けれど少年は、まっ赤な顔のままかぶりを振る。
「空の星が映っているんだよ」
 少年が真顔で答えるから、雪は大きな声で笑い出す。
「にいさんの嘘吐き、空曇ってるで」
 あ、しまったという顔ではにかむ少年。
 互いの息が互いの顔にかかる、雪の白い息と少年の透明な息と。どきどき、どきどきっ、雪は俄かに興奮を覚える、寒さの中で体の芯が熱く火照る。少年の目を見詰めたまま、言葉を漏らす雪。
「にいさん、雪なんか、変な気してきた。な、キスしてもええよ」
 甘い香水の香りを漂わせ女の表情で少年を誘う雪は、正にお節の言う魔性の女。潤んだ雪の目をじっと強張った顔で見詰め返す少年。しかし咄嗟に雪は後悔する、しもた、忘れてた。雪が思い出したのはお雪さん、男という獲物を前にしたら必ず叫ぶあの言葉『こいつをころして』。払っても払っても心の奥底から響いて来るあの叫び……。
 ところがいつになってもお雪さんの声はしない。おかしな、首を傾げる雪。どないしたんやろ、相手がまだ子供やからやろか。ふっとため息を零す雪。
「キスならぼくより、この子の方が得意だよ」
 子犬の頭を撫で微笑む少年の、汚れを知らないその目が眩しくてならない。
 ほれ、やっぱしまだ子供や。でも良かった、にいさんまで桜毒で死なせとない。胸を撫で下ろす雪。危ない危ない、口だけでもうつるねんから、気付けんと。にいさん死んだら、雪、生きてゆけへん。最早雪の中ではかけがえのない存在となっている少年である。
「にいさんにはまだ、刺激が強過ぎる。お預けや、もちっと大きなってから」
 自分に言い聞かせるように少年に告げる雪。
 その時、食事を終えた子犬が顔を上げ、曇った夜空に向かって「ワン」と吠える。釣られて少年が立ち上がる。
「どうしたん」
 雪も立ち上がり、子犬と少年と共に空を見上げる。子犬の代わりに、灰色の夜空の一点を指差しながら少年が静かに答える。
「ほら、宇宙船だよ」
「へ、ほんま、にいさん」
 驚く雪の声に、少年は頷く。けれど幾ら夜空を見上げてみても、雪には何も見えない、ただ降り頻る粉雪が落ちて来るばかり。少年は言葉を続ける。
「今夜は、オリオン座ステーションに停車するみたいだよ」
 オリオン座、何も見えないけれど頷く雪。
「綺麗やろな、にいさん、オリオン座ステーションて。雪も行ってみたい」
 少年の目をじっと見詰めると、その瞳の銀河の中に確かに何かが映っている。子犬と少年に傘を差し掛けながら、雪は少年の空想の中へと吸い込まれる。

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