膠原病 気持ちのリハビリ記録 | 退院して二カ月目までの生活【その17】 描く未来「海に潜ってみたい」
たまたま入った喫茶店の壁に掛けられていた大きなイラスト。海底から海面を見上げている。水をくぐった光のきらめき。そのイラストをボーっと眺めていて、海に潜ってみたいな…と思った。
海に潜ることは、できなくなったことの一つだと思っていた。
いろいろやってみたいことを思いつく。でも最近の私は、可能性がないと思えば、どんどん簡単に切り捨てるようになっている。「できないのは仕方がない」と。
ずっとやってみたかったサーフィンがそうだった。「平地で安定して立てないのに、水の上の板に立てないよな…」と考えて、おしまいになる。
でも、本当にやりたいことだったら、やり方を考えればいい。それに向けて段階を踏んで努力すればいいんじゃないかと思う。
本当にできないのかどうか?
歩くのも走るのも、車の運転も、バイクもスクーターも、全部できないはずのことだった。その内いくつかが、すでにできるようになっている。できるかもしれないなら、やりたいのなら、やってみるのがいいのではないか。
病気になってから、自分にとって大切な風景とか、これから長く生きていく上で自分と切り離せないことは何だろうと、思い浮かべてきた。その中で、私にとって「海」は大切なものでは?と思うようになった。
入院中は、海を思い描いて努力をしていたんだ。海に行くために、車を運転できるようになろうとしていた。足が駄目なら、手で運転する装置をつけよう。
そして、岩場を歩くために、思った所に足を置けるように、リハビリをしていた。仕事を引退したら、いつか海の近くに住もう。そうやって自分にとっての海を、さまざまな形で繰り返し思い浮かべていた。
やっぱり海に潜りたいな、そう思った。
日本の海と外国の海に、素潜りで潜ったことがある。あれは、体が水になる時間。もっと深く潜ったら、もっと沖で潜ったら、海の中はどんなふうなんだろう‥?と想像していた。
できた頃には、「いつか機会があれば」と思っていた。でも、素潜りさえ困難になった今、ボンベなどの道具の力を借りて潜るやり方を考えてもいいのかもしれない。
最近の目標は、「スクーターを買う~プールに行く」で止まっていた。これをさらに先に、「泳げるようになって海に潜る」にしたらどうだろう。
ための練習と考えたらどうだろう。プールで確実に足でストロークできれば、海でフィンを付けて泳ぐほうが簡単だと思う。この足だと、いざというときに危険を回避できないかもしれないけれど、それだけのことだ。
うん。
やってみてもいいのかもしれない。
文・写真🄫2023 青海 陽
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