今も続く「先生」の授業
高校の現代文の先生は、文学が好きでたまらないという気持ちがにじみ出た、男の先生だった。40歳半ばくらいだったと思う。授業は一冊の小説を題材にして、それをひたすら深く読み込んでいくようなものだった。申し訳ないが、内容はほぼ覚えていない。ただ、その先生が一文一文噛みしめて、少し遠い目をしながら人間の心の機微を解説していた姿を覚えている。先生の語りには「この気持ちわかるか?まだわからないか。」という、返事を期待しない問いかけがよく挟まった。常にどこかに哀しみを湛えたような人だった。
当時私は、コンビニでアルバイトをしていた。校則で禁止されていたが、見つからなければ大丈夫、という軽い気持ちのお小遣い稼ぎだった。ある日いつも通りレジに立っていたら、先の現代文の先生が入って来て、正面からばっちり目が合った。「やっべ」と思った。動揺していたこともありその時の記憶はほぼないが、逃げることもできずレジ打ちをして袋に入れた商品を渡したら、先生は「がんばれよ」と言って帰って行った。校則違反を学校に申告されたら停学?いや最悪は退学?と考えると怖くて、それ以上考えるのをやめた。
次にその先生に会ったのはいつもの現文の授業だった。授業終わり、先生は私を教壇の近くに呼び寄せて、「俺の息子もコンビニでバイトしててな。今は一緒に暮らしていないが。」とひとこと言って職員室に戻って行った。アルバイトについて学校から何か言われることはなかった。
あとから、その先生は離婚して独り暮らしをしていると知った。
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中学の時、「恋愛」で様変わりした先生がいた。
20代半ばの美術の先生だった。ジャージの上着にスニーカーという実用性重視の姿で教師業に没頭していた彼女は、ある時期を境に化粧も髪形も服装も見違えるほどに変わった。
長かった髪をシャープなあごに合わせてショートボブにカットし、歯並びが特徴的な口元はむしろ深い色の口紅で強調した。ほっそりとした四肢が生きる洋服を選び、素材と色の組み合わせを毎日楽しんでいるように見えた。バレエシューズやローヒールのパンプスで動きやすさを失わず全体をバランスしていた。美意識が行き届いている人というのは、皆等しく美しい。その変化は彼女に自信をももたらし、日々の言動の説得力を増し、教師としての風格も上げた。「綺麗になった」と一言で片づけられない変わり方だった。
数か月後、彼女は結婚した。心の底から幸せそうな笑顔で生徒に報告していた。どこまでも心の素直な人だった。
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小学校2年生の時、「先生を辞める先生」を見た。
着任して2年くらいの20代前半の女の先生だった。校内で顔を見かけたことがある程度の関わりだったが、「先生」は永遠に「先生」だと思っていた8歳の私にとっては衝撃的な光景だった。
「どうしても教師に向いていない自分の資質があるので、辞めることにしました」。その先生は全生徒を前にした壇上挨拶でそのような意味のことを言った。
言葉少なで、あまり覇気の感じられない印象の先生だった。ずっと教職に対する悩みの淵にいたのかもしれない。公の場で語る辞める理由なんて「一身上の都合により」でも構わなかった。彼女には、それができない不器用さと誠実さがあった。
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学校に通っていた頃はずっと、「先生」を「先生」という肩書きでしかとらえていなかった。先生がどんな性格でどんな人生を歩んでいるのか、興味を持つことも考えることもなかった。
だから「先生」の生身の人間性が垣間見えた出来事は強く記憶に残っている。そしてそれはふとした瞬間によみがえり、「あの時先生はこんな気持ちだったんだなあ」と突然理解できることがある。
それは自分の成長の証であり、その先生が時空を超えて残してくれた「生き方の授業」だととらえている。