「せつなさ」は共感の気持ちなのかも

久々に新曲ができました。

元々自分で曲を作るなんて考えもしていなかった頃に、レッスンの先生に自分の歌唱で褒めて貰えたところが「せつない気持ちが伝わってくるね」という事だった。
まあまあ…せつない思い(想い)はたくさんしているので、その分実感がこもるんでしょうかね(笑)
でもそもそも「せつない」って具体的にどういう状況なんだろう…。

せつない【切ない】
自分の置かれた苦しい立場・境遇を打開する道が全く無く、やりきれない気持ちだ。「-[=かなえられなくて、堪えがたい]思い・-[=切ない気持ちがにじみ出ている]声・-心中(シンチュウ)[つらい=心の中]」

三省堂 新明解 国語事典 第四版

新明解の第四版ってオレが高校時代に使ってた物なんでだいぶ古くて、あと新明解ってわりと語釈がユニークなんでしたっけ?まあでも、ネットの辞書とか引いてもそんなに極端に意味は変わらないかな。悲しくて堪えがたいとかそんな感じ。
まあもちろん間違ってないというか、それが正当な解釈なんだろうけど、じゃあだとすると、ドラマとか見て負けヒロイン(言い方)に感情移入したときのせつなさって何なんだろう?それも「やりきれない」で説明はできるけれど、何故ドラマの中のキャラクターの境遇にやりきれなさを感じるのかと言えば、それはもちろんそこに『共感』があるからなんじゃないのかな。

自分の思い出を振り返ってみても、せつない気持ちになる時がある。
でもそれも、当事者だったときの自分の感覚、その当時の辛さや苦しさや悲しさとはちょっと感じ方が違うような気がしませんか?
あの時は苦しかったな…でも自分も若かったよな…あの時には不器用でああいう風にしか行動できなかったよな…なんて思いを馳せてみると、これもある意味当時の自分自身に共感しているように思えてくるんですよね。

自分はどうもHSP気質のようなので、人より共感性が強いというところもあるのかもしれないけれど、自分にとっての「せつない気持ち」というのは、すなわち『誰かの想いに寄り添っていること』だったりする。

この歌は「またフラれたのかい?」という歌詞から始まる。
これは言わずもがな、自嘲を込めて書き出したもので、最初の頃の構想としては、どちらかというと自分が辛いときになにも言わなくても良いから誰か側にいてくれないかな…というような感覚がベースに合ったんだけど、書き進めていく内にむしろ感覚的には自分を寄り添う側に置いた方がイメージしやすい事に気がついた。

前述のように特に自分がそうなのかもしれないけれど、『誰かの想いに寄り添うこと』が多くて、何なら本人以上にせつなくなってしまったりして、でもHSP特有の気ぃ遣いすぎで、肯定も否定も相手がもっと辛い気持ちになったらどうしようと思うと、気の利いた事の一つも言ってあげられない…なんてケースが多い。
そういうときに自分が出来る事を考えたとき、それって結局ずっと変わらず側に居てあげる事なんじゃないのかなと思ったんですよ。
愚痴があれば聞くし、泣きたければ泣けばいいし、それをちゃんと受け止める。余計なアドバイスはしない(というかできない!w)で、ただただ、そこに居続ける事が良くも悪くも自分に出来るたったひとつの事。

そういう気持ちを込めた曲です(笑)
辛いとき、苦しいとき、もちろんオレ自身も沢山家族や友人たちに助けられてるけど、最終的に立ち直るのは自分の力なんですよね。
だから、とりあえずはそうやって自力で立ち直れるときまで、せめて側にいてあげられたらいいな。

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