【新作落語】教ゑ魔
江戸の町。二人の若侍が激しく憤っている。
堅之介「ええい今日という今日はもう我慢ならん!」
源五郎「堅之介、いかがいたす?」
堅之介「うむ、源五郎、決まっておる!この腹を掻っ捌いて、それがしの血の付いた短刀を矢野めに送りつけてやる!」
源五郎「指し腹か!やるのか堅之介!」
堅之介「ここで引き下がっては武士の名折れよ!見事、切腹して果てて見せようぞ!」
駆け出し、自邸で切腹の用意をする堅之介。
堅之介「許さぬ、許さぬぞ矢野備前、よくも父上を、亡き父上を愚弄しおって…!」
久太夫「…(何か食べながら)おか、おかえり」
堅之介「…叔父上。来ていらしたのですか」
久太夫「ん、ああ…んん、わかった、皆まで言うな、皆まで言うな、お主の言いたいことはよ~くわかっておる」
堅之介「叔父上…もしや…」
久太夫「さぞ無念であろう、怒り甚だしいことであろう、だが、ここは堪えてくれ」
堅之介「なりませぬ!たとえ叔父上でも!」
久太夫「堅之介、食べてしまったものは仕方がなかろう」
堅之介「は?」
久太夫「茶箪笥の大福な…。あれはわしを呼んでおったのだ。もう固くなりかけておった。このまま段々とまずくなっては大福の名が廃る。頼む、そこなる御仁、食ってくれ、せめてもの情けじゃ、今食ってくれ…とな。大福が叫んでおった。だからもう仕方がない。わしが助けた。腹に収めた。許せ」
堅之介「大福など、今どうでもよいのです!」
久太夫「どうでもよい?あ、良かったあ~」
堅之介「それはそれで許せぬが!それがしが楽しみにしておった大福ですが!今はそれどころではないのです!」
久太夫「一体なにがあったのじゃ」
堅之介「憎き矢野備前めが殿の御前で、亡き父を愚弄しあざ笑いおったのです!」
久太夫「ああ、あの底意地の悪い家老の爺じゃな、まだ生きておったのか」
堅之介「叔父上は浪人になられて十年に及びますのでご存知ないかもしれませぬが、殿が年若いのをいいことに、近頃の彼奴の悪行三昧は目に余る!」
久太夫「弟もなあ、よくそう言っておったわ。で、頭に血がのぼって、のぼってのぼってドカーン、富士山宝永大噴火のようなものじゃ。それでコロリと死んでしまった。お主もその気質じゃ気を付けられよ」
堅之介「いえ、もう許せませぬ。かくなる上はこの腹を掻っ捌いて、矢野めに短刀を送りつけてやる所存!」
久太夫「ええ…?」
堅之介「止めてくださるな!もう覚悟は決め申した!」
久太夫「まあ…そりゃあ止めぬよ。覚悟の切腹は武士の誉れじゃからなあ。けどそう簡単にいかぬぞ切腹は。作法や心構えは存じておるのか?」
堅之介「恥ずかしながら、作法も何もそれがしは詳しゅう知りませぬが…」
久太夫「わし、切腹はちょっとうるさいよ?」
堅之介「はあ…」
久太夫「まず、その、持っている短刀を貸してみなさい」
堅之介「はい…」
久太夫「ああ、これは駄目じゃ」
堅之介「なぜでござりますか?」
久太夫「切腹の短刀はな、九寸五分と決まっておるのだ。これは長すぎる。長いとな、距離は出るけれど、芯に当たりにくくなる」
堅之介「…距離?芯に?」
久太夫「ダフるよ?」
堅之介「だふる!?だふるとはどういうことでござるか?」
久太夫「ああ、いや、わしが勝手に切腹をしくじることそう呼んでおるだけじゃがな。ダフる、何かこう、しっくりくるであろう?ダフる」
堅之介「だふる…それがしだふりたくありませぬ!」
久太夫「ならばこのわしと、切腹の稽古をしようではないか。稽古を積めばしくじることはないぞ」
堅之介「そのような時の猶予はございませぬ」
久太夫「何でもすぐに上達すると思うな!」
堅之介「それはそうでござるが…。ならば、手短に、ご教授いただけますか」
久太夫「うむ。ではまず、ひと通り、この鞘だけ使ってな、好きにやってみなさい」
堅之介「はい。(切腹の動作で)うおおっ!ぐぬああ!しゃああ!えええい!(投げる動作)」
久太夫「それは何をやっておるのだ」
堅之介「引きずり出した腸をぶちまけておるのです!」
久太夫「できない、できない。できないから」
堅之介「できます!」
久太夫「できないから。横に引いたら介錯人が首を落とすの。そもそもお主、何から何まで力みすぎじゃ。もっとリラックスせよ」
堅之介「りらっくす!?それはどういう意味でござるか?」
久太夫「ああ、最近な、エゲレス語の塾に通っておってな、たまに出るのだ。リラックスとは、体の力を抜けということじゃ」
堅之介「体の力を抜く…りらっくす…」
久太夫「そうそう。でな、この、短刀の握り方からしてなっておらぬわ。グリップはな…」
堅之介「ぐりっぷとは何ですか!?」
久太夫「ああ、すまぬ、柄のところな。こう、強く握るのではなく、包み込むようにする。で、シャフトとヘッドが…ああ、刀身と切っ先がな、スムーズ…なめらかに進むようにする。これが基本姿勢じゃ」
堅之介「実に面倒にござりまするな…」
久太夫「基本を疎かにして立派な切腹は出来ぬのだぞ堅之介よ!」
堅之介「はあ…」
久太夫「よいか、動きをよく見よ。目の高さに短刀をおし頂く、バックスイング、ここがトップな。切り返して、ダウンスイングから…インパクトゥ!芯で捉える!そこからフォロースルー!横一文字に掻き切って、フィニッシュ!首が落ちる。これが切腹じゃ」
堅之介「何のことやら全くわかりませぬ!」
久太夫「ビギナー…初心者は皆そうじゃ」
堅之介「切腹に初心者がありましょうか?」
久太夫「ある。基礎をしっかり叩き込まねば切腹の度に困ることになろうぞ」
堅之介「切腹は何度もやることではありませぬ!」
久太夫「では一度きりなればこそ、しっかりと稽古するべきじゃ。堅之介よ、お主どうしてもフォーム…」
堅之介「ふぉーむ!?」
久太夫「姿勢が乱れるならば、わしが秘伝を教えよう」
堅之介「秘伝とは何でござるか」
久太夫「言葉で拍子を取るのじゃ。おし頂く、突き立てる、引き回す、この三つの動作にそれぞれリズム…調子良く言葉をあてがうのじゃ。やってみよ」
堅之介「調子良く…言葉…。おのれ憎き矢野備前!たとえこの身が滅ぶとも!天魔となってこの怨恨を…!」
久太夫「長い、長い。歌舞伎じゃないんだから。それでは拍子が取れぬであろう」
堅之介「ではどうすればよろしいので?」
久太夫「例えばじゃ、見ておれ、三拍じゃからな。行くぞ…(切腹の動作で)チョーーー、シューーー、ハーーーン!」
堅之介「それがし、長州藩士ではござらぬ!」
久太夫「例えばじゃと言うておろう。こういうものは語呂が大事じゃ。お主なにか馴染みの言葉で思いつかぬか?好きな食べ物はなんじゃ?」
堅之介「霜降り鰹の湯引き大根おろし添え辛子醤油がけにございます」
久太夫「長い、長い。もっと短いの」
堅之介「蕎麦も好きにござる」
久太夫「蕎麦…蕎麦は短すぎる三拍にならぬではないか」
堅之介「では、うなぎの蒲焼…」
久太夫「違うな」
堅之介「ひじきの白和え…」
久太夫「違う」
堅之介「三輪そうめん…」
久太夫「三輪そうめん!三輪そうめん良いな!三輪そうめんで三拍の拍子をつけてやってみよ」
堅之介「(切腹の動作で)ミワーーー、ソーーー、メーーーン!」
久太夫「ナイスショット!ナイスショット!」
堅之介「叔父上、本当にこのような稽古が必要なのですか!?」
久太夫「無論じゃ。こうして少しずつ上達していくのじゃ。三年も経てば見事に切れるぞ。百点満点で切れるぞ。百切れるぞ。百切れる」
堅之介「それがしは今、腹を切りたいのです!」
久太夫「すぐそうやって焦るのが素人の悪いところじゃ」
堅之介「もうお教えいただかなくて結構!勝手にやらせていただきます!」
久太夫「わしは親切で教えておるのだぞ?」
堅之介「いいえ叔父上は教えたがりの魔物、教え魔にござる。出禁じゃ。叔父上は我が家に出入り禁止!」
久太夫「そんなあ…」
堅之介「勝手に大福は食うわ切腹の邪魔をするわ、実にろくでもない。帰ってくだされ叔父上!それがし一人腹にて立派に果て申す!」
久太夫「そうかあ?先達の教えは聞いておくものじゃがのう…。出入り禁止では致し方ないか…よっこらせ…」
源五郎「堅之介―――――っ!!」
久太夫「うーわーびっくりしたあ!」
源五郎「堅之介、早まるなあ!!」
堅之介「源五郎ではないか!いかがした!草履のままではないか」
源五郎「すまぬ、草履のままも無理からぬこと。よく聞け、や、矢野めが!矢野備前めが、蟄居と相成ったのだ!」
堅之介「なんと!」
源五郎「殿が、殿が遂に、矢野の横暴を咎められたのだ。このまま隠居も申し渡されるらしい。失脚じゃ!矢野は失脚!」
堅之介「ああ殿…よくぞご決断なされた…!」
源五郎「殿はお主をお気遣いなさっておられるぞ。怒りのあまり、堅之介が腹なぞ切っておらぬかどうか確かめて参れと」
堅之介「今…今まさに腹を切ろうとしていた所…この…教え魔に捕まって…アッ!…まさか、まさか叔父上は、全てをお見通しの上で、それがしに腹を切らせまいと、あのようなたわけたことを!」
久太夫「あ、あ~……うん。そうそう。良かった良かった」
堅之介「かたじけのうございます!あのまま雑なふぉーむで腹を切っていれば皆の笑い者、矢野の失脚もこの目で見ることができぬところでありました!」
久太夫「うむ。これがよく観察し先を見通す、すなわち“芝目を読む”ということじゃ」
源五郎「拙者からもお礼申し上げます。堅之介、早く殿の元へ駆けつけよ」
堅之介「相わかった!それでは叔父上、行ってまいります。(箪笥の奥から何か取り出して)これはとっておきの練り羊羹にございます。どうぞお召し上がりくだされ」
久太夫「あ、そう?こりゃいいな」
堅之介「では御免!」
久太夫「気を付けてな~」
源五郎「(後ろ姿を眺めて)うう…良かったのう堅之介、よほど嬉しいのであろう、一目散に駆けておるわ。友として拙者も嬉しい」
久太夫「(羊羹を食べながら)お~い堅之介~。そんなに急ぐと人にぶつかるぞお~。危ないぞお~、ぶつかるぞお~。ファーーーーーーーー!!」
(終)
【青乃家の一言】
2023年の新作落語台本募集に応募した噺です。「切腹 ✕ ゴルフ」で緊張と緩和を狙ってみました。私が今まで書いた台本の中では「ぶっちぎりにくだらない」と思うので、そこは気に入っております。
口演していただける方、待ってます!