10月号「color」
「十人十色」という言葉がある。
好みや考えが人によって、それぞれ違うという意味だ。
色の種類の多さに由来しているようだが、色弱の方が見える世界の見え方の多さにも由来していると耳にしたことがある。
失礼かもしれないが自分は後者の由来の方が好きである。同じものを見ているようで、ものの見え方が全く違う。いつか、Twitterでこのドレスは青と黒のドレスに見えるのか、はたまた白と金のドレスに見えるのか。そんなことも流行っていた気がする。
十人十色という言葉から「自分だけの個性を見つけよう!」「自分だけの色を見つけよう!」って感じに続くと思うかもしれないが、自分が言いたいのはその逆で「『自分らしさ』を追求する生き方は苦しい」ということだ。なんで今月はこの話題に決めたかというと自分自身も全く気にしなくなったわけではないが、最近まで悩んでいたことだからである。
今回は個人的な話になるがご了承頂きたい。
内輪の話になって申し訳ないが青二才スタッフメンバーは全員で5人いる。それぞれが言葉で表し難い強烈な個性や世界感を秘めている。デザインの話や作品のこだわりについて話し合えば必ずと言っていいほどピリピリする。それだけ本気で取り組んでいる証拠であるし、譲れないものがあるのだ。そんなメンバーを羨ましく見る自分がいた。
自分には自分と呼べる「らしい」部分なんてものが自分でも見つけられなかった。だから彩豊かなメンバーの中にいる自分が周りからどう見られているかが怖くなった。出来ないことだって圧倒的に多い。そんな自分にとって尊敬できる人たちがどのようなものに触れているのか。彼らに近いものに触れることで自分もなりたいものに少しでも近づけるのではないか。
しかし他人の色に染まろうとするのはどこか心苦しかった。
前回の記事でも書いたが、ここでも同じようなことが言える気がする。なりたい姿というものが、他人が作り上げた自分らしさなのではないか。その型を探しているのではないか。
自分らしさとは見つけようとした瞬間にもう自分らしさではない気がする。
自分の色はもう既に何色か決まっているのかもしれない。まだ何色かに気づいてないだけ。きっかけはきっとある。でも今は赤でもなく青でもなく黒でもなく、何色でもなくて透明。これから何色かに染まれるのか、それとも透明なままで何色にもなれるのか。無理に染まる必要もないのかも。
青二才のコンセプトも「モノクロにカラーをもたらす」
青二才の作品があなたのまだ透明な心に色をつけることができますように