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小1算数で使ったブロックから、この間のUFOキャッチャーの景品まで入った部屋の片付けで思うこと

私にとって大掃除とは、数時間、いや実際やっていくと2,3日以上もかけて行われ、整理すれども物は一向に減らない錯覚を起こし、果てしなく続く幻覚(もしくはそれがリアル……)を否が応でも見させられる地獄のイベントである。
今回取り掛かった場所は後回しにしてきたツケの温床であるクローゼット。私にとってクローゼットとは、ただの物置である()
大抵あるものは学生時代の産物。例えばリコーダー、書道道具、絵の具セット、ピアニカ、算数で一時的にしか使わない表面黄色で裏面白のブロックなど、錚々たる置物メンツが揃い踏み。しかも書道道具を入れるバッグには、なぜか小学生の頃同じクラスにいた女の子の名前入りの文鎮があった(自分のはちゃんと持っている。ただ女の子のは細くてスマート。まるで当時のその子を表してるかのよう)
私の人生において借りパクしてないと自負していたため、友達に「借りパクなんて言語道断だろ」って言い続けていたが、これは紛うことなきスリーアウトチェンジ。しかも女の子のリコーダー舐めるよりも、ハード系。
15年くらい越しにこの場を借りて言います。ごめんなさい。

話は少し変わるが、大抵人は物を溜めがちだ。それはコレクションもあれば、万一のためにキープしておこうもあれば、捨てるのにコスト・時間・エネルギーを費やすため後回しもあれば、捨て方が分からず放置してしまうものもある(昨今は大抵ネットで調べればわかるものを面倒臭がるのが良くないのだけれど!)。
将来絶対後悔するはずなのに、それを見据えず物を買い、いつか収納される。その時は「また今度会いましょう。今だけはステイね!」と思って片付けてしまうのだけれど、長い月日が経つといつからか建前に変化している。冷静に見れば、自分勝手な生き物だ。

昨年から亡き祖父の家に行って、掃除をすることがある。元気だった時の祖父はいくらか終活を進めていたようだが、私たち家族から見たら明らかに散らかっていた。特に大きさの大小に関わらず機械製品が多く、こちら側としても捨てるのが厄介。それに後を追うように逝去された祖父の姉の分も含めた遺産相続、税金、私有地の譲渡or not…まあそれらの整理はともかく、祖父の家の物理的な整理だけでも現在進行形で膨大な時間を割いている。
この苦労を機に、私は物を置くことについて考えるようになった。私が死んだら、残された人は何もかも取捨選択して整理しなければならない。至極当たり前な話ではあるけれど、この意味がはっきりわかっている人はそう多くないのでは無いだろうか。確かに自分を満たす物が沢山周りにあるのは楽しいけれど、それを誰が最終的に処理するのか。身内か他人か分からないけれど、少なからず誰かに責任が回って、その人に迷惑をかけるだろう。ほぼ確実に。
家電、紙やノートや本、ベッドや布団、棚やタンス、机やイス、文房具、化粧品、植物、自動車、DIY系の物……もっと細かいこといえば、アイマスク、運動やダイエット器具、血圧測定の機械、書道道具、図工でやった作品、洗剤、重曹、ラジオ、謎の筒状の重いもの、キャンプ用品、料理道具、推しのグッズ…………一応これぐらい挙げてみたが、どうだろうか?憂鬱になった?
私は机やイスを書く時点で発狂していた。

だから将来を考えた時に本当に必要なのか、祖父の家の掃除を通して、身をもって体験できて良かった。私の場合、私物を調べていくと「あっこれ余分に買っちゃってるな」と思う部分が結構あって反省している。昔から浪費癖があるので、節約を意識して将来の糧になるような生き方を模索したいと思った。

文鎮のようなヘビークラスの荷物は、やめにしよ!



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トロロ
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