氷山モデルの話

今でもよく夢に出てくる
気持ちはすごくすごく頑張って
怒られないように
迷惑をかけないように
頑張ってるのに
なぜかみんなみたいにできなくて
それは努力してるつもりになってるからだ
お前は本気で頑張れてないんだ
って言葉を間に受けて
自分を責めて
もっともっとって
いつも緊張しながら生活するようになった。

授業への参加姿勢、テストの結果、他生徒との関わり方。
その子の困りの原因ではなく
結果ばかりに着目して
できていなければ「やる気の問題」
として人間性を否定される。

「みんなと同じようにやれ」
は私にとって
「あの空を飛んでる鳥たちと一緒になって飛べ」と言われているのと同じように感じた。
やり方も分からない、気持ちだけではどうにもならない、難しいことに感じた。

もっと、なんでできないのかということに
一緒に向き合ってほしかった。
羽がついてなきゃ、飛べないよね。
じゃあ、一人じゃ飛べないかわりに、どうやって周りに頼ろうか。
どんな道具を使おうか。
飛んで狩ができないなら地上で餌を得る方法を学ぼうか。
とか。
そうやって
飛べないことを否定するんじゃなくて
一人では飛べなくても生きていくための方法を
一緒に考えてくれる人がいたら
私はこんなにも自分を責める癖がつくことはなかったと思う。

こんな経験だって
今は発達支援の仕事で存分に生かすことができているから
自分の人生に悔いはないし
これまでの人生で出会って関わってくれた誰一人に対しても恨みはない。
だけど、同じように自分のことを責める人がいた時、それは環境次第では立ち直ることのできない傷になると思うから
こういう教育の問題点には
ぶつかっていきたいなって思う。

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