世界で一番素敵な本なんて読まなくていい
ぶらりと図書館に行く。
ここにある本ぜんぶが読み放題だなんて。
幼いころから、もう何百回目になるかもわからない感慨が、図書館に来るたび条件反射的に胸に湧く。
図書館では、書店とはまた違った本との出会い方をする。
「人気ランキング」も掲示されていないし、カラフルな手書きポップの推奨も、著名人の顔写真入りの帯も巻かれていない。あるいはネットショップのように、誰かのレビューもぶら下がってない。
図書館によっては今月のオススメコーナーなどを設けている場合もあるけれど、基本的にはどんな本も一様に、背表紙をこちらに向けて、規則正しく棚に差さっている。
特定の本を探しにいく場合は別として、だから図書館で本を選ぶときは、自分が頼りだ。
好きな作家や馴染みのあるジャンルの棚を軸に視線を泳がせつつ冒険もする。
なんとなく気になったものを手に取って、表紙を眺め、冒頭部分や奥付なんかに目を通し、よし読んでみようと心に決める。
「これはいまいちだったかも……」なんてこともままあるけれど、そこには思いがけない出会いがあって、ときに今、まさに必要としていた言葉を差し出してくる。
それはなににも変えがたい読書体験となって、大袈裟じゃなく、これからの人生を支えてくれる柱のひとつになり得る。
先日、山崎ナオコーラさんの「かわいい夫」という素敵なエッセイ集に出会った。
世間一般の価値観や他者の評価を冷静に受け入れつつ、淡々と、けれど力強く、自分を信じる姿勢が印象的だった。
中でも胸に残ったのが以下の一文だ。
不朽の名作などと呼ばれる類の、古典文学、海外文学、近代作家の作品に、わたしはあまり明るくない。
そのことをいつしかコンプレックスに感じるようになっていて「文章を書きたい人は必読!」などと文章読本なんかで紹介されている作品を、文章を書きたいわたしは急かされるように手に取るようになった。
「必読!」に出会うたび、読んでおかなければと躍起になった。内容云々よりも、それを読めたことに満足していた。
長年多くの人に読み継がれてきた作品は、もちろんそれぞれに読み継がれてきただけの理由があって、一読する価値は大いにあると思う。
だれかがいいと言うものを、片っ端から読み進めるのも悪くない。
でも、だけど、人生を豊かにするための読書は、もっと自由であっていい。読まなければじゃなくて、読みたいから、読まずにはいられないから、たまたまそこにあったから、読む。
ぶらりと図書館に行く。
世界で一番素敵な本なんて読まなくていい。今日もわたしは、わたしが読みたい本を読む。