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私の日記をリカバリーの物語として読んでみる⑤ どん底の頃の日記(抜粋)

私の闘病日記をリカバリーとしてプロセスを振り返るという連載です。その方法として、まずは病前の私のキャラクター、病前の状況、発症した頃を振り返り、そこからモチーフと筋を見出していこうという試みです。
オリジナルの日記を読み返していたところ、当時の感覚をリアルに思い出してしまう瞬間があって、辛くなってしまいました。当時のことを忘れたようになっていたのは、前だけを見て生きていくために記憶の中に封印する必要があったかもしれません。私は自分でそのフタを開けてしまいました。
誰かに頼まれて書いている訳ではないので、そこまでストイックにやらなくてもいいのではないかとも思うのです。一方で、あの時に何があったのか、記憶が空白として飛んでいるのが何だか気持ち悪いのです。自分の足あとをちゃんと確かめてから前に進みたいのです。十五年経った今なら、それができるのではないかと思って始めました。できる所までやってみます。そんな私におつき合いいただき、本当にありがとうございます。

今回は、当時の日記から一部を抜粋して載せます。とても象徴的な出来事や気持ちの動きがあります。
文章のニュアンスを感じていただくために、いつものような記事中の写真は今回は挿入しないようにします。

2008年2月18日 2:51 古い日記

古い日記を読んでみた。一年前、何だか激動だな。今もよっぽど転機で激動なんだろうけど、一年前、一生懸命生きて、一生懸命書いている。次々と色々な人に会い、自分の意思で流されてみたりしている。その頃に大切な人にも会っていたんだ。その時の感覚を思い出した。嬉しかったな。

今、体が不自由になりつつあって、このまま入院するかもしれない。もちろんちゃんと生きて帰って来るつもりでいる。ただね、万が一ということもあるし、病気が急変するのはコントロールできないから、ちょっと振り返って総括してみたい。夜中だから少しだけ書いて眠ることにする。

私が一番幸せだったのは、人に深く愛されたことだと思う。私を深く思ってくれた人がいて、私は気持ちを開くことができ、通じ合い、温かい気持ちに包まれて生きてきたと思う。出会ったたくさんの人にありがとうを伝えたい。

仕事も満足。私の思いは一貫していたし、それぞれの場面で存分にやってきた。そして私は自分のしてきたこと、感じてきたことをたくさんの人に話す機会を持てたのが幸せだったと思う。多分プレゼンだけで数千人、見学者への説明を入れたら一万人くらいか。書いた本を読んだ人を入れたら、更に多いだろう。これだけの人に自分を伝えることができて、それぞれが感じ、持ち帰り、更に取り組みを広げた。特に十数回の講演では、聴いた人が涙を流し、笑い、感動してくれた。こんな体験をできる機会を持てる人って、あんまりいない。幸運であると共に、それが私の仕事の成果なんだろうな。

細かく書いていったらきりがないので、今日はこのくらいにしよう。

明日の朝も目覚めますように。


 
2008年2月19日 0:14 夜になって不調
一日中、怖くて悲しくなって涙が出たり、悔しくて絶対に治ると思ったり、夜になって苦しいのでかなり気が滅入ったり、気力が上がったり下がったりしている。

髄液検査は痛くて嫌だと思っていたが、このままであるよりはずっとましだと思ってきた。病名も治療もなく、治る見通しが全く立たない宙ぶらりんの中で吐きそうになっているより、何か見通しが欲しい。そのなかで先のことを考えたり、悩んだりする方が全然ましだ。



2008年2月21日 17:42 最悪の結果
病名が最悪なのではなく、「異常所見なし。原因不明」という、対処法なしの最悪の事態。原因が見つからないので、治療方針も薬も何もなし。

今日の立てない状況での車椅子移動や、眩暈の転倒も、対策なしという事か。

吐きそう。



2008年2月24日 1:23 足がゆうことをきかない

一日横になっていた。いくらでも眠れる。この間は、MRIの大音量の電磁波の中でも眠っていたので、自分で驚いた。

夜になってコンビニまで歩いた。距離は四百メートル位か。フルマラソンみたいに遠い。治るどころか、動かしていない分、体の動きは目茶苦茶で、足が全くコントールできない。酔っ払いの千鳥足のようでもあり、操り人形のようでもあり。ギクシャクとした動きになる。
目まいは、外の方が少ない。遠くを見ているせいだろう。

今日は春一番が吹いた日だったが、夜になって風が冷たくなった。かなりギクシャクで休みながら歩いているけど、まだ外を歩くことができているので、ちょっとしみじみ。少し目まいがするが、冷たい風に当たると醒めるのも早い感じがして、気持ちいい。
 
全く治っていなくて困ったなぁ。これからどうしたらいいんだろうか、と思いながらも、気持ちが塞いでしまうことはなくて、どうしてか爽快な気持ちだった。



2008年2月25日 18:44 体に耳をすましてみる
体。体に耳をすましてみる。先に麻痺した右膝が温かい。血が巡っている感覚がある。これまで、冷たいと感じた事はあったが、温かいのは初めてだった。足を動かさずに、自分の足の位置と形をイメージしてみる。右足は、確かにある。左足はスネから下辺りが曖昧。お腹から、ゆっくりと下に気持ちを移していく。温かいものが膝に宿る。気、なのだろうか。確かに何かを動かすことができる。神経の微細な細胞が再生する気配を感じる。体全体が温かくなり、闇のなかで気持ちが落ち着いた。セックスの後にあるような弛緩と静寂。

治る気がした。治せる。そんな気がした。



2008年2月26日 21:29 SOS
東南アジアで暮らす彼にSOSサインを出した。いつも本当に困った時に頼みにしている最後の友達。

慈善活動のキャンプ中で、電話が時間帯で辛うじて通じるなかで、知っている病院、知り合いの医者の連絡先、実績のある鍼灸院、知り合いで効果があった薬、そのほか頼れそうな知人の電話番号いくつかと共感と励ましを送って来てくれた。

相変わらず足は痛い位にしびれているけど、光が見えた気がする。
あらゆる事を、順にやってみる。



2008年3月4日 1:22 階段から落ちる

原因がわからない中で、メンタルが原因ではないかと考えた。それから、気分が滅入っているのは確かなので、精神科のドクターに薬を出してもらった。
弱い安定剤のソラナックスは、効いているんだかなんだかわからない。実感がない薬。二つ飲んでもいいと言われたので、とりあえず効果が見えないので2個飲んでみてる。何も変化ない。むしろ今日は順調に仕事がはかどった。

問題はパキシル。これはSSRIで、れっきとした鬱の薬。さっき飲んでみたが、とたんに体がだるくなったのと、頭がふらつく。ただでさえ足がふらついているのに、これはまずいのでは?車の運転はますますまずいかも。

導眠剤のレンドルミンは、睡眠が安定しているために今日はやめておく。こいつらをしばらく飲んで効果がなかったら、いよいよ鍼灸院にかよってやる。
今日はユーザーの関係者にちょっと嬉しい言葉をかけられ、それはどういうわけなのか全くわからないのだけれど、それで一瞬の気持ちの安定。ああ、稀にある平穏な時間だなって、帰りの車の中でヘッドフォンでバッハを聴きながら思った。 

 2008年3月4日 9:35 抗うつ薬効きすぎ
朝起きられない。SSRI効き過ぎ。とても車は無理なので、時差出勤で電車で。



2008年3月9日 3:35 どん底で水たまりに倒れると面白くなるのかもね。
 暗くなり始めた街を、ふらふらとしびれた足で歩いていた。もう3時間もずっと立っている。

雨が降り始めた。多少濡れていても気軽に入れるファーストフードの店を探した。見つからない。雨が激しくなる。今の体では傘はさせないし、まして杖と傘では歩けない。あったはずの場所に店はなく、雨は服に染み込む。

曲がり角の足元に、罠のようにコンクリートの段差があった。段差に麻痺したつま先が引っかかり、宙に浮いたまま上半身から水溜りの中に叩きつけられる。普通ではありえない転び方。手は泥にまみれ、水溜りの汚れた水にジャンバーとズボンが浸かる。杖は遠くに音を立てて飛んだ。

かなりムッとしながら起き上がる。手についた泥が不快。今日は転んだのは3回目。気をつけていながら、これ以上ないような状況の中で大きく転んだ。痛みは気持ちの中にはないのだが、どん底だな、と思う。どうやってここから這い上がるのか。この底をいつか思い出す時が来るのかな。 

大切なカバンが濡れていないのが救い。そのカバンの中にはやりたいことを書き止めるために買ったノートや、文房具屋で見つけた気に入った4つの色の水性ペンが入っている。それから革細工のための金具一つと、外した腕時計と、重いのでシステム手帳から外した今月のページと、電池が切れる寸前の携帯電話。

気持ちの中には、やりたいことや欲しいものが一杯つまっていて、この暗い空気の中でバカみたいに前向きで、少し歩けるようになった気がしたから、それまで行かれなかった場所を散々歩き回った。それで足は棒のようになってしまい、大転倒。
 
それでも、その濡れたままの服でシャレた喫茶店に入り、カフェオレと、凝った名前のチョコレートケーキを食べる。濡れている様子に少し驚くウェートレスは無視する。
とにかくお腹がすいていた。ケーキを食べたらすることがなかった。窓の外を見た、カバンを膝に乗せて少し眺めた。中身を取り出してみようとしてやめた。

濡れている自分の服を見て、しびれている足を見て、ちょっと笑った。何でだろう。辛くて、みじめで、なのに何だかおかしい。そして、カバンの中身がまたおかしい。突き落とされているのに前向きなのがおかしい。前向きになるほどに突き落とされるのがおかしい。自分のいいかげんさがおかしい。すべてがどうでもいいのかもなって思ったら、それもおかしい。ケーキの気取った飾り付けや、デリケートに香料を入れているんだろうなという味付けも、腹が減って甘いものを腹に詰め込みたいだけの私にとってはまったく無意味で、私はそのデコレーションに対しては、がさつな野蛮人みたいでおかしい。濡れているので温かい飲み物が飲みたかっただけ。なのにカップの中に残る飲めないクリーミーなカフェオレの泡。これも無意味でおかしい。

週末の華やいだ空気。雨に光る街。温かい光の店内。濡れて汚れた私。


 
2008年3月10日 2:49 本当の体調は…
歩行の不安定は、左側腹筋麻痺も関係あるようだ。それと、日中に感じはじめていたのだが、左側顔面に感覚障害がある。昨夜は左側舌に軽い痺れがあった。だから歩くのも困難な上に、症状は進行しているのだ。

それと、今回の病気の中で、たくさんの人に救われている。身近な人もいる。たくさんの気持ちや言葉をもらって、気持ちを救われているんだ。それだけは忘れないようにしたい。

街中で冷たい人もいる一方で、逆に優しさに触れることもある。どれだけいろんな人の痛みが辛いのかも垣間見ている。

日々いろんなことに感じ入りながら、しみじみしながら過ごしている。


昨日の明け方には、机の前に座り、ちょっと一人で泣いていた。

辛い。それは事実。

死んでしまうかも等と自殺をほのめかしたりしていたのは、気持ちに余裕があるとき。難病かもよと言われれば生きたいと思うし、歩けなくなれば、元通りに歩きたい。

人間は意外にもしぶとくて、生きようと執着する。今、絶対に自ら命を絶つことなど考えないが、間違って階段やホームから落ちたり、車のアクセルを踏み違えることもあるかもしれない。だからいろんな人に感謝を伝えたり謝ったりしておいた方がいいのかもしれないな。

こういう生の言葉は、また別の機会に書こう。



2008年3月24日 0:08 限界
限界だな。歩けるギリギリのところ。
自分の足の位置がよくわからない。
水曜日、何らかの診断が出て、入院して治療ができますように。
 



2008年3月25日 1:42 最後の出勤日
水曜の診断日まで体力を温存し進行をとどめておこうと思って、休んだ日は、横になって過ごした。ずっと眠っていた。いくらでも眠れた。体に不快感があるからなのか。だんだん眠りが浅くなってきていたけど。

水曜日以降がどうなるかわからないので、一度職場に行く必要があった。引継ぎをしておかないと停止してしまうものがいくつかあった。それと、年度末なので、お金の処理をしておかないと、年度末の会計が閉まらない。

気持ちは入院準備のつもりで、残務処理に行く。午前で終わるはずが、予定外の事がどんどんとやってきて、結局帰ったのは午前1時過ぎだった。
今日は往復ともタクシー。今やっている仕事は本当は誰がやってもできることで、ただ、期限があって今すぐ終わらせる必要性を考えると、自分がやるのが一番円滑という程度のものなんだ。代わりの人はいくらでもいる。でも私自身に代わる人はいない。だから、本当は体を大切にしなければいけない。

一ヶ月以内ぐらいまで回るように段取りつけて、必要なデータは自宅で処理できるようにコピーを持ち帰り、そして引継ぎをしてきた。今日は精一杯やった。思い残すことはない。


文・写真:©青海 陽2023

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青海 陽
読んでいただき、ありがとうございます!☺ かつての私のように途方に暮れている難病や心筋梗塞の人の道しるべになればと、書き始めました。 始めたら、闘病記のほかにも書きたいことがたくさん生まれてきました。 「マガジン」から入ると、テーマ別に読めます(ぜんぶ無料です)🍀