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ひとりでふらりと文学フリマに【東京39】
数年前から、いろんなところで耳にするようになった文学フリマ。
公式HPには、プロアマ問わず「自分が〈文学〉と信じる」作品を展示、販売できるイベントとある。
自分も出店してみたいという興味もあって、開催スケジュールを眺めていると、12月1日の東京会場が家から割と近所なことに気づいた。入場料も1,000円と良心的。
せっかくだから覗きに行ってみようと、軽い気持ちで家を出た。12時開場で、わたしが着いたのが12時半ごろ。
開場直後の混雑も少しは落ち着いてきたころかな、事前に電子チケットも購入したしきっとスムーズに入れるだろう、なんて甘くみていたのだけれど、入り口前には依然大勢の人たちが列を成し、チケット片手に入場の順番を待っていた。
盛り上がっているとは聞いていたけど、ここまでとは……!
驚きと共に希望のようなものを感じる。街の本屋が消えていっても、あらゆる娯楽が溢れていても、多くの人が読まずにはいられないし、書かずにはいられない。どんな形であれ、当たり前に文学は続いていくのだ。
幸い行列の進みは早く、列に加わってからは10分くらい(体感)で会場入りできた。
愛読している作家さんのブースにいくつか目星はつけてきたものの、ほとんど事前情報なしに来た。新しい作家さんや作品との偶然の出会いをたのしみたいという目論見もあった。
初心者ゆえ文学フリマ的セオリーもなにもわからないけれど、基本は現金払い、という超基礎的な情報だけはかろうじて得ていて、事前に1,000円札をたくさん用意した。当日、会場のATMには長蛇の列ができていたのでこれは大正解。
ともかく、入り口で配布されている会場マップを頼りに、目当てのブースを探した。
思い思いの作品を掲げ、所狭しと並ぶブースの密度と会場の熱量に若干おされつつ、予定していたブース以外にも、書籍やnoteを読んだことのある作家さんをちらほら見かけ、ご本人を前にした高揚感も相まって、気になった作品を片っ端から購入していった。
普段のわたしは、トークショーやサイン会なんかで好きな作家さんとお会いできても、いざ本人を前にすると怖気づいてしまい、なにも話せないことがほとんどだ。
だけど書いた人自らが売る、というこのイベント特有の距離の近さに背中を押され、喋れそうなタイミングがあれば、ひとことふたこと作品の感想などを勇気を出して伝えてみた。もちろんお店の邪魔にならないように意識しつつ。
みなさんにこやかに対応してくれて、さらには話題を振ってくださったりとあたたかく、嬉しくなった。勇気を出せてよかったな。
愛読している作品の作者を前にすると、いつも不思議な気持ちになる。
全然知らない人なのに、作品を通し、心の中でわたしは何度も会話をしているし、勝手に救われたりもしている。
文章を書いて発表するということは、生身のひとりの人間が、身の内を晒し、削って差し出す行為なんだと、それってなんだかものすごいことだよなあと、改めて実感する。
自分の書いた文章を自分の手で売るというのは、どんな感じがするんだろう。恥ずかしいような、おそろしいような気もするけれど、わたしもそちら側に立ってみたい。
目当てのブースを中心にある程度会場を巡ったあとは、見本誌が並べてあるコーナーで手当たり次第にいろんな作品を手に取ったりもしてみたけれど、正直なところ、想定していなかった人の量と熱気で、その時点で随分と疲れがきていた。
あとの予定もあったので、迷ったけれど、滞在時間2時間弱で引き上げることにした。
新しい作家さんや作品との偶然の出会いをたのしみたい、と言いつつ、実際購入した作品のほとんどが既読の作家さん、ジャンルもエッセイに偏っている。
あとでSNSを眺めていると、イベントの規模が大きくなり過ぎて、みんな目当てのブースを巡ることに必死で新規客が掴まえにくい、というような出店者の声を見かけた。
有名でなくても、書店に並ばないような作品でも、発表できる・手に取れるのがこのイベントの醍醐味であるから、次回参加する際は、他ジャンルや読んだことのない人の作品も積極的に開拓できるといいな。
今回まわったブースと購入した作品は以下です。
僕のマリさん「清潔な寝床」「鮮やかな季節」
文学フリマがきっかけで商業誌デビューを果たしたとエッセイに書かれていて、気になっていた作家さん。サインと、かわいいイラストも描いてくださった。嬉しい。
phaさん「やる気のない読書日記」「蟹ブ店番日記」
数々の書籍を出版されているphaさん。「持たない幸福論」「しないことリスト」などを出版されたころから、読者としてその徹底してがんばらない姿勢にたびたび救われてきたのですが、新作の「パーティーが終わって、中年が始まる」で書かれている、なんともいえない諦念、寂寥感にぎゅうっと心を掴まれ新作エッセイを2冊購入。
しりひとみさん「これも地獄と呼ばせてほしい」「ハイパー・アンガー・マネジメント」
キレキレのおもしろnoteで有名なしりひとみさん。「〇〇を見て、めちゃくちゃむかついて書いたんですよ〜」とめっちゃ明るく作品を紹介してくれて笑ってしまった。すでに一気読みしたのですが、とくに「これも地獄と呼ばせてほしい」で書かれた憤りに声が出るほどうなずきました。
中前結花さん「ドロップぽろぽろ」
最近読んだ「好きよ、トウモロコシ」というエッセイ集の、やさしい文章に惹かれて。
べっくやちひろさん「木漏れ日と胃カメラ」
35歳からの“大人第二章”がテーマの作品。まさに今、大人第二章のわたしなのでキャッチコピーに惹かれて。
あたそさん「結局、他人の集まりなので」「つまらないなら/私の生活のすべてを」
家族をテーマにした「結局、他人の集まりなので」という本のタイトルに惹かれて。自身の機能不全家族や人付き合いにまつわるエッセイ集で、タイトル通りそれらへのまなざしはいたってドライ。けれども随所に心根のやさしさ、繊細さを感じる作品でした。「つまらないなら/私の生活のすべてを」の、他者を信じきれない感じとか、親しい人に対しても、見放されるんじゃないか、と怯えてしまう心持ちが身に覚えがあり過ぎて一気読み。
まだまだ購入したものは読み切れていないので、少しずつ、味わいながら読んでいこう。たのしみだ!